学校怪談

「夜の王様」

 

  第七章 黄昏の悪夢

 

 教室のカーテンを透かして、黄金色の光が

教室の中に射し込んできていた。

 この夕方の時間を「黄昏」と表現すること

もあるそうだが、まさにその言葉がふさわし

いと言えるだろう。

 校庭で遊んでいる子供のシルエットは、夕

日を浴びて、黄金の後光を背負っている。

 その周囲に生えた木々は、その影を黒々と

校舎にまで伸ばしていた。

 西に面した校舎の窓から見える景色は、光

と影とが織りなす美しき万華鏡と化し、見る

人の心を奪わずにはいられなかった。

 「きれいね…」

 窓辺に立つ少女は、思わずそうもらした。

 「でも陽が沈むわ。もうすぐ夜が来る…」

 そばに立つ少女は、そう答えた。

 沢村美貴と朝倉理恵の二人であった。

 

 「もう、理恵ったらムードないんだから」

 美貴が振り向いて、笑った。しかし、理恵

の方はすでに怯えきっていた。

 夕暮れの学校にいれば、夜の王様に捕まっ

てしまうと信じているため、この時間に教室

に残っていることを、まるで死刑を待ってい

るかのように考えているのだ。

 「もうすぐ、下校の時間だね」

 理恵の様子にため息をついた美貴は、話題

を変えるためにそう言った。

 「うん。飯島くんが消えたのも、こんな頃

だったわね」

 さっきから理恵はソワソワと教室の様子を

うかがっている。その目が段々と落ちつきを

無くしつつあるのが、よく分かった。

 「そんなに緊張してたら、本当に気がまい

っちゃうよ。少し、リラックスしてよ」

 「う、うん。そう思ってるんだけど…」

 どうやら、リラックスするところまで、気

がまわらないようであった。

 「ねえ、理恵…」

 美貴が話しかけると、やっと理恵はこちら

を向いた。

 「前に、夜の王様のことを話してた時があ

ったよね」

 放送部で取材することが決まった日、学校

の帰り道で話したことを言っているのだ。

 理恵もそれと分かり、うなずいた。

 「あの時さぁ、夜の王様は子供しか狙わな

いって、言ってたよね。何でなの?」

 美貴が聞くと、理恵は小首をかしげた。

 「わからないの。何故、子供しか狙わない

のか、あるいは子供にしか見えないのかも知

れないわね」

 「へえ、それって…。ほら、そういうお化

けって、いたじゃない。子供にしか見えなく

て、何て言ったっけ? 東北の…」

 「ザシキワラシ?」

 「そうそう、それそれ。もしかしたら、そ

ういうお化けじゃないの?」

 「でも、ザシキワラシって、子供の神様の

ことだよ。それに、ザシキワラシがいる場所

は良いことが起きるんだよ」

 「アニメで見たことあるわ。それがいる家

は栄えて、それがいなくなっちゃうとボロボ

ロになっちゃうんでしょ」

 「うん。だから、夜の王様とは違うと思う

な。だって、悪いことばっかりだもん」

 「そう言われれば、そうよねぇ…」

 美貴はウーンと考える。そして、ポンと手

を打った。

 「そうよ。理恵って、もう一人幽霊がいる

と言ってたわよね」

 「もう一人?」

 「そう。ほら、夜の王様が苦手にしてるっ

て言う…」

 「小学校を旅する少年の幽霊のこと?」

 「それよ。その少年はどうなの?」

 「うーん、よくわからないけど、違うと思

うな」

 「何でよ?」

 「何で?って言われても、困るけど…」

 理恵が本当に困ったような顔をする。

 「だって、その少年が来ると、夜の王様は

悪さが出来なくなっちゃうんでしょ。だった

ら、それは良いことじゃない」

 「う…ん。それはそうなんだけど…」

 どうも、理恵としては納得がいかないよう

である。そんな理恵にはおかまいなしで、美

貴は続けた。

 「そっかぁ。じゃあ、さっさとその少年が

来ればいいのにね」

 美貴が祈るようなポーズをして、そう言っ

た時だった。

 ガタァンッッ!

 大きな音をたてて、壁にかかっていた賞状

の額が落ちた。6年4組が校内陸上大会で優

勝した時にもらったものであった。

 ビックリして飛び上がってしまった二人の

足元にコロコロと、額を止めていたネジクギ

が転がってくる。

 「ビックリしたぁ…。いきなり落ちるんだ

もんねぇ」

 ネジクギを拾い上げながら、美貴が言う。

 「……」

 返事がないので、理恵を見ると、彼女は呆

然と立ち尽くしていた。顔色が蒼い。

 「ど、どうしたの、理恵?」

 「い、今のは警告よ。少年の幽霊の話なん

かするな、って言う…」

 「な、何言ってんのよ。今のは偶然ネジが

外れただけじゃないの」

 美貴は壁に近寄ると、落ちた額を拾い上げ

て、ネジを元の穴に入れようとした。

 「そ、そうかしら…」

 まだ怖がっているようで、震えた理恵の声

が聞こえる。ちょっと間があってから、美貴

はネジを強めにねじこむと、額を架けなおし

た。ポンポンとわざとらしく、手をはたきな

がら理恵の方へ振りかえる。

 「だいじょうぶよ。ネジが古くなってたみ

たい。明日になったら先生に言って、換えて

もらうようにしましょ」

 美貴の言葉に安心したのか、理恵がホッと

したような表情になる。

 しかし、美貴は心の中で別の事を考えてい

た。美貴が見た感じでは、ネジクギは新しい

ものであった。と言うより、思い出したので

ある。ついこの間、やはり同じように落ちた

ので、取り替えたばかりなのであった。

 美貴もその場でネジを打つところを見てい

た一人であった。だから、落ちる訳がないと

思っていた。もし可能性があるならば…。

 そこまで考えて、美貴はゾッとした。そし

て、そのことを理恵に気づかれてはならない

とも思う。パニックになるのは、日を見るよ

り明らかだからだ。

 もし、抜けたとしたら…。

  それは、ネジがひとりでに回って、抜けた

のに間違いないからであった…。

 

  キーン、コーン、カーン、コーン。

 下校を告げるチャイムが、学校の中に鳴り

響いた。以前は下校の時に音楽をかけていた

のだが、今では近所の住宅の苦情により、中

止されている。美貴は夕暮れに流れる「遠き

山に日は落ちて」のメロディが好きだったの

で、非常に残念に思っていた。

 「ついに下校時刻になっちゃたわね…」

 理恵の言葉に、美貴は感傷を振り払った。

 いよいよ、これからである。時計を見上げ

れば、午後4時半を指していた。裕一が音楽

室へと戻っていった時刻である。

 「ここにいるだけじゃ、仕方ないわね。学

校の中を少し歩いてみない?」

 美貴が時計から目を下ろすと、理恵が耳を

押さえて、うずくまっている。

 「ど、どうしたの?」

 あわてて駆け寄ると、理恵は真っ青な顔を

上げた。

 「い、いけない。夜の王様が騒いでいる」

 「え?」

 怪訝な顔をした美貴の腕を、ガッと理恵が

つかむ。強い力だった。

 「ダ、ダメだよ、美貴。学校中がザワザワ

と騒いでる。誰かを捕まえたくって、ウズウ

ズしているのが分かる…!」

 「な、何、言ってるのよ。私には何も聞こ

えてないわよ」

 「聞こえないの? この教室にうずまくよ

うな声を、廊下を渡っていく笑い声が!」

 美貴はあわてて廊下を見る。だが、そこに

は誰も歩いていない。人影もない。

 「い、いないじゃないの。理恵ったら、お

どかさないでよ」

 「笑ってるわよ。私たちを狙ってる…!」

 理恵の声は震え、体までが、見て分かるほ

どにガタガタと震えている。ものすごい脅え

ようである。

 「ちょっと、理恵。いい加減にしてよ!」

 美貴がイライラして言う。

 「どこにも、誰もいないじゃないの。よく

目を開けて、ご覧なさいよ。ほら!」

 理恵の腕をとって抱き起こすと、彼女の顔

は真っ青なのを通りこして、白くなりかけて

いた。

 「美貴…。急いで学校を出ましょ。ここに

いては、いけない!」

 理恵の蒼白な顔に一瞬驚いたものの、美貴

は落ちついて、声をかけた。

 「まだ、何も調べていないでしょ。ほら、

さっさとしないと、置いてっちゃうから」

 美貴はふざけて言ったつもりだったが、そ

れに反応して、理恵がしがみついてくる。

 「い、いやよ。こんな所で一人にしないで

ちょうだい。お願いだから…」

 「や、やあね。冗談に決まってるじゃない

のよ。ほら、し、しっかりしてよ」

 美貴の方がビックリしてしまい、しどろも

どろになってしまったぐらいだった。

 一人で置いていくと言ったのが、余りにも

効きすぎてしまったのか。理恵は美貴の側を

離れようとしなくなった。

 「ちょ、ちょっと理恵。あまり、しがみつ

かないでよ」

 まるで、いじめているみたいに思えてきた

美貴は、なるだけ優しく理恵に語りかけるよ

うにした。実際、それほどの理恵の怯えよう

だったのである。

 「う、うん。でも、置いていかないでね」

 理恵はおとなしく美貴にしがみつくのをや

めた。そういうのを見てると、美貴は調子が

狂ってしまうような感じがする。

 「と、とにかく、歩いてみようよ」

 美貴は理恵の肩をそっと抱くと、教室を出

ることにした。

 

 廊下には、人の気配がなかった。

 「あれぇ、めずらしいなぁ…」

 美貴は思わず、そうつぶやいた。

 今日は、妙に下校する生徒もすばやかった

ようである。普通なら、まだドタバタとして

いる生徒が一人や二人いるはずなのだ。

 確かに理恵が怖がっているのも分かる気が

する。普段、騒がしい校内を見慣れているだ

けに、静まり返った校舎は不気味だった。

 「行くよ、理恵」

 美貴は理恵をうながして、歩きはじめた。

 廊下に二人の足音が妙に響く。ゴム製の上

履きなのだから、足音などほとんどしないは

ずなのに、いやに自分の足音が気になる。

 そう思っていると、今度は自分の息をして

いる音まで気になってしまう。

 「しっかりしなさいよ、美貴」

 美貴は自分で自分に語りかけた。足音や息

づかいが気になっている自分が、おびえてい

る証拠だと気がついたからだった。

 二人は6年3組をすぎ、さらに2組、1組

と通りすぎて、階段をおりていく。

 階段にも、人の気配はなかった。

 6年4組の教室は、第2校舎の4階にあっ

た。特別教室が多いのは第1校舎であり、そ

こへ行くには中庭の渡り廊下を通らなければ

ならない。問題の音楽室も、理科室も、第1

校舎の方にある。

 美貴はとにかく裕一が消えたと思われる音

楽室の様子が見たくて、そちらへと向かって

いた。

 第2校舎の1階まで下りた時だった。

 「あ、あれは!」

 周りをキョロキョロしながら怯えていた理

恵が不意に大声をあげた。

 「な、なに?」

 いきなりの声にビックリした美貴が振り向

くと、理恵は向かいの第1校舎を指さしてい

る。美貴は指先を追って、目を動かした。

 「ああっ!」

 今度は美貴自身が大声をあげてしまった。

 無理もない。理恵が指さす先。すなわち、

第1校舎の3階の窓に裕一の姿を見たのであ

る。第1校舎の3階と言えば、音楽室のある

階である。

 「い、飯島くんっっ!」

 大声で呼んだが、声が聞こえなかっただろ

うか。裕一は、こちらを見もせずに歩いてい

くのだった。

 「こうしちゃ、いられないわ」

 美貴があわてて駆けだそうとするのを、理

恵が止めた。

 「な、何するのよ、理恵?」

 振り返った美貴に、理恵が首を振る。

 「だ、駄目だよ。行ったら、駄目…」

 「ば、馬鹿なことを言わないでよ。あそこ

に飯島くんが歩いているのよ。さっさと行か

ないと…!」

 「お、おかしいと思わないの?」

 「何をよ?」

 「だって、昨日から飯島くんは家に帰って

いないんだよ。それなのに、学校の中を歩い

ているなんて、おかしいよ…!」

 そう言われて、美貴は戸惑った。理恵の言

うことは確かである。だが、今の時点で裕一

がそこを歩いているのだ。会わない訳にはい

かなかった。

 「そ、それは、会って話せば分かるわよ」

 「だ、駄目だったら!」

 「離してよ。飯島くんが行っちゃう!」

 美貴の目は、3階の廊下を通り過ぎていく

裕一の姿を捉えていた。ここで見過ごしたら

会えなくなってしまうような気分が、美貴の

心に焦りを生んでいた。

 「理恵、離しなさいったらっ!」

 美貴は乱暴に理恵の手を振りほどくと、第

1校舎に向かって走りだした。

 「美貴っ!駄目よ!」

 理恵が絶叫に近い声で、叫ぶ。

 それでも美貴は足を止めなかった。

 「置いていかないでぇぇ!」

 理恵の声が背中を追いかけてくるが、美貴

は走りつづけた。

 「理恵、ゴメン…」

 美貴はそう謝りながら、走った。そうせず

にはいられなかった。裕一が歩いているのに

動揺して、他の何にも気が回らなくなってし

まっていたのだ。

 ちょっと考えれば、気がついたかもしれな

い。何かがおかしいことに…。

 理恵がこれだけ大騒ぎをしているのだ。職

員室に残っている先生たちが気づかないはず

がない。なのに、誰一人として出てくる気配

がない。まるで、この騒ぎが聞こえないかの

ようであった。

 そして、理恵が言っているように、裕一が

校舎の中を歩いていること自体がおかしいの

だ。昨日から騒ぎになっているのだ。校舎の

中にいたとは考えられない。それが夕暮れに

なった今の時間、校舎内をうろついているは

ずがないのだ。

 これらの不可解さに気づかなかったことを

美貴は後に大きく後悔することになる。

 「飯島くん!」

 階段を一気に駆け登った美貴は、3階にた

どりつくやいなや、そう叫んだ。

 だが、美貴の叫びは無人の空間に虚しく吸

い込まれていくだけだった。

 その階には、誰もいなかったのだった。

 「い、飯島くん…?」

 美貴はあわてて、階段に一番近い教室であ

る3年1組の教室のドアを開けた。

 そこには、やはり誰もいなかった。

 「飯島くん、どこにいるの?」

 あわてて次の教室へと走る。3年2組の教

室にも、3年3組の教室にも、そして4組の

教室にも、裕一の姿はなかった。

  誰の姿もなく、そこに人がいたという気配

すらもなかった。

 「ど、どういうことなの?」

 狐につままれた思いで、4組の教室を出た

美貴は最後に突き当たりの音楽室のドアに手

をかけた。ドアにカギはかかっていないこと

が分かる。少しずつ芽生えた不安が恐怖に変

わりつつあったが、美貴は勇気を出して、ド

アを開けた。

 「飯島くん!」

 開けると同時に叫んだ美貴の声は、やはり

無人の空間に響いただけだった。音楽室の中

にも裕一の姿はなく、人の気配すらない。

 「変だわ。4階に行ったのかしら…?」

 そうつぶやいて、戻ろうとした時だった。

 「美貴!」

 遠くから、自分を呼ぶ声がした。

 「だれ?」

 ビクッとして、見回す。

  だが、その声は部屋の中ではなく、外から

聞こえるものであった。

 「美貴ィ!」

 理恵の声だった。美貴はあわてて、窓のそ

ばに駆け寄ると、第2校舎の方を見た。

 そして、そこに思いもよらないような光景

を見たのであった。

 「美貴ィ…!」

 理恵がそう言いながら、手を振っていた。

 そして、その横で手を振っているのは…。

 「い、飯島くん!?」

 美貴が叫んだのも無理はない。理恵の横で

手を振っているのは、他ならぬ裕一だったの

である。

 二人は並んで、笑顔で手を振っていた。

 「美貴ィ…!」

 これだけの大騒ぎをしながら、笑顔でかけ

てくる呼び声も脳天気だった。

 「ちょっと、どういうことなの?」

 美貴はそう言うと、音楽室を飛び出した。

 廊下をダッシュし、階段を駆け降りる。

 何で、裕一があそこにいるの?

 何で、理恵と一緒に手を振ってるの?

 何で、こんな時に笑っていられるのよ?

 何で、何で、何で、何で、何で…!

 頭をうずまく疑問の嵐に、美貴は混乱しな

がら走っていた。

 だが、欠落していた疑問もある。それは極

めて重要で、重大な疑問のはずだったが、残

念なことに美貴の頭からは消えていた。

 何故、裕一とすれ違わなかったのか?

 第1校舎の階段は一つしかない。第1校舎

と第2校舎をつなぐ渡り廊下も、一本しかな

いのである。そして、美貴はそこを走ってき

たのである。もし裕一が第2校舎にいるとし

たら、当然すれ違うはずであった。

 だが、美貴はすれ違わなかった!

 この重大な疑問に美貴は気づかなかったの

であった…。

 

 「理恵、飯島くん! どういうつもり!」

 第2校舎の一階にたどりついた美貴は、廊

下の角を曲がるやいなや、そう叫んだ。

 だが、その叫びもまた、さっきと同じよう

に無人の空間に吸い込まれていった。

 さっきまでいたはずの廊下には、理恵の姿

も、裕一の姿もなかったのである。

 「理恵! 飯島くん!」

 名前を呼ぶ声に応える者はいなかった。廊

下に人影はなく、気配すらなかった。

 「どこにいるの?」

 美貴は声をかけながら、近くの教室のドア

を開けた。だが、誰もいない。

 「理恵、どこなの?」

 次の1年2組の教室のドアを開ける。しか

し、その教室にも誰もいなかった。

 この季節の日没は早い。夕暮れだったはず

なのに、もう教室の中に陽は射し込んでいな

かった。すでに闇の色が教室全体を塗りつぶ

しつつあった。

 クスクスクスクス…。

 どこからか、笑う声が聞こえた。

 「理恵なの?」

 あわてて廊下に飛び出し、左右を見渡した

が、やはり誰もいなかった。

 美貴の気持ちの中に、焦りとは別に、怒り

に似た感情がわきおこりつつあった。

 理恵と裕一にからかわれているのではない

かと疑い始めたのである。

 「ふざけてないで、出てきなさいよ!」

 美貴が怒鳴った。

 今までの状況を総合して考えれば、当然の

結論であった。

 理恵と裕一がグルになって、どういうつも

りか知らないが、美貴を怖がらせて楽しんで

いる。

 そう思うのが普通だった。そうでなければ

笑顔で手を振っていた二人の様子の説明がつ

かない。

 クスクスクスクスクス…。

 またしても、笑い声が聞こえた。隠れて、

イタズラの様子を見物している時のような忍

び笑いの声だった。

 「いい加減にしなさいよ!」

 美貴がキレて、怒鳴る。

 クスクスクスクスクスクスクス…。

 美貴の怒りを煽るかのように、笑い声が続

いていた。美貴は自分をあざ笑う声に、怒り

をあらわにしながら、周囲をにらみ回した。

 そして、ついに物陰からのぞく顔を見つけ

た。それは理恵であった。

 「理恵!あなた、どういうつもりなの?」

 そう言いながら、近づきかけた美貴は不意

に足を止めた。

 「あれ?」

 廊下の曲がり角からのぞく理恵と向かい合

いながら、美貴は不思議なことに気づいた。

 理恵って、あんなに背が高かったっけ?

 確か、私より5センチ位は低かったはずよ

ね。夏休み明けの健康診断で計ったばかりだ

し、一緒に帰る時も、理恵の背たけは私の肩

ぐらいまでしかなかったはず…。

 だったら…。

 美貴はそこまで思って、もう一度理恵を見

た。

 だったら、何で…。

 あんな高いところから顔を出してるの?

 背筋に戦慄が走る。

 理恵はほとんど天井につくような高さから

顔をのぞかせていたのである。

 口許に微笑をたたえながらのぞく顔の位置

は、明らかに高すぎた…。

 「り、理恵…」

 美貴がそう呼びかけたと同時に、スッと理

恵の顔が壁の向こう側へと引っ込む。

 「理恵!」

 あわてて追いかけた美貴は、その曲がり角

を曲がった途端に足を止めた。

 「え…? …う、うそ…」

 美貴が信じられないというような顔でつぶ

やいた。

 そこに理恵の姿はなく、第1校舎への渡り

廊下となっていたのだ。もちろん渡り廊下は

一本道で姿を隠すような所はどこにもない。

 「理恵はどこに行ったのかしら?」

 呆然とたちつくした美貴がそう言った時、

いきなり誰かが耳元でささやいた。

 「美貴…」

 あわてて振り向くが、誰もいない。だが、

今の声には聞き覚えがある。今のは、理恵の

声であった。

 「理恵、ふざけているの?」

 美貴の声に応えたのは、忍び笑いだった。

 クスクスクスクスクスクス…。

 男とも、女とも、子供とも、大人ともつか

ないような微かな笑い声だった。

 「もういい…。わかったわよ…」

 不気味さを感じる一方で、悔しさと哀しさ

が入り交じった感情がわきあがってくる。

 「理恵…。あなたがそんなイジわるな子だ

とは思わなかったわ…」

 美貴の目から一筋の涙が線を引いた。

 それすらも笑うように、笑い声が続く。

 「勝手にしなさいよ。もう知らない!」

 美貴はそう叫ぶと、ダッと駆けだした。

 バカ…、バカ、バカ、バカバカ…!

 心の中で泣き叫びながら、美貴は振り返り

もせずに校舎を飛び出していった。

 アハハハハハ…。アハハハハ…。

 幾重にも重なる笑い声が、そんな美貴の背

中を追いかけながら、消えていった…。

 

 美貴が去った後、無人の廊下に声が聞こえ

はじめた。

 『へえ…、おどろかなかったねぇ…』

 それは、微かな声であった。

 『あれを見たら、普通ならこわがるはずな

んだけどなぁ…』

 どこから聞こえてくるのだろうか。

 『おもしろいね…、美貴って子…』

 『あの子と、もっと遊びたいね…』

 『遊びたいね…』

 『遊びたいね…』

 『遊びたいね…』

 『遊びたいね…』

 いくつもの声が重なって、響く…。

 『だいじょうぶさ…』

 『そうさ。あの子はまた来るよ』

 『あの子はまた来るよ』

 『あの子はまた来るよ』

 『あの子はまた来るよ』

 不気味な声のハーモニーだった…。

 『だって…』

 『あの子の友達はここにいるんだもの』

 『友達はここにいるもの…』

 『友達はここにいるもの…』

 『友達はここにいるもの…』

 輪唱する声に囲まれて、教室の隅に横たわ

る人影があった。理恵と裕一だった。

 『あの子と遊べるかな…?』

 天井の方から、声は聞こえた…。

 『だいじょうぶ。きっと来るよ』

 壁の奥から、その声は応えた…。

 『きっと、あの子は来るさ…』

 机の中から、声がつぶやいた…。

 『理恵ちゃんも…』

 『裕一くんも…』

 『二人とも、ここにいるから…』

 校舎のあちこちから、声がこだました。

 『きっと、あの子は来るさ…』

 『きっと、あの子は来るさ…』

 『きっと、あの子は来るさ…』

 『きっと、あの子は来るさ…』

 クスクスクスクス…。

 笑い声が響き、最後の一言だけが残った。

 

 『ぼくたち…、夜の王様と遊びにね…』

 

                                                 つづく