学校怪談

「夜の王様」

 

   第八章「たすけて…」

 

 翌朝。いつものザワめく教室の中で、美貴

は机に突っ伏していた。

 理恵に会ったら、どんな顔をしよう?

 たぶん、飯島くんも来るだろう…。

 二人に会って、何を話せばいいのか?

 美貴はそんな事を考えながら、眠そうな目

をこすった。昨日の夜は、ベッドに入ったま

ま泣き明かしてしまったので、少しも寝てい

なかった。ただでさえ、泣きはらした目が重

たいのに、朝になったら眠気までが襲ってき

ていた。

 「どうしよ…。頭、重いなぁ…」

 美貴はボソッとつぶやきながら、理恵の席

を見た。理恵はまだ来ていなかった。裕一も

来ていない。

 「もうバレてんだから、さっさと来ればい

いのに…」

 美貴はそう言うと、目を閉じた。

 

 キーン、コーン、カーン、コーン。

 予鈴の音で目を開けた美貴だったが、いま

だに理恵と裕一が来ていないのに驚く。

 「ねえ、理恵って来てないの?」

 急いで、隣の席の女の子に聞くが、その子

も首をふるだけだった。

 おかしいなぁ…。

 そう思った時、ガラリとドアが開いて、水

口先生が入ってきた。前よりも、一層やつれ

た顔をしていた。目の下にはクマができてい

て、可愛いはずの顔が台無しだった。

 「起立、礼」

 あいさつが終わって、ガタガタと音をたて

ながら生徒が席につきおわるのを待って、水

口先生は言った。

 「飯島裕一くんも見つかっていないのに、

残念なお知らせです。昨日から、今度は朝倉

理恵さんが家に帰っていません。何か心あた

りのある人は、先生まで知らせて下さい」

 「ウソよっっ!」

 思わず、美貴は立ち上がっていた。

 「沢村さん。どうしたの?」

 先生が問いかけるのも構わず、美貴は激し

く首を左右に振った。

 「ウソ…。ウソですよ、そんなの!」

 「沢村さん。信じたくないのは、先生も同

じです。飯島くんに続いて、朝倉さんまでな

んて…」

 「そ、そうじゃなくて…」

 「何か、心あたりでもあるのですか?」

 「い…いえ…」

 先生に聞かれて、美貴は答えずに座ってし

まった。それにどうせ答えても、信じてはく

れないだろう…と思っていた。

 美貴自身が信じられないのだから…。

 まさか、家に帰っていないとは…。

 確かに昨日の放課後、裕一と理恵を目撃し

たが、それとて、マトモな状況とはとうてい

思えなかった。

 そうだった…。からかわれていたと考える

にしては、あまりにも変だった…。

 美貴は今になって、昨日のことに疑問を抱

きはじめたのだった。

 変だ…。

 どう考えても、おかしい…。

 理恵と裕一があんな悪戯をする訳がない。

 だったら、昨日見たのは、何?

 あれは、本当に裕一だったのか?

 あれは、本当に理恵だったのか?

 美貴は自分の想像に恐ろしくなって、身を

震わせた。

 もしかしたら…。

 いや…、信じたくないが…。

 もしかすると…。

 二人とも、夜の王様に捕まった?

 美貴はそう思った自分を否定しようとがん

ばったが、どうしても心の不安をぬぐい去る

ことは出来なかったのだった。

 

 一時間目が過ぎ、二時間目になった頃、美

貴は猛烈な睡魔に襲われていた。

 少しでも油断すると、カクッといってしま

いそうな感じだった。目の前のものが、二重

に見えてくるような気がして、何度も目をこ

すっていた。

 算数の授業中であり、黒板に水口先生が練

習問題を書いていた。

 「やばいなぁ…」

 そうつぶやいて、目をこすった美貴は、黒

板を見て、息が止まるかと思った。

 黒板に一面に書かれた無数の文字。

 たすけて たすけて たすけて たすけて

 たすけて たすけて たすけて たすけて

 たすけて たすけて たすけて たすけて

 たすけて たすけて たすけて たすけて

 確かにそう書かれていた。

 練習問題を書いているはずの先生が、その

言葉をチョークで無数に書きつづけている。

 呆然と見つめる美貴には、その字に見覚え

があった。そして、その字は…。

 「理恵っっ!」

 思わず、美貴は叫んでいた。それは明らか

に理恵の字だったのだ。

 「さ、沢村さん!どうしたの?」

 水口先生の声で、美貴はハッと我にかえっ

た。目をこすって、前を見る。

 教壇から先生が美貴を見ていた。クラスの

全員が美貴の方を見ていた。

 そして、黒板には練習問題の数式しか書か

れていなかったのである。

 「い…いえ…。何でもありません…」

 美貴はそう言って、ペコリと頭を下げると

着席した。身体が震えてしまう…。

 「沢村さん。気分でも悪いの?」

 水口先生が心配そうに声をかけてくるが、

美貴は黙って首を振るしか出来なかった。

 確かに見えたのだ。黒板一面に書かれた理

恵の字を。「たすけて」という救いを求める

メッセージを…。

 何かが起こっている…。

 美貴はそう思った。思わざるを得なかった

のである。

 この緑ヶ丘小学校の中で、不思議なことが

起こっていることを、もはや否定のしようが

なかった。

 もし、それを否定するのだとしたら、それ

は美貴自身がおかしくなっているとしか言い

ようがない。しかし、そんな事はない。

 ならば、この校舎の中に何かが起こってい

ることを認めねばならないのだ。

 サッカーボールを追いかけて、歓声を上げ

て生徒たちが走るグラウンドではない…。

 跳び箱を飛べない子供を励ます声が響く体

育館の中でもない…。

 授業で子供たちがソプラノリコーダーの合

奏を行っている音楽室でもなかった…。

 夕闇に閉ざされ、夜という名の暗黒の支配

を受けた学校の中で起こっているのだ。

 夜の学校という別の世界の中で…!

 そして、美貴は理恵が言っていたことを初

めて信じようと思うのだった。

 

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると同

時に、美貴は教室を出た。何かを思い詰めた

ような表情で、早足に階段を下る。その様子

は、別のクラスの友人が声をかけるのをため

らうほどであった。

 美貴は中庭の一角に建てられたプレハブへ

と入っていった。ガラッとドアを開くと、む

せかえるようなイグサを組んだ畳の香りと、

ムッとするような汗の臭いがする。それは独

特の臭いであった。

 察しの通り、道場である。緑ヶ丘小学校は

スポーツの盛んな学校であるため、このよう

な設備が充実している。この道場は、剣道ク

ラブと柔道クラブ、それに空手クラブの3つ

が兼用している練習場であった。

 美貴は道場の中を見渡すと、壁際の方へと

歩いていった。

 壁にはたくさんの竹刀が立てかけられてい

た。美貴は、その内の一本を手にした。

 「えいっ!」

 掛け声と共に降られた竹刀が、風を切って

うなった。別にやったことはないが、パワー

なら自信はある。同じ六年の男子と腕相撲を

しても、かなりの白星を上げていた。

 「これが役に立つとは思えないけど…」

 美貴の手がもう一度動いて、竹刀が風を再

び切り裂くと、ピタリと止まった。

 「ないよりは、マシね…」

 つぶやく美貴の目は真剣だった。

 この竹刀を手に、夜の学校に乗り込もうと

する美貴の意思の現れでもあった。

 何度か素振りをして、ある一本を選ぶと、

その竹刀を窓から、外の茂みへと投げた。

 「後は夜になるのを待つだけね」

 美貴が武器を探し終えると、ちょうど三時

間目の開始を告げるチャイムが鳴った。

 「さて、教室にもどらなきゃ」

 そう言って、美貴は出口に向かった。

 バタンとドアが閉じて、美貴の足音が遠ざ

かっていく。

 しばらくして、声が聞こえた…。

 『面白い子だね…』

 『僕たちと遊んでくれるみたいだね』

 『今日かな?』

 『今日だろう…』

 『今日か…』

 『楽しみだね…』

 『楽しみだね…』

 『楽しみだね…』

 不気味な声が道場の中に重なっていく。

 そして、クスクスクスクス…と笑う声がし

ばらく続いたのだった…。

                           つづく