悪魔島 横浜

 

                    第八章

 

 横浜に朝がおとずれる。

 海の彼方から昇る朝日は、破壊されて中央

部分の欠落したベイブリッジをシルエットで

浮かび上がらせ、魔魚や水棲妖生物の飛び跳

ねる魔海の海面を輝かせ、横浜の街に光を与

えていく。一時の美しい情景だ。

 吸血コウモリや死人フクロウ、毒蛾ナイト

ドレスなどの夜行性飛行生物は地下下水道や

廃ビルの住処へと帰り、代わりに肉食鳥、大

鴉などの飛行生物が空を舞い始める。

 コンクリートの瓦礫の隙間で、青白い花弁

がゆっくりと閉じていった。夜の間しか咲く

ことの出来ない吸血花「ルーシー」である。

 そのすぐ横に黄色の大輪を開きはじめたの

は、肉食花「マグダレナ」であった。甘い芳

香が風に乗って流れ、やがて匂いに魅かれた

獲物がここへ導かれてくることだろう。

 闇の中を彷徨いながらも、一匹も獲物が獲

れなかったのだろうか。一頭のデスジャッカ

ルが地下鉄の入口へ疲れた身体を引きずりな

がら向かっていた。何処からともなくワーン

という微細な羽音が近づいてくる。それは瞬

く間にデスジャッカルに黒くたかり、それが

飛び去った後には白骨しか残されていない。

 横浜特有の肉食蜂の群れであった。

 光と闇、昼と夜。横浜は二つの顔を持ち、

それぞれの世界の住人がそれぞれに生きてい

く。夜明けと日没は、その境界線であり、二

つの世界が覇権を鬩ぎ逢う邂逅の時間でもあ

った。ただ、その二つに共通しているのは死

の匂いであり、死を通り越してなお活気のあ

る生命の息吹であった。

 横浜に朝が訪れることは、新たな一日が始

まることであり、明日の朝日を見ることの出

来なくなる人間がまた何人も生みだされるこ

とを意味している。

 それでも人は今日という日を生きていく。

 明日の夜明けを見るために…。

 鳴海章一郎が横浜警察本部へと戻ってきた

のは、ほとんど夜も明けた頃であった。

 第2鑑識課での死闘、馬車道十番館でのヒ

ルダとの会談を終え、さすがの鳴海も疲労を

覚えたらしい。真っ直ぐに仮眠ルームへと向

かい、横になったのだが、その僅かな眠りも

すぐにけたたましいベルに破られた。

 「鳴海。緊急事態だ!」

 ベッドの枕元にあるテレビ電話に映った八

重野は開口一番、そう言った。

 「何があったんです?」

 「宮崎香澄くんがいなくなった」

 「敵にさらわれたんでしょうか?」

 「いや…、自分で逃げたようだ」

 「……。わかりました、今行きます」

 たった1時間で全身衰弱の状態を全快させ

ると言われているヒーリングベッドに寝てい

たにもかかわらず、八重野から伝えられた状

況は新たな疲労を起こさせるに十分だった。

 「やれやれ…、忙しいことだ」

 一言だけボヤいた鳴海は、すぐに気を取り

直してベッドから起き上がると、荒々しい足

音を響かせて出ていくのだった。

 

 横浜警察本部13階にある特殊捜査部に戻っ

た鳴海は、初めてそこで警友病院の惨劇の詳

細を知ることになった。

 「一般警官の死者は22名。そして、射殺し

た犯人は18名ですか…」

 敵の襲撃は予想していたが、まさか警備陣

が全滅という被害を受けるとは思いもよらな

い事態であった。もっとも襲撃してきたた銀

の星・横浜教会のメンバーもかなりの被害を

出しているようだから、相討ちではある。

  とは言っても、これだけの死者を出してし

まったことは哀しむべき事実であった。

 「そして、大石も、各務野も殉職だ」

 「そうですか…」

 鳴海は静かに言った。その表情からは、何

の感情も読み取れはしなかった。

 「二人の死因は、何だったのでしょう?」

 鳴海の問いに、八重野は苦渋に満ちた表情

を浮かべ、重い口を開いた。

 「大石も、各務野も、身体を引き裂かれて

いる。しかも、損壊した部分に生体反応が残

っていた」

  「生体反応が…?」

  「恐らくは生きたまま引き裂かれたのだと

思う。失血死と言うよりはショック死に近か

っただろうな…」

 「……」

 一瞬だけだが、鳴海の瞳の奥に冷たい炎が

揺らめいた。絶対零度の炎が…。

 「即死だったら、よかったんだがな…」

 「同感です…」

 鳴海と八重野はほぼ同時に嘆息した。

 「しかし、とんでもない奴らがやって来た

ものだ…。私の部下から殉職者を出したのは

1年ぶりだよ」

 「そう言えば、そうですね。一年前に武藤

刑事が殉職したのが最後でしたか…」

 「武藤重之だったな。確か、瞬間移動能力

を持っていたと思ったが」

 「そうでした。米軍機械化小隊のナットク

ラッカーと相討ちになったと記憶してます」

 「マシンナーズプラトゥーンか…。右腕に

高振動圧縮装置を備えたヤツだったな。あれ

は横浜情報街の事件の時か…?」

 「はい。情報街で売り出された国防総省の

機密ファイルを巡っての争奪戦でした」

 鳴海は自分の記憶を辿りながら、言った。

   横浜情報街・・・・かってのNTTネット

ワークセンター、NTT横浜支局、横浜中電

話・電報局、テルウェル横浜ビルなどが集中

する一角は、「情報街」と呼称を変えて、世

界最高の情報マーケットとして存在する。米

国防総省のICBM発射システムの暗唱番号

から、ロシア書記長の愛人のスリーサイズ、

名もなき三流科学者が導出した四次元的相対

性理論方程式など、ありとあらゆる情報が売

買されている。だが、この街ですら、馬車道

の老婆には及ばないと言われている。

 「覚えてるぞ。情報街そのものを抹殺しよ

うとした事件だな。口封じとは言え、米軍も

無茶苦茶な作戦を立てたものだよ」

 「第8次湾岸戦争で有名になった特殊装甲

歩兵まで投入してきましたからね。とは言っ

ても、一人として生還させませんでしたが」

 「横浜を甘く見た罰だ。ベトナムやイラク

などと同じに考える方が愚かなのさ」

 八重野は笑った。この横浜を陥落させるに

は、太平洋艦隊の総力を挙げても無理だと本

気で思っているようだ。そして、それはあな

がち傲慢とも、冗談とも言えなかった。

 「しかし、今度の敵は違いますよ」

 鳴海が不意に話を戻した。

 「わかっている。久々に横浜専用の敵のよ

うだな。米軍のように楽は出来んだろう」

 八重野の顔から笑みが消える。米軍の一個

大隊よりも、数人の妖人を恐れていた。

 「恐るべき魔力を秘めた連中です」

 「だが、その一人は第2鑑識課でお前が斃

したはずだ。立花から請求書が回ってきてい

るよ。派手にやったものだ…」

 そう言って、八重野はデスクの上に請求書

の束をドサリと投げ出した。

 「ハハ…。それよりも、馬車道十番館を襲

った一人が、やはり斃されていますよ」

 鳴海は誤魔化すように笑い、馬車道での事

件と会談内容について説明した。

 「あの婆さんも健在だな。と言うことは、

残っている妖人は4人ということか…」

 「そういうことになります」

 「まあ、いずれ闘うことになるだろうが、

ヒルダ婆さんの話した内容が気になるな」

 「ええ。もし、奴らがその真理とやらを手

に入れたとなれば、大変なことになります」

 「その前に、横浜がこれ以上の混沌を招け

ば、それだけでこの街は終わりだ」

 「世界の破滅を危惧するよりも、横浜の安

寧の方が気になりますか…?」

 鳴海はそう言って、ニヤリとした。

 「我々は横浜の人間だ。例え、外界から見

捨てられ、悪魔島などと呼ばれても、ここは

我々が生きる街であることには変わりない」

 「それを聞いて安心しました。世界の平和

を守れと言われたら、どうしようかと思いま

したよ。ゾッとしませんからね」

 鳴海の言葉に、八重野が黙ってうなずく。

 やはり、この二人は横浜の人間であった。

 「では…、失礼いたします」

 そう言って、鳴海は部室を後にした。

 

 横浜警察本部の地下駐車場を鳴海が歩いて

いく。愛車のレパード700SXが停めてあ

る専用スポットへと向かっていた。

 キキッと甲高い鳴き声が聞こえるのは、肉

食ネズミの声であろう。この横浜警察本部の

中であっても、妖生物は存在する。隙間さえ

あれば、何処へでも入り込む連中だった。

 マリンブルーの車体へと近づき、その把手

に触れようとした瞬間、鳴海はピタリとその

手を止め、ゆっくりと一歩下がった。

 「誰ですか?」

 静かに言って、ショルダーホルスターから

SIG・P339自動拳銃を抜く。

 「……」

 車内に気配が動いた。だが、返答はない。

 「5秒待ちます。おとなしく出てこないの

であれば…」

 「ま、待って、待って。今、出るわよ!」

 女の慌てた声がして、レパードのドアが開

いた。鳴海はセーフティをすでに解除し、銃

口をピタリとポイントしている。

 「な…!」

 さしもの鳴海も絶句する。車から降りてき

たのは、なんと宮崎香澄であった。

 「ハ、ハーイ。鳴海さん、お元気ぃ?」

 精一杯の笑みを作って、香澄が手を振る。

 「宮崎さん…。どういうことです?」

 「そ、その前に銃口を下げてよ」

 香澄は銃口を指さして、言った。

 「これは、どうも…」

 鳴海は素直に、香澄の眉間にポイントして

いた銃口を下げた。

 「セーフティも戻してよ。本当の宮崎香澄

に決まってるでしょ。カメレオンマスクや変

身薬で変装した犯罪者とは違うわよ」

 「よく見てますことで…」

 鳴海は苦笑して、銃のセーフティを戻す。

 透視装置や遺伝子分析装置にかけても見破

られない変装を施した暗殺者は、横浜ではあ

りふれた存在である。身内や恋人になりすま

した暗殺者によって、最後まで気づかぬまま

に落命した人間がどれほどいることか…。

   「……で、警友病院から脱走したはずのあ

なたが、何故ここにいるんです?」

 「脱走なんて、人聞きの悪い。私は自分の

自由を取り戻しただけよ」

 「結果としては、あなたの行動は正しかっ

たのですがね。脱走の意図は別にして」

 鳴海はフウとため息をつきながら言った。

 「それって、どういうこと?」

 香澄が聞く。だが、鳴海は答えなかった。

 「いずれにしても、あなたを守るために多

くの人間が命を落としたのは事実です」

   「ほ、本当に?」

    表情に暗い翳を落とす香澄に、鳴海はチラ

リと静かな視線を送るだけだった。

    「どういうことよ?」

    「・・・・・・」

    鳴海は答えない。

    「車を出してよ。ここじゃ、ゆっくり話す

ことも出来ないわ」

  イラついた香澄は車を目で示して、鳴海を

急かした。

 「ま、いいでしょう」

  今度は鳴海も素直に応えた。

     香澄へ助手席に乗るように勧めると、自分

も運転席へと向かうのだった。

 数分後、レパード700SXは横浜警察本

部の地下駐車場を出て、海岸通りを走ってい

た。横浜警察本部の建っている海岸通2丁目

から出た通りは、魔霧の発生地帯であること

もあって交通量は少ない。警察に用のある一

般市民は、ほとんどが山下町の分庁舎へ行く

ようになっている。本部を訪れるのは、関係

者か、犯罪者だけであった。

 車は横浜税関前を右折して、みなと大通り

へと入っていった。ここからは俄然、交通量

が増えはじめる。

 かっての横浜県庁であり、現在の横浜の行

政を預かる横浜管理局の庁舎前を通過する。

 横浜大震災後は横浜市という区分はおろか

神奈川県という区分すらもなくなってしまっ

た。そして、この横浜は隔絶された孤島とし

て見捨てられ、自治の道を歩むことになる。

 県庁も、市役所も意味をなさなくなったの

で管理局として行政機関は統一されたが、横

浜に住む人々は相変わらず「県庁」と呼んで

いる。しかし、そこに住む人物は「市長」と

呼ばれている。

 この街に住む人々はやはり「横浜」という

名前にこだわったのであろう。

 「ねえ、鳴海さん。さっきの話だけど」

 県庁前を過ぎた辺りで、香澄が言った。

 「何ですか?」

 運転したまま、鳴海は答えた。

 「警友病院では、やっぱり大勢死んだとい

うことなのかしら?」

 「ええ。正面玄関及び病院周辺を警備して

いた警官は全滅。あなたのガードについてい

た二人の刑事も殉職しました」

 鳴海は淡々と答えた。全滅の言葉を聞いて

香澄が絶句する。

 「各務野さんと大石さんが…!」

 「あなたがいると思って、必死に誰もいな

い病室を守りながらね…」

 香澄の心情など気にも介さないのか、鳴海

は言いにくいことも平気で口にした。

 「だから…。だから…!」

 香澄は沈痛な声で、激しく首を振った。

 「だから、警友病院を抜け出したと言うの

ですか。これ以上、犠牲者を出さない為に」

 「そうよ。伊勢佐木でもそうだったけど、

私の身代わりになって人が死ぬのは沢山よ」

 香澄の鼓膜に、トラックもろとも炎の中に

消えていった人々の悲鳴が焼きついていた。

 「だから、あなたが妖人どもに捕まれば、

あるいは殺されれば事態は解決する?」

 「その通りよ」

 「浅はかな考えですね」

 自己犠牲を口にする香澄に対し、鳴海はそ

れを一言のもとに否定した。

 「な、何ですって!」

 「浅はか、だと言ったのです。あなたが捕

まれば、それで解決するのですか。死んでい

った人々が生き返るとでも言うのですか?」

 「そんな言い方しなくても…」

 「あなたが生命を捨てようとすること自体

には、何も言うことはありません。生命の尊

さについて論じる気だって、ありませんよ」

 「だったら…」

 「ただ、あなたの身を案じて死んでいった

人たちの思いを裏切ることは許されないはず

でしょう。伊勢佐木で死んだ人たちは運が悪

かったと言えば、それまでですが…。それに

したって、あなたの生命と引換えになったと

いう意味があるのです。もし、あなたが易々

と死を選べば、彼らの死は全くの無意味にな

るのです」

 「……」

 「この横浜でさえ、時間の流れというもの

だけは自由になりません。二度とやりなおせ

ないのならば、過去を背負って人は生きてい

くしかないでしょう。それこそが地獄だと語

った古代の哲学者もいましたがね」

 人は横浜へ集まる。辛い過去を忘れるため

に訪れる人は多い。だが、望みが叶って、こ

の街を出ていける人間はいない。この横浜と

いう地獄の中で生きていくことになるだけで

あった。

 「わ、私は…」

 「理由は言えませんが、あなたの身はもっ

と重要であることを自覚してもらいたいです

ね。下手をすれば、この横浜の存亡に関わる

かもしれないのだから…」

 「ど、どういうこと…?」

 いきなりスケールの大きくなった鳴海の言

葉に、香澄は当然の疑問をぶつけた。

   「それは……、恐らく、彼らの方が知って

いるでしょう」

 鳴海はバックミラーを覗きながら言った。

 その様子に香澄がハッと振り返る。

 「県庁前の交差点の辺りから、尾けてきて

います。どうやら、張られていましたね」

 レパードの後方にピッタリとついてきてい

るのは、黒塗りのリムジンであった。それに

同じく黒に塗装されたスカイライン、グロリ

ア、ブルーバードの3台が加わった。

 「ど、どうするの?」

 「シートベルトをしっかり締めて下さい」

 そう言うと、鳴海はアクセルを一気に踏み

込んだ。加速で香澄の身体がシートに押しつ

けられる。

 「気づいたみたいだね」

 リムジンの後部座席で、チャーリーが微笑

した。今日も運転席に人影はない。

 「逃がしちゃダメだよ。いいね」

 無邪気なようで、邪気に満ちた声でチャー

リーが言った。その声が聞こえたのか、各車

は加速し、一斉に追撃へと移ったのだった。

 みなと大通りを疾走するレパード。その後

ろを追跡する黒塗りの車の一団。横浜の街中

をそれらは凄いスピードで走っていく。

 「キャアアッ、キャアアッ!」

 通行中の他の車や人間を避けるために、レ

パードは右へ左へと蛇行する。その度に、助

手席で香澄が悲鳴を上げていた。

 「少し、静かにしてもらえませんか?」

 「む、無理言わないでよっ!」

 香澄が怒鳴り返した瞬間、レパードの右側

で爆発が起こった。

 「キャアアアアッッ!」

 巻き上がる土砂やコンクリート片、そして

紅蓮の炎に香澄は絶叫した。

 「いちいち騒がないで下さいっ!」

 「な、何なのよ、これぇ!」

 「恐らく、地対地ミサイルの『バイパー』

だと思います」

 続いて進行方向正面で起こった爆発で生じ

た二つの火球の間をすり抜けながら、鳴海は

後方の車からの攻撃を判断した。

 「全く、街のど真ん中でぶっ放すようなモ

ノではないのに…。市街戦でも始めるつもり

ですか?」

 鳴海は次々に飛来するミサイル攻撃を避け

ながら、愚痴った。ブルーバードのフロント

スポイラーや、グロリアのフロントサイドか

ら吐き出された地対地ミサイル「バイパー」

は、その名の通りに地を這う蛇のように襲い

かかってくる。

 グワアァァン!ドグオォォン!

 轟音と共に行く手に広がる炎のカーテンを

くぐり抜け、レパードは「横浜地方裁判所」

の交差点を通過していった。

 「何とか出来ないのっ?」

 轟音に耳をふさぎながら、香澄が怒鳴る。

 「後部トランク、オープン。目標、後方の

敵車両。小型巡航ミサイル発射!」

 鳴海の命令を音声識別コンピューターが瞬

時に判断し、実行に移した。

 レパードの後部トランクがバクンと開き、

そこから白いボディの小型巡航ミサイルが発

射された。レパードに一番肉薄していたグロ

リアが慌てて回避しようとするが、間に合わ

なかった。

 「ギャアアッ!」

 グロリアは直撃を受けて、大きな火球と化

した。火に包まれたタイヤが虚しく路上を転

がっていく。

 「ちきしょう、やりやがったな!」

 その光景にチャーリーが叫んだ。

 「やったぁ!一台撃破よ!」

 後ろを見ながら、香澄が歓声を上げる。

 「ですが、巡航ミサイルは弾切れです」

 「な、何ですってぇ…。まだ一発しか撃っ

てないじゃないの」

 「この前の伊勢佐木町で撃ってから、補充

しておくのを忘れていました」

 鳴海が申し訳無さそうに言う。そのような

ミスが横浜では命取りになってしまうのだ。

 「そ、そんな…。他には付いてないの?」

 「対地爆雷のカーリングボムなら…」

 「カーリングボム。こ、これね!」

 「あっ、ま、待って下さい!」

 鳴海が止める間もなく、香澄は横から手を

延ばすと、コンソールのボタンを押してしま

う。と同時にリアバンパーの下から、カーリ

ングの玉に似た物体が発射され、路上を滑走

していった。しかも10発も…。

 「相生町1丁目」の交差点に紅蓮の華が次

々に開いた。その真紅のベールに包まれ、ブ

ルーバードが爆発、四散していった。

 「あ…、あら…?」

 「よく見なさい。発射モードが、全弾自動

発射に合わされているじゃありませんか」

   「と…、言うことは…?」

 「カーリングボムも弾切れです」

 鳴海が言い終わらぬ内に、炎のカーテンを

抜けて、スカイラインとリムジンがその無事

な姿を現した。

 「ど、どうしよう?」

 「全く…。余計なことを…」

 バックミラーの中に迫ってくる2台を見な

がら、鳴海がため息をついた。

 スカイラインのライトが開いて、20ミリ機

関砲が射撃を開始した。激しい火花に包まれ

るレパードだが、防弾加工のセラミックスボ

ディには通用しない。だが、中にいる香澄を

怯えさせるには十分であった。

 「ほ、他には何かないの?」

 「ありません」

 鳴海は素っ気なく答えた。レパードは「市

庁舎前」の交差点を過ぎていった。間もなく

関内駅の威容が見えてくる。

 「この先は行き止まりよ。JR根岸線の高

架が落下していて、通れないはずよ!」

 「それぐらいの事は知ってますよ。伊達に

何年も横浜で生活していません」

 そう言っている間に、巨大な線路の残骸が

目に入ってくる。かっての「関内駅南口」で

あった。落下した高架の瓦礫が道路を完全に

塞いでいるのが見える。

 「チッ!」

 鳴海は大きくハンドルを切った。激しいタ

イヤの摩擦音を響かせて、レパードは左へと

曲がっていく。車はJR根岸線や高速横羽線

と平行した通りへと入っていく。横には最高

危険地域である「横浜公園」の壁と、緑の彼

方に横浜スタジアムの一部が見えていた。

 「追ってきてるわよ!」

 香澄に言われるまでもなく、スカイライン

とリムジンの2台も「関内駅南口」を左折し

て来ていた。銀の星・横浜教会の連中も、中

々のドライビングテクニックを持っているよ

うである。

 「しつこい連中ですねぇ」

 鳴海は愚痴りながら、ハンドルを巧みに操

作していく。ホテル「横浜ガーデン」の廃墟

を横に見ながら、「横浜スタジアム前」の交

差点をレパードは通過した。その時、突然に

目の前に巨大なタンクローリーが現れる。路

上に違法駐車されている車であった。

 「キャアアアッ!」

 急いで、鳴海がハンドルを切る。レパード

のタイヤが香澄に負けないほどの悲鳴を上げ

た。目の前にタンクローリーの巨体が迫って

くる。そのタンクに書かれた「可燃ガス」の

文字までがはっきりと読める程であった。

 「ぶつかるっ!」

 「大丈夫です!」

 鳴海の言葉は正しかった。ほとんど間一髪

の所でレパードはタンクローリーの横を掠め

るようにして、やり過ごしていく。

 「うわあああっ!」

 だが、追撃していたスカイラインにまでは

幸運の女神は微笑まなかった。

 ハンドル操作も間に合わぬままにスカイラ

インはタンクローリーに激突し、高さ十数m

に達する火柱の中に消えていった。

 「ラ、ラッキー!」

 「……」

 喜ぶ香澄と、余りの偶然に沈黙する鳴海。

 しかし、残ったリムジンの中でチャーリー

は憤怒の叫びを発していた。

 「お、おのれぇ…!またもあの女の呼び込

んだ幸運とでも言うのか。だがな、3度も取

り逃がすほど、僕は甘くないぞ!」

 チャーリーが憎悪の言葉を吐くと同時に、

黒いリムジンの車体が異様な変化を見せはじ

めた。

 「何を始める気だ…?」

 まるで幼虫がサナギに変態するような不気

味な動きを見せるリムジンの姿に、鳴海は言

いようのない戦慄を覚えた。

 「あ、あれは伊勢佐木町での…!」

 香澄がその変態していく姿を見て、自分の

記憶との照合を果たした。

 「妖戦車か…!」

 鳴海が言うまでもなく、リムジンは不気味

な球状の巨体へと成長していた。

  それこそは伊勢佐木町を蹂躪した妖戦車で

あった。

 なるほど、リムジンに運転手がいなかった

のも道理である。あれは妖戦車ヴァイラスが

擬態していたものであったのだ!

 「ハハハハハハ…!この妖戦車ヴァイラス

さえあれば、貴様たちの命など風前の灯火に

もならぬわ!」

 妖戦車の上に仁王立ちしながら、哄笑する

チャーリー。その手が振られると共に、妖戦

車の瘤から生体レーザーが照射された。

 高熱エネルギーが道路を灼き、「市立港商

業高校」跡の校門を粉砕した。レーザーに灼

かれたアスファルトはマグマのように煮え立

ち、錆びた校門の鉄柵は飴のように溶けた。

 「あ、あんなの食らったら、お終いよ」

 「そうですよね。どうしましょう?」

 人を食ったような鳴海の言葉であった。し

かし、そんな余裕の状態でないことは確かで

ある。迫り来る妖戦車は、その巨体とは似合

わぬスピードでレパードに肉薄してきていた

のだ。

 「もう、ダメだわぁ…」

 生体レーザーが演出する灼熱の光の乱舞の

中で、香澄は己の死を見ていた。

 「あきらめないで下さい」

 凛とした声で鳴海が言った。

 「え…?」

 「賭けに近いものですが、一つだけ手がな

いわけではありません」

 「本当なの、それ?」

 「ええ…」

 鳴海はそれ以上の説明をしなかった。代わ

りにアクセルをさらに踏み込んだのだった。

 急激に加速するレパードは、中華街西門の

前を過ぎ、横浜中央病院の前を抜けて、山手

の方へと驀進を開始した。

 「逃げようとしたって無駄だよ。この妖戦

車ヴァイラスのスピードは、君達の車にだっ

て負けはしないんだ」

 チャーリーは逃げる鳴海たちを嘲笑し、追

撃のスピードを上げた。

 レパードは崩壊した高速横羽線の高架下を

くぐり抜けて、元町へと入っていく。

 「ね、ねえ。このまま行くと、もしや…」

 香澄は自分の地理感覚と照らし合わせなが

ら、この道の通じる先を想像した。

 「その通り。山手トンネルですよ」

 そう言って、鳴海は微笑した。

 「ちょ、ちょっと何を考えてるのよ!」

 香澄は慌てる。その地名が意味しているも

のは、横浜の住人ならば知らぬ訳がない。

 「だから言ったでしょう。賭だと…」

 「そ、そんな無茶な!」

 「もし我々に勝機があるとすれば、この横

浜という街の恐ろしさを彼らよりも知ってい

るという点です」

 「横浜の…?」

 香澄は鳴海の真意を図りかねて困惑する。

 「ロンドンから来たばかりの彼らに、横浜

という街がどんなものなのかを思い知らせて

あげるとしよう」

 微笑しながら言う鳴海の顔を見て、香澄は

ゾクッとした。

  その微笑みは氷の微笑と化していたからで

ある。

 

                                                                    つづく