学校怪談

「夜の王様」

 

  第十章「無限の階段」

 

 横へつづく廊下には、教室の連なりが見え

る。プレートには「3年1組」の文字が書か

れていた。そうなれば、突き当たりは音楽室

である。美貴は階段を駆け降りたはずだった

のに、何故か3階へと着いてしまったのであ

る。

 「ま、まさか、これって…?」

 美貴はあわてて、ポケットから7不思議に

ついて書かれたメモを取り出した。

 パラパラとページをめくる指先が、ある所

でピタリと止まる。

 「や、やっぱり…。む、無限の階段…」

 美貴の開いたページには、緑ヶ丘小学校の

7不思議の一つとして、「無限の階段」の名

前が記されていた。

 

  無限の階段。

 登っているつもりで、下っている。

 下っているつもりで、登っている。

 学校の階段に突如として、悪夢のような迷

路を出現させてしまう怪奇現象である。

 これに惑わされると、永遠に階段から抜け

出せなくなってしまうと言われている。

 怪談話で有名なのは、夜中になると一段増

えてしまうという「魔の十三階段」があるけ

れども、この「無限の階段」の方がタチの悪

さでは群を抜いている。明らかに幻覚だと分

かっていても、いざはまってしまえば、その

脱出方法を見つけ出すのは困難きわまりない

と言えよう。

 

 美貴はメモを読みおわって、ため息をつい

た。こんなことを言われているのに、あえて

階段に戻るのは、無謀だと思えたからだ。

 だが、その階段を通らなければ、いつまで

も学校の中から抜け出せないし、理恵や裕一

を捜しにいくことすらできない。

 そして、2階には先程の粘土のお化けがい

るのだ。もし再生して、登ってきたら、それ

こそ逃げ場がない。

 そう思った美貴の耳に、最悪の予想をズバ

リ保証してくれるような音が聞こえてきた。

 ズズッ、ズズッ、ズズッ。

 重い身体を引きずるような音。それはもち

ろん、粘土の巨大な手が階段を登ってくる音

であった。

 「ど、どうしよう…」

 焦る美貴の耳に別の音が聞こえてきた。

 ガガッ、ガガッ、ガガッ…。

 掃除の時間なんかに、よく聞いている音で

あった。

 「だ、誰かが机を引きずっている?」

 美貴は聞こえる音から、そう判断した。

 ガガッ、ガガッ、ガガッ…。

 音が段々と大きくなり、そして3年3組や

2組の教室のドアがガラリと開いた。

 美貴は出てくるそれを見て、自分の判断が

間違っていたことに気づいた。だが、誰が、

あの音から、正しい答えを導き出せると言う

のだろうか…。

 廊下に出てくるたくさんの机たち。

 正解は、机が自分自身ではいずってくる音

であった。

 「こんなん、わかるかーっ」

  と、関西風のツッコミを入れてはみたもの

の、そんなことをやっている場合ではない。

  はっきり言って、笑っている場合じゃない。

 前方からは、はいずってくる机の群れが迫

り、階段の方からは巨大な粘土の手が姿を現

したからである。はさみ撃ちであった。

 「こりゃ、マジでヤバいって…!」

 美貴は必死に脱出方法を考えた。

 粘土の弱点は、乾燥したらアウトというの

は分かっている。カラカラに乾いてしまえば

例え巨大な粘土とは言え、ボロボロになって

しまうはずだった。だが、ここには大量の火

もないし、巨大なドライヤーもない。

 乾燥させられない、と言うのなら…。

 その時、美貴の頭に何かひらめいた。

 「だったら、乾燥させなきゃいいのよ!」

 そう叫ぶと、美貴は近くにあった水飲み場

へと駆け寄った。急いで、蛇口の一つをひね

る。すると、勢いよく水がほとばしった。

 「今に見てらっしゃい!」

 指をくねらせて近づいてくる巨大粘土の手

へと、美貴は蛇口の先を向けた。

 ほとばしる水が粘土へと命中する。

 大量の水を浴びて、粘土が一瞬よろける。

 「逃がさないわ!」

 美貴は蛇口を操作して、水がうまく粘土に

当たるように調節する。

 巨大な粘土の手は、指をもがかせながら、

壁へとぶつかった。すると、ぶつかった部分

がまるでヘラでそぎとったように、ゴソッと

もぎとられてしまったのである。

 「やっぱり!大正解よ」

 美貴の歓声が示す通りだった。壁へともた

れかかった粘土は、そのままベットリと壁に

くっついて、崩れはじめたのだった。

 「粘土って言うのはね。水に濡れれば濡れ

るほど、柔らかくなっちゃうのよ!」

 美貴が喜びに満ちた声で、説明した。

 その説明が聞こえたのかどうかは分からな

いが、粘土細工は水流から逃れようともがき

苦しんだ。だが、それは無駄な事だった。

 もがけばもがくほど、粘土は絵の具のよう

に、溶け崩れてしまうのだった。水を浴びた

結果、柔らかくなりすぎてしまい、もはや形

を保てなくなってしまったのである。

 巨大な粘土の手が、断末魔を表現するかの

ように虚空をつかみ、そして倒れた。

 「これで、粘土のお化けは片づいたわ」

 ベトベトに崩れた粘土細工を見ながら、美

貴は勝利を宣言した。

 逆転の発想の勝利であった。

 どんな時でも、何か道が残されているもの

なのである。あきらめようとしない美貴の気

持ちが導いた奇跡の逆転勝利だった。

 その時だった。

 ガーッと音をたてて、美貴にぶつかってき

たものがあった。

 「キャアアッ」

 美貴はまともにその体当たりを受けて、床

へと倒れてしまう。

 机だった。こっちを忘れていた!

 粘土細工の仇を討たんとばかりに、無数の

机たちが音をたてながら、はいずり寄ってく

るのが、美貴の目に映った。

 どんな勝利を手にしても、油断してはいけ

ない、という良い教訓である。

 「いけない…。早く逃げなきゃ…」

 美貴がヨロヨロと逃げはじめると、さっき

体当たりをしてきた机が回り込んで、ドンと

行く手をふさいだ。

 「逃がさないつもりね…」

 美貴はそうつぶやくと、竹刀を大きく振り

上げた。そして、まさに振り下ろそうとした

瞬間、その手をはじかれてしまう。

 「痛いっ!」

 竹刀がガランと廊下に転がった。痛む手を

抑えて、美貴が見ると、そこには別の机が動

いてきていた。その机が美貴の手から竹刀を

はじきとばしたのである。

 「サイアク…」

 前後左右を机に囲まれて、絶体絶命のピン

チに陥っていた。

 このままでは本当にやられてしまう…。

 『どうするかな?』

 廊下の隅で微かな声が笑った。

 『ここで終わったら、つまんないね』

 天井の方から、声が降ってきた。

 『でも、やってみようよ…』

 『やってみようよ…』

 『そうしようか…』

 『そうしようか…』

 『そうしよう…』

 『じゃあ、いくよ…!』

 声がそう言うと、机が一気に美貴を押しつ

ぶそうと動きはじめる。

 それと察した美貴が恐怖に目をつぶった。

 その時である!

 「てめえら、待たせたなぁぁ!」

 正に絶体絶命の瞬間、不意に美貴と机との

間に割り込んできた人影があった。

 その人影は飛び込んできた勢いで、いきな

り机に飛び蹴りを食らわせた。

 ガアアン、と大きな音をたてて、机が転が

るように吹っ飛ぶ。

 美貴がビックリして起き上がろうとすると

その人影が手を差し延べてきた。

 「よお。あんた、大丈夫かい?」

 そう問いかけてきたのは、野球帽を被った

少年であった。

 「う、うん。あ、ありがとう…」

 あまりの驚きに、美貴も言葉がうまく出て

こない。

 その少年は同じ歳ぐらいだろうか…。

 赤色の野球帽に、古いデザインのスタジア

ムジャンパー、中には白いトレーナーを着込

んでいる。下はジーンズに、白いスニーカー

をはいていた。

 美貴がまじまじと見ていると、少年も美貴

を見返してくる。その内に、少年が?という

ような表情を浮かべた。

 「へえ、あんた。生きている人間じゃない

か。何で、こんな所にいるんだよ?」

 「え?」

 いきなりの変な質問に、美貴はとっさに返

事できなかった。

   な、何だって言うのよ…?

 生きてる人間って、当たり前じゃない…。

 それとも、この世界に生きてる人間がいた

ら、おかしいとでも言うの?

 だいたい、あなただって、そこにいるじゃ

ないの。

  そ、それとも…?

 美貴はそこまで考えて、もう一度少年を見

つめ直した。どう見ても、普通の男の子であ

る。だが、どこか変な感じがする子だった。

 そこにあるようで、ないような感じ…。

 美貴は心の中で色々と考えながら、ジーッ

と少年を見つめたままであった。

 「おいおい、そんなに見つめるなよ」

 少年の声で、美貴は引き戻された。

 「あ…、ゴ、ゴメンなさい」

 思わず美貴があやまると、少年はニコリと

微笑んだ。その笑顔は、とてもさわやかに感

じられた。

    こんな笑い方をする子、いたっけ…?

    だいたい、学校で見たことがあったか…?

 美貴がそう思った時、ガガガッという音が

廊下に響き渡った。

 少年の出現に気をとられていたが、闘いは

まだ続行中だったのだ!

 少年の出現で攻撃のタイミングを外されて

しまった机たちは、一度引き下がって、態勢

を建て直しつつあった。今度は、お互いに組

み合わさって、まるで組み立て体操のピラミ

ッドのようになっている。

 「ほお…、面白いことするじゃん。でも、

この山本が来たからには、そう簡単にはいか

ないぜ!」

 少年が言うと、学校全体に動揺が走った。

 その様子は、霊感など全くない美貴にさえ

ハッキリと感じられるほどであった。

 『や、やまもとだ…』

 『やまもとが来たぞ…』

 廊下に震える声が響きわたった。

 『やまもとが来てしまった…』

 『いいや、来てくれたんだよ』

 どこからか、楽しそうな声がした。

 『そうだね、来てくれたのさ』

 『一緒に遊んでくれるよね…』

 『やまもと、遊ぼうよ…』

 『一緒に遊ぼうよ…』

 『一緒に遊ぼうよ…』

 『一緒に遊ぼうよ…』

 『一緒に遊ぼうよ…』

 廊下に不気味な声がうずまくように響き渡

る。いや、学校全体が震えていた。

 まるで地震にゆさぶられるような波動が、

校舎全体を震わせている。その波動に乗っか

るようにして、誰とも知れぬ不気味な声が、

輪唱のようにこだましていた。

 その声は、美貴にも聞こえていた。

 「な、何が起こっているの?」

 「連中が、興奮しまくっているのさ…」

 少年は学校中にうごめいている気配を感じ

取りながら、そう答えた。

 「…連中って?」

 美貴が聞くと、少年が振り向いた。

 「わかってるんだろ?」

 逆に問いかける少年の言葉に引きずられる

ように、美貴は絶対に信じたくなかった一言

を口にした。

 「よ、夜の王様…?」

 「大正解!」

 少年はニッコリと笑った。

 それを見て、あたふたと起き上がる美貴。

 「ちょ、ちょっと落ちついている場合じゃ

ないでしょ。どうして、夜の王様を相手にし

て余裕でいられるのよ!」

 「そんなにあわてるなよ。俺が来たんで、

連中もかなり興奮しているけど、半分はあん

たのせいだぜ」

 そう言って、少年は廊下の隅に固まってい

る粘土の残骸を指さした。

 「生きている人間で、ここまでやったのっ

て、あんたが初めてじゃないのかな?」

 「生きている人間って、あんただって、そ

うでしょうが!」

 「あれ、まだ分かってないのかよ?」

 「あ、あんた。もしかして、夜の王様の一

味なの?」

 美貴の言葉に、少年がずっこけた。

 「おいおい、そうじゃないって。俺をあん

な奴らと一緒にしないでくれよ」

 「…あなた、何者なの?」

 「俺は、山本って言うんだ。よろしくな」

 少年はそう言って、微笑んだ。

 

                             つづく