天正妖戦記

十蔵の剣

 

第三回 猛襲! 妖忍三人衆!

 

 夜は平等である。

 そのように言った古代の哲学者がいた。

 陽の当たる場所にいられる人間は限られて

いるが、夜はあらゆる人に等しく「闇」を与

えてくれるからだと言う。

 だからこそ、夜は優しいのだ…!

 そう言った哲学者は、太陽の光を一度も見

ることなく暗い牢獄の中で一生を終えた。

 しかし、夜もまた平等ではない。闇の中に

生き、闇の中でこそ真価を発揮する者たちが

いるのである。彼らにとって、夜は庇護者で

あり、最も信頼に価する友であった。

 多くの人は闇に怯え、闇を恐れる。それは

人間が文明を知らず、冷えた洞窟の奥で猛獣

の牙に怯えていた頃からの遺伝された記憶な

のかもしれない。だからこそ、人間は火を覚

え、武器を手にすることを知ったのである。

 人間は潜在的に知っているのだ。闇には自

分たちを凌駕する恐るべき何かが存在してい

ることを…。その忌まわしい何かが自分たち

を狙っているということを…。

 だが、そうでない人間もいる。いや、人間

と呼んでいいのかは厳密ではない。

 少なくとも、彼ら=妖忍衆にとって、闇は

心地よい場所であり、故郷であった。

 彼ら自身が恐れられる存在であり、闇その

ものなのだから…。

 

 パチパチと火の粉が爆ぜた。

 細々と燃える囲炉裏の火に、折られた小枝

がくべられる。小枝に炎が移り、ポッと炎が

燃え上がった。

 荒れ果てた部屋に3人の男女がいた。はが

れかけた板壁や打ち捨てられた農機具などか

ら、放棄された農家のように思えた。恐らく

は戦火に巻き込まれ、住人が逃げ出してしま

った跡なのだろう。こうして、国そのものが

徐々に荒れ果てていくのである。

 小さく火が燃える囲炉裏を囲むように座っ

ているのは十蔵と楓である。楓の膝枕には男

の子がスヤスヤと眠っていた。

 「この子は、自分の城が落ちたことを知っ

ているのかしら…?」

 男の子の頭を撫でながら、楓がつぶやく。

 安らかな寝息をたてている男の子こそ、織

田信長に滅ぼされた浅井長政の嫡男にして、

浅井家再興の切り札。万福丸であった。

 楓は十蔵をチラリと見る。

 「………」

 十蔵は無言でポキポキと小枝を折ると、無

造作に囲炉裏へと投じた。微かに大きくなっ

た炎に浮かぶ顔からは表情が読めない。

 「そうね…。あなたには関係ないわね…」

 楓はそう言って、小さくため息をつく。

 「その通りだ」

 十蔵は短く答え、新たな小枝をポキリと折

ると、囲炉裏の中に投げ込んだ。

 ハッキリ言われて、楓がカチンとくる。

 「随分と冷たいのね。私がサムライと見込

んだのは、間違いだったのかしら?」

 「お前も随分と忍者らしくないがな…」

 「ど、どういう意味よ?」

 「忍びというのは、もっと冷酷なものだと

思っていた」

 「……」

 「もっと用心深くなければ、忍者はいけな

いんじゃないのか?」

 「う、うるさいわね!」

 楓が遮る。言われなくても、十分に分かっ

ていることであった。理屈としては…。

 十蔵の言うように、忍者はもっと計算高く

行動するものである。刻々と変化する情勢を

見据え、自分を不利な状況に置かないように

心掛けるはずであった。

 甲賀忍者であるはずの楓の行動は、確かに

忍者とは思えない。だいたい、見知らぬ男に

自分たちの安全を託すようなことがあっては

ならないのである。

 忍者は誰も信じてはならない。

 必要ならば、親を疑い、子を騙し、恋人を

も裏切る。そうでなければ、この乱世を生き

抜くことなど、到底かなわぬ夢だった。

 考え込む楓を見て、十蔵が続ける。

 「俺が妖忍衆と戦っているからと言って、

お前たちの味方である保証はないぞ」

 「そ…、それも分かってるわよ」

 「俺は助けるとは、言っていない」

 「わかってる…って、言ってるでしょ!」

 楓がつい大声になる。平常心を失っている

ことも、忍者失格だった。

 『わたしたちを守ってください』

 楓がそう頼んだ時、十蔵はあっさりと拒否

した。「他人を守る余裕などない」と…。

 そう言われた以上は、自分たちが助かる最

善の方法を他に探すべきである。自分たちを

助けてくれない人間と同道したところで、意

味はないはずだった。

 だが、現実に楓は十蔵についてきている。

 楓にも分からなかった。理屈でどうこう言

える問題ではなかった。

 ただ言えるのは、人間とは思えない妖忍衆

の姿を見た瞬間、自分には万福丸を守りきれ

ないと直感したのだった。そして、妖忍衆と

戦う十蔵の姿を見た瞬間、自分たちが生き残

る手段はこれしかないと確信したのだ。

 それは本能と言うべきものだったのかもし

れない。楓は本能が告げた直感が間違ってい

たとは思えない。しかし、ぶっきらぼうな十

蔵の様子に、微かな失望を感じていたことも

また確かであった…。

 「もう…。人の気も知らないで…」

 十蔵に聞こえない声で、楓がボヤく。忍者

とは言え、まだ二十歳前である。大人になり

きれない少女の部分が残っていた。

 「さっきの質問だが…」

 十蔵が不意に言った。

 「え?」

 楓がハッと顔をあげる。

 「そんな子供が、すでに落ちてしまった城

を気にする必要があるのか…?」

 「え…?」

 楓がキョトンとする。十蔵は囲炉裏に小枝

をくべる手を止めて、楓を見た。

 「そ、そんなの当たり前でしょ」

 「当たり前…か。だが、落ちた城に思いを

残すことが、その子の命を縮めるぞ」

 「………」

 「本当に生き延びさせたいのならば、二度

と城を思い出させないことだ…」

 「そういうわけにはいかないわ。この子は

浅井家の嫡男なんだもの…」

 「滅びた家を継がせるのか?」

 「この子が生きていることが、御家を再興

させる唯一の希望となるのよ!」

 織田軍が放った炎の中で、家臣たちが自分

らの命と引き換えに万福丸を脱出させた真意

はそこに尽きる。その思いを託された楓は、

必ず万福丸を生き長らえさせなければならな

いのだった。それが楓の使命であり、生き抜

く意味でもあった。

 「そういうものか…」

 十蔵がつぶやく。わざと感情を押し殺して

いるのか、憮然とした言葉だった。

 「当たり前よ!」

 「そうか…。そうだろうな…」

 妙な自問自答をして、十蔵は手の小枝をポ

キリと折った。小さくなった小枝が囲炉裏に

投じられ、新たな炎を上げた。

 「……?」

 楓が首をかしげる。

 しかし、十蔵がそれ以上のことを口にする

ことはなかった…。

 

 漆黒に霞む森の中を妖しい影が疾風のごと

く駆け抜けていく。十蔵たちが逗留している

廃屋からはそう遠くない地点であり、影はそ

の方角を確実に捉えているようだ。

 「フフフ…、近い。近いぞ…!」

 疾駆する影はそう笑いながら、人の形に変

わっていく。それは小谷城で、妖神父ソルガ

ティの側にいた妖忍の一人だった。

 確か、ムササビ道軒(むささびどうけん)

と呼ばれていた男である。痩せた感じの暗い

雰囲気を持つ妖忍であった。ソルガティや他

の二人に先行する形で、十蔵たちを追ってき

たに違いない。暗い闇の中でも、普通に道を

進むように木々の間を駆け抜けていく。

 「ム…?」

 不思議な気配にムササビ道軒が唸る。

 山中を疾駆する道軒の周りを、幾つもの小

さな影が並走し始める。それは野猿の群れで

あった。いつの間にか、野猿のテリトリーに

道軒は踏み込んでしまっていたようだ。

 キィッッ! キキッッ! キキィッッ!

 興奮した叫びが森に広がっていく。道軒を

取り巻く影は次々に増え、ピリピリと肌を刺

すような殺気に満ちていく。

 「うるさいヤツラだ…。我が行く手を阻む

モノには、死あるのみだぞ」

 警告したところで、言葉の通じない野猿の

群れが聞く訳がない。自分たちのテリトリー

を荒らされたことに対する怒りと憎悪に満ち

た獣の気配が道軒を押し包んでいく…。

 キキキキィィッッ!

 野猿の一頭が、道軒の頭上から襲いかかっ

た。たかが猿と侮ってはいけない。その爪と

牙は、下手な肉食獣より始末が悪い。

 「ギャアッッ!」

 絶叫と共に、黒い影が地面へと落ちる。濃

密な血の匂いが、森の中に漂った。

 そして、地面にドサリと叩きつけられたの

は、血まみれの猿の死骸であった。

 「バカめ…。こんな所で貴様らと遊んでい

るヒマはないのだ」

 ムササビ道軒の手首から、鋭い鎌状の刃が

生えていた。その刃で野猿を一刀に斬り捨て

たに違いない。刃先から滴る血をベロリと舐

めながら、道軒は陰惨な笑みを浮かべた。

 キキーッ! キキキーッッ!

 仲間の死に興奮した野猿たちは、さらに鳴

き声を大きくし、殺気を漲らせた。

 「このムササビ道軒に歯向かう気か…。な

らば、一頭残らず地獄に送ってやる」

 つぶやいた妖忍、ムササビ道軒が両手を広

げた。そこには薄膜のような翼が広がってお

り、一気に風をはらんだムササビ道軒は空へ

と舞い上がった。

 梢から梢へ。木から木へ。枝から枝へ。

 ジャンプを繰り返すようにして、ムササビ

道軒は明らかに空を飛んでいた。

 滑るように飛んでいく道軒の顔が、次第に

獣のように変化していく。赤茶色の細かい毛

に覆われた逆三角形の顔に…。

 名のごとく、その姿、まさにムササビ!

 「猿どもめ、私と会ったのは不運よな」

 滑空するムササビ道軒が野猿の群れの間を

すり抜けていく。

 木々の下に生えている小さな灌木。その葉

にポツポツと雨がしぶいた。夜露のように輝

く水滴は、深紅のルビーのようだった。

 降り注いだのは、血の雨だったのだ…。

 同時にドサリ…、ドサリ…と猿たちの死骸

が降ってくる。

 「フハハハハハ…」

 血の匂いがたちこめる森を、ムササビ道軒

の高らかな哄笑が遠くなっていった。

 

 囲炉裏にくべる小枝を折っていた十蔵の手

がピタリと止まった。

 「……?」

 気づいた楓が、十蔵の様子に首を傾げる。

 十蔵は刀を手にし、静かに森の方へと目を

向けた。すでに止め紐は外れており、いつで

も抜き放てる状態になっている。只事でない

ことは確かだった。

 「どうしたの?」

 楓が身体を起こそうとすると、十蔵は左手

でその動きを制した。

 「森が騒がしい…」

 十蔵がポツリと言う。風が殺気を運んでく

るのを、十蔵の感覚は捉えていた。風の中に

は微妙な血の気配が含まれていた。

 刀を手に、十蔵が静かに戸口に向かう。

 「十蔵…?」

 「楓と言ったな…。俺が森に向かったら、

すぐにここを立ち去るんだ」

 「え…?」

 「気づかないのか?」

 「何を…?」

 楓が気配を探る。やがて、その顔が驚きと

緊張に包まれていく。

 「な、何? このイヤな気配は…?」

 「奴らだ」

 その一言で十分だった。

 楓の顔が引き締まった。腰にさした短めの

忍者刀に手をかける。

 「そんな物では役にたたん。それに子供を

連れて、戦えると言うのか?」

 言われて、楓は膝に眠る万福丸に目を落と

した。確かに、子供と一緒に満足な闘いが出

来ようはずもない。

 「奴らは、俺が相手をする。戦っている間

に、さっさと逃げろ」

 「でも…!」

 「お前の任務は、その子を守ることじゃな

かったのか?」

 「………」

 楓が何も言えなくなる。

 十蔵はそれを見ると、戸をガラリと開けて

出ていった。

 「十蔵っっ!」

 楓が叫んだ時には、すでに十蔵の姿は夜の

闇の中へと消えていた。

 

 八月も終わりとは言え、まだまだ蒸し暑さ

の残る頃だ。生い茂った草の間からは、夏か

ら秋への変わり目を告げる虫たちの合唱が耳

障りなほどに聞こえていた。

 サクサクと草を踏みしめながら、十蔵は森

を歩んでいく。刀は無造作に左手の中だ。

 そして、不意に虫の声が止んだ…。

 「………」

 十蔵が刀の鯉口をカチリと切った。

 微かに覗いた白刃が、葉を透かすように照

らす月の光に輝く。その途端!

 ザザザザザザザッッッ!

 何かが木々の枝葉を散らして、十蔵の頭上

から降ってきた。

 白刃が一閃! 頭上の物体は真っ二つとな

り、血を撒き散らした。

 「猿の死骸か…!」

 十蔵が斬ったものを見て、チッと舌打つ。

 「フハハハ…、かかったな!」

 その隙をつくかのように、別方向から黒い

影が襲いかかった。

 刀を振り向ける暇もない。鋭い痛みが十蔵

の背中に走り、血が飛び散った。

 一撃を加えた影はそのまま飛び去り、急上

昇しながら、別の枝へと移動する。

 「妖忍か…」

 背中の傷を顔をしかめつつも、十蔵は刀を

樹上の敵に向けた。そこには両腕の下に薄い

膜のような翼を持った怪人がいた。

 飛行妖忍、ムササビ道軒である。その両腕

の鎌刃が血に濡れた輝きを放っている。

 「十蔵! 貴様、織田に歯向かった浅井家

の小僧をかくまっておるであろう」

 「そんなことは知らねぇな…」

 十蔵はあっさりと答える。

 「嘘をつくな。お主が狒々翁を斃したこと

は分かっておるのだ」

 「猿男を斬ったのは覚えてるがな。浅井の

小僧なんてものは、知らないよ」

 「あくまで、とぼける気か。ならば、直接

に貴様の身体に聞いてやろう!」

 そう言うが早いか、ムササビ道軒の身体が

宙に舞った。血刃をきらめかせ、十蔵へと一

直線に飛び掛かってくる。

 「俺はいつも一人さ…」

 十蔵はポツリとつぶやいて、迫り来るムサ

サビ道軒へと刀を構えた。

 「切り刻んでくれるわっっ!」

 ムササビ道軒が滑るように飛んでくる。

 ギュキィィンンッッ!

 鎌刃と十蔵の刀がぶつかった。だが、滑空

してくるスピードを上乗せした道軒のパワー

が十蔵を上回っていた。

 「うおおっっ!」

 押され負けした十蔵がヨロめく。その瞬間

に十蔵の右肩が切り裂かれた。

 「フハハハハ…。そんな腕で、この道軒の

攻撃を防げると思うてか!」

 急降下で一撃を加えた道軒は、再び急上昇

して、別の梢に移った。のも束の間、またも

十蔵に滑空を開始する。

 ズバアアッッ!

 今度は左肩であった。猫が鼠を弄ぶように

ジックリと責め苛もうとしている。

 「どうだ? 浅井の小僧の居場所を教える

気になったか?」

 「知らんものは知らんね…」

 ドシュッ!

 さらに背中に新たな一撃。着物が一文字に

裂かれて、みるみる赤く染まっていく。

 「次はどこがいい? 腕か? 足か? そ

れとも、その首を斬り落として欲しいか?」

 枝から枝へ、木から木へ。次々に場所を移

しながら、ムササビ道軒の攻撃が続く。

 受ける十蔵は、すでに身体中を血に染めて

いた。いずれの傷も致命傷ではない。あくま

でも遊び殺そうとする道軒の意図は明らかす

ぎるほどである。

 「フハハハハ…。こんなヤツに独角鬼たち

がやられたとは、解せんな」

 「…お前もいずれ、分かる」

 十蔵が答えた。まだ、その目は戦う意思を

少しも失っていない。

 「ほざけえっっ!」

 ムササビ道軒が跳ぶ。

 「神陰流、『矢車(やぐるま)』!」

 その途端、十蔵の手から刀が飛んだ。

 刀は回転しつつ、ムササビ道軒へと一直線

に飛んでいく。まるで、意思ある物のように

狙いは正確であった。だが…。

 「無駄だっっ!」

 ムササビ道軒は身体をひねり、あっさりと

かわしてしまう。虚しく、刀は暗い森の彼方

に弧を描くように消えていくのだった…。

 「あれが、貴様の技か?」

 呆れたように笑ったムササビ道軒はそのま

ま十蔵へと滑空し、新たな一撃を加える。切

り裂かれた十蔵の胸に血の華が散った。

 ……キュ…ゥゥウウウンンッッ!

 不意に風を切る音がした。なんと先程の刀

が程の刀が戻ってきたのである。ブーメラン

のように弧を描いた刀の軌道は、ムササビ道

軒の背後へとピタリと狙いを当てていた。

 それを横目でチラリと見やり、

 「戻ってくる刀で俺を斃す気か? そのよ

うな小細工は通用せぬわ」

 腕を大きく広げた道軒の身体が空へと舞い

上がった。戻ってきた刀は、道軒が去った空

間を虚しく通過し、十蔵の手へと帰る。

 「フハハハ…、残念だったな!」

 新たな梢を目指して飛翔するムササビ道軒

の哄笑が降り注いだ。

 「さぁ、どうかな…?」

 十蔵がつぶやく。まるで自分の技がかわさ

れたと思っていないような強い意思を込めた

輝きを、その目に宿していた。

 「減らず口を…!」

 十蔵の目に、怒りを剥きだす道軒。

 「もはや、遊ぶのも飽きた。次の一撃で決

めてくれようぞっっ!」

 急上昇し、大きな一振りの枝へと飛びなが

ら、ムササビ道軒が宣告する。

 だが、その死の宣告を受けた十蔵は余裕の

表情で道軒を見ていた。

 「そうだな…。俺も飽きたよ…」

 ポツリと言う。そして、十蔵はしっかりと

手に戻った刀を握りなおした。

 「これで最後だ! 十蔵っっ!」

 ムササビ道軒が最後の足場となる枝へと舞

い降りた。…その瞬間!

 「な、何っっっ?」

 枝が折れた。いや、そのきれいな切り口は

明らかに切断されていたのだった。

 バランスを失った道軒が枝と共に、落ちて

いく。さすがに翼を広げる余裕もない。

 同時に、十蔵は刀を手にダッシュする。

 その手の白刃が月の光を反射した。

 「お前の負けだ。ムササビ道軒っっ!」

 突き出された刀が、落ちてくる道軒の心臓

を真っ向から貫いた。

 「ギャアアアアッッ!」

 刺し貫いた刀が道軒の身体を突き抜け、大

木の幹へとその身体を縫い止める。

 「な、何故…」

 ムササビ道軒の口から血があふれた。

 「矢車は、お前を狙ったのではない。お前

の足場となる枝を切るのが目的だ」

 「ば、馬鹿な…」

 「次からは、枝に頼らずに空を飛ぶ方法を

覚えてくるんだな…」

 そう言って、十蔵は刀を一気に押した。

 「グアアアッッ!」

 道軒の身体が二、三度、痙攣するように動

き、やがてゆっくりと弛緩した…。

 十蔵が刀を引き抜くと同時に、生気を失っ

た道軒の身体がドサリと地面に落ちる。

 「………」

 白い煙と共に粘塊へ変わっていく妖忍・ム

ササビ道軒を見下ろしながら、十蔵は静かに

刀を鞘へと戻した。

 「さて…と…」

 十蔵が西を振り返る。楓たちが逃げていっ

たはずの方角だった。追手の妖忍を斃した以

上、あえて追う必要はないはずだった。

 「………」

 少し考えるような仕種を見せた後、十蔵は

フッと微笑する。そして、西の方へと足を向

けた。……その時だった。

 「オホホホホホホ……!」

 急にけたたましい女の笑い声が響いた。

 十蔵がハッとして、刀の柄に手をかける。

 だが、刀をつかもうとした手は痺れたよう

に震え、ズルリと柄を滑ってしまう。

 「こ…、これは…?」

 慌てて、周囲を見回した十蔵の目に不思議

な光景が映る。いつしかライトパープルに輝

く粉が一面に雪のように降り注ぎ、あたかも

紫色のスターダストの中にいるような幻想空

間に十蔵は囚われていたのである。

 「オホホホホホホ……!」

 紫の魔界に響きわたる女の嘲笑。

 「チッ…、新手か…!」

 全身を痺れたような感覚に苛まれながら、

十蔵は辺りへと目を走らせる。その視線の先

に異様な女の姿が入った。

 鮮やかな紫の振り袖を纏った美女がゆっく

りと歩んでくる。長く艶やかな黒髪が紫の布

地に流れ、妖艶な美貌を包んでいる。ライト

パープルに輝くスターダストの中を滑るよう

に近づいてくる姿は、まさしく妖姫…!

 紫、紫、紫…。何もかもが紫色に染め上げ

られた魔界の中で、そこだけは紅い唇が不気

味な笑みを刻んでいた。

 

 その頃、楓と万福丸の二人は農家を離れ、

西へ西へと逃げていた。

 「か、楓、一体どうしたの?」

 「万福丸さま、急いでください!」

 楓が後方に注意しつつ、声をかける。

 「眠いよ…。あの小屋で寝てようよ」

 目をこすりこすりボヤく万福丸。だが、楓

はその手を引っ張り、少しでも遠くへ逃れよ

うと必死であった。

 「楓、手が痛い! 足も痛い!」

 「もう少しの辛抱です。がんばって…!」

 万福丸を励ましながら、楓は先を急ぐ。そ

うでなければ、十蔵を一人残してしまったこ

との意味がなくなってしまう。妖忍と戦って

いる彼が脳裏から離れないが、留まることは

彼の行動を無にしてしまうことでもある。

 「疲れたよぉ…。もう歩きたくないよ」

 楓の思いも知らず、万福丸が訴える。

 暗い山中の逃避行は道程は子供に辛すぎる

ものだった。足取りは距離と時間に比例し、

次第に遅くなっていく。無理やりに起こされ

て、十分な睡眠を得られなかった万福丸の体

力は限界に近づいていた。

 逃げる二人の前に小川が見えてくる。山の

頂から流れ出す幾つもの清水が合わさり、一

本の流れとなったものだった。

 「あそこで一息いれましょう…!」

 楓は仕方なく休息をとることにする。

 このまま無理な道程を続けることは逆効果

になると判断したのだった。

 「うん」

 子供というのは現金なもので、万福丸は急

に笑顔になって、小川へと駆けだした。

 ザザザザザッッッ…!

 不意に水面が不自然に渦巻いた。白い飛沫

が上がり、不気味な泡が沸き起こる。

 「万福丸さまっっ!」

 楓が血相を変えて、万福丸を引き止めた。

 腰から抜いた忍者刀を逆手に構え、万福丸

を背後にかばうようにして、水面を睨む。

 ザザザザザッッッ…!

 渦の中心が盛り上がり、不自然な水柱の中

に妖しい影が蠢く。

 「何者だっ?」

 「グフフフフフ…」

 楓の問いに答えたのは、くぐもった笑いで

あった。逆巻く水面に浮かぶように、頭が禿

げ上がった小太りの男が姿を現す。

 妖神父ソルガティが放った妖忍衆の一人、

山椒太夫(さんしょうだゆう)である。

 「よ、妖忍…!」

 十蔵が食い止めている筈の妖忍が、目の前

に現れたことに楓が愕然とする。自分たちの

追手に差し向けられた妖忍が三人もいると知

るわけがない。目前の敵が山を迂回する川を

利用して先回りしたのだろうと推察するぐら

いが精一杯であった。

 だが、惚けてもいられない。

 「おのれっ!」

 楓の手から十字手裏剣が飛んだ。

 「グフフフフ…、無駄なことを…」

 その刃が届く直前、山椒太夫の姿が水中に

没した。放たれた十字手裏剣は、虚しく対岸

の闇に消えていってしまう。

 「ど、何処に行ったっっ?」

 夜の川は墨汁を溶かしたように黒く澱み、

そこに潜む者の姿を明らかにしない。冷たい

汗が楓の背中を伝っていった…。

 「エロイムエッサイム…、エロイムエッサ

イム…。蘇れ、内なる魔獣の魂よ…」

 暗い水面の何処かから、不気味な呪文の詠

唱が聞こえてくる。それは妖忍が化身する時

に用いる悪魔の言葉だ。

 「姿を現せっ! 何処にいるっ!」

 怯える万福丸を背中にかばい、楓は胸に刀

を構える。その表情に焦りが浮かんだ。

 ザザザザザザザァァァッッッ!

 楓たちの真っ正面にあたる水面が、激しく

渦巻いた。そこから、ノッペリとした巨大な

黒い影が海坊主のように現れる。

 「うわあああっっ!」

 その姿を見た万福丸が絶叫する。

 ベトッ…、ベトッ…、ベトッ…。

 ねっとりとした音を響かせながら、黒い影

が岸に上がってくる。

 巨大なサンショウウオであった。いや、サ

ンショウウオの顔形をしながらも、人間のフ

ォルムが残っている。人間の四肢を備えた巨

大なサンショウウオ…。それが、妖忍・山椒

太夫の正体だったのである。

 ヌラヌラと光る皮膚にはめこまれた小さな

ビー玉のような目が楓たちを捉えた。

 「シネエエッッ!」

 ヘリウムガスで変質したような声を上げ、

サンショウウオが唾液のようなものを吐き出

した。咄嗟に逃げた楓たちの代わりに、後ろ

に立っていた木が唾液を浴びる。たちまち白

煙に包まれた木が無残に溶けていった。

 「こ…、これは!」

 溶け崩れる木を見ながら、楓が動揺する。

 それは、恐るべき溶解液だった!

 「骨モ残ラズ、溶カシテヤル…!」

 サンショウウオ妖忍・山椒太夫が異様な声

で言う。喋るたびに巨大な口が不器用に開い

て、恐るべき溶解唾液を滴らせた。

 「楓ぇ! に、逃げようよぉ!」

 楓の手を引っ張って、万福丸が言う。

 「………」

 「逃げようって、言ってるだろ!」

 「………」

 楓は無言で首を横に振った。逃げられるも

のならば、とっくに逃げている。しかし、来

た道を戻っても十蔵と戦っている妖忍がいる

のだ。どちらにしても、逃げ場はない。

 …となれば、正面の敵を突破するのみ!

 「甲賀、十字撃ちっっ!」

 楓の手から十字手裏剣が四方に散った。放

たれた四つの手裏剣が、上下左右から十字を

描くように山椒太夫に襲いかかる。

 ズバッ! バシュッ! シュバアッ!

 ヌラヌラとした皮膚を切り裂き、手裏剣が

深く突き刺さった。

 「やったあっ!」

 万福丸が叫び、楓も満足げな笑みを浮かべ

る。しかし、その笑みはすぐに驚愕へと変わ

っていった…!

 「グフフフフフ……」

 切られた皮膚が復元する。突き刺さった手

裏剣が盛り上がる肉に押され、ポロリと地面

に落ちていったのだ。

 きわめて原始的な両生類の一種であるサン

ショウウオの細胞は、トカゲの尻尾のような

復元能力を持っている。手足を切られても、

すぐに再生してしまうほどだ。しかも単純な

尻尾のようなものではなく、指を備えた四肢

を的確に復元してしまうのだ。その復元能力

は21世紀を迎えようとしている現代において

も注目を集めており、事故で手足を失った人

の再生治療にも用いられようとしている。そ

うしたサンショウウオの再生能力を山椒太夫

は身につけているようだった。

 「ば、馬鹿なっっ!」

 楓が続けざまに手裏剣を放つ。

 「馬鹿ハ貴様ダッッ!」

 山椒太夫が溶解液を吐き出す。飛来した手

裏剣はことごとく溶かされ、消滅した。

 「……!」

 顔を蒼白にした楓が万福丸を抱き寄せる。

 「グフフフフフ……」

 ベトベトと足音をたてて、山椒太夫がゆっ

くりと楓たちに近づいてくる。

 (十蔵っっ…!)

 心の中で叫び、楓はギュッと万福丸の肩を

抱きしめるのだった…。

 

 全身が痺れる感覚の中で、十蔵の脳裏に楓

の叫びが響いた。

 (十蔵っっ…!)

 「か、楓…」

 十蔵がグッと身を起こそうとする。痺れる

身体の感覚は薄れ、自分が立っていることす

らも明らかではない。

 「オホホ…、無駄じゃ。わらわの痺れ粉を

浴びた以上、そなたの感覚は失われておる」

 紫色に染まる景色の中を、やはり紫色の振

り袖に纏った妖姫が近づいてくる。

 「貴様も妖忍か…?」

 妖姫はニヤリと妖艶な微笑を唇に刻み、大

きく両手を横に広げた。美しい紫の振り袖が

広がり、一枚の羽に見える。

 「エロイムエッサイム…、エロイムエッサ

イム…。蘇れ、内なる魔獣の魂よ…!」

 呪文の詠唱と共に、振り袖の羽は本物の羽

へと変わっていく。美しく輝く紫の羽に。

 そこに現れたのは、巨大な蝶の羽を持った

魔女だった。紫の羽を持った日本の国蝶「オ

オムラサキ」の容姿を人間の姿に融合させた

人間蝶が、妖姫の正体だった。

 「わらわは紫式部(むらさきしきぶ)。そ

なたを冥府に送る者の名、しっかりと覚えて

おくことじゃ…!」

 紫式部が羽を広げ、妖艶に笑った。

 「フ…。ふざけた名だな…」

 十蔵が苦笑いする。

 「ほぅ…、少しは学があるようじゃな。さ

すがは美濃に知られた…」

 「うるさいっっ!」

 紫式部の言葉を十蔵が遮る。その目には、

それ以上の言葉を許さぬ気迫があった。

 「……」

 気迫に押され、紫式部が黙る。お互いに殺

気をたぎらせつつ、にらみ合う二人…。

 この時代、多くの者は読み書きすら出来な

い無教養者である。その中にあって、紫式部

の名を「源氏物語」の作者と同名と判別した

十蔵の知識は貴重だ。特に高い身分の家でな

ければ、高価な古典書物を嗜むことなどあり

得ないからである。

 「この無礼者がっ! わらわを何と心得る

のかっっ!」

 十蔵に気押されたことが、紫式部の自尊心

を傷つけたようだ。広げた紫の羽から、ライ

トパープルに輝く粒子が吹きつける。その中

に銀色の光が疾風のように閃いた。

 「グッ!」

 十蔵が短く声を上げる。ムササビ道軒との

闘いで傷ついた身体に、数本の小刀が突き刺

さっていた。紫式部が放ったものだ。

 「わらわは姫…。下賤の者が、直に言葉を

かけるのもはばかられる身分ぞ」

 「何が、姫だ…」

 十蔵はクスリと苦笑した。

 「何じゃと…?」

 「人であることを捨てた妖忍風情がせいぜ

い着飾って、人の真似をしているようにしか

見えんな…」

 「き、貴様ぁ…!」

 「京の羅生門に巣くった鬼婆の方が、まだ

美しいと思うぜ…」

 「まだ、言うかっっ!」

 怒りに満面を染めた紫式部が広げた羽から

さらに数本の小刀が飛び、十蔵を貫く。

 十蔵は身を起こそうとするも、全身の痺れ

がそれを許さなかった。

 「オホホホホ…、動けまい。そなたの身体

をゆっくりと切り刻んでくれようぞ」

 渦巻く紫色のダイヤモンドダスト。

 その結界に囚われた十蔵はついに、ガクリ

と膝を地についてしまった。

 「………」

 チンと微かな金属の響きが聞こえた。

 血みどろの十蔵は何を思ったか、なんと刀

を鞘に収めてしまったのだった。

 「オホホホ…、ようやく観念したかえ」

 紫式部が高らかに笑う。

 矛を収める。という言葉があるように、刀

を収めたということは無抵抗の意を示したこ

とだ。他に「槍を立てる」「鐙(あぶみ)か

ら足を外す」などと言った行為が、戦国時代

では無抵抗を表す作法として知られる。十蔵

の行為を、そのように紫式部がとったのも無

理もないことであった。

 「わらわを侮辱した罪は許せぬが、わらわ

も作法は心得ている。この上は、一思いにそ

の首を落としてくれようぞ…」

 紫式部の手に刀が握られた。

 膝をついたままで静かにしている十蔵に向

かって、滑るように近づいていく。フワリと

黒髪がたなびき、勇者を介錯せんとする黄泉

の女神のような印象だった。

 近づいてくる紫式部に対し、十蔵は瞑目す

るかのように目を閉じている。

 「オホホホホ…」

 勝利を確信する紫式部の笑い声が次第に距

離を縮めてくる。すでに三間もないように思

われた。衣擦れすら、聞こえる。

 「オホホ…、十蔵。お前も弟のように信長

さまのために働いておれば、こんな所で死な

ずに済んだものを…」

 「!」

 途端、十蔵の目がカッと開く。

 ヒュッと風を切り裂く音だけが聞こえた。

 「………」

 何が起こったのか?

 紫式部の動きが止まり、十蔵は先刻と同じ

ように膝をついたままである。しかし、両者

の間には驚愕と困惑が入り交じったような張

り詰めた空気が凝縮されていた。

 パシュッ!

 闇の中に、真っ赤な華が咲いた。それは紫

式部の顔面から吹き出した血潮だった。

 「ギャアアアアッッッ!」

 真紅に濡れる顔を両手で覆い、紫式部が絶

叫した。のたうつように、その美しい羽をば

たつかせながら、苦悶する。

 「…外したか……」

 十蔵が口惜しそうにつぶやいた。彼として

は、妖忍の急所である心臓を狙ったはずだっ

たのだ。狙いが狂ったのは、体に受けすぎた

傷と痺れ粉の影響によるものだった。

 美しき妖忍を切り裂いたのは、一瞬の居合

であった。江戸時代ともなれば一つの流派と

して確立する抜刀術も、戦国時代ではまだ一

握りの者しか扱えない神業である。

 古今東西に曰く…。

 刀を抜いて人を斬るに、傍の人にはただ鍔

鳴りの音だけが聞こえて、鞘を出入りする刃

の色は見えず…!

 敵が鯉口を切った時には、すでにもう斬り

斃している…という電光石火の早業だ。

 厳しい武者修行の果てに居合を生み出し、

林崎流抜刀術の礎を築いた「林崎甚助(はや

しざきじんすけ)」も、この時代は世に知ら

れぬ一介の武芸者に過ぎない。この頃は小田

原の北条家重臣「松田尾張守」の剣術師範を

していた筈だが、その神髄である抜刀術を伝

えるようになるのは十数年の後である。事実

上は江戸時代になってからの剣技と言っても

過言ではない。

 精神を研ぎ澄ました気合の一閃を鞘から抜

き放ち、一瞬に鋭鋒を叩きつけるようにして

相手を切り裂く必殺剣…、居合。

 静から動へ…。勝負は一瞬で決まる。

 知っていれば、紫式部も十蔵の体勢が居合

を放つためのものだと気づいただろう。

 だが、彼女の不幸は時代を超えた剣技と向

き合ってしまったことだった。

 やはり、史上最強の秘剣…。時代を問わぬ

神技をも備えるとは、神陰流恐るべし…!

 「わ、わらわの顔がっ…!」

 紫式部が怨みと苦悶の叫びを上げる。顔を

押さえた指の間からは、白糸の滝のように血

潮が流れ落ちていた。

 「おのれ…、おのれぇっっ…!」

 地獄の苦痛から逃れるように、紫式部が森

の奥へと羽ばたいた。風に流れる鱗粉が紫色

の霧となり、血の匂いと共に辺りを覆う。

 「………」

 刀の柄から手を離した十蔵は、木々の間を

飛び去っていく紫の巨蝶を無言で見送った。

 相手に深手を負わせたとは言え、十蔵も満

身創痍の状態である。余計な追撃は自分の不

利でもあると自覚していたのだった。

 それよりも気になるのは、妖忍たちの動き

である。後から現れた紫式部は万福丸のこと

を気にしていなかった。…となれば、別の妖

忍がすでに追ったのかもしれない。

 一方の手で強敵を牽制し、もう一手で目的

とする相手を仕留めるのは戦術の常識だ。

 妖忍相手では、楓の手に余る…。

 そのような思いが脳裏をよぎる。「自分に

は関係ない」と言い切ったはずなのに、そう

できない自分の心が恨めしかった。必死に妖

忍から逃げている少女と子供の顔が憎らしい

ほどに、瞼に浮かぶ。

 「…フッ」

 短い苦笑を残して、十蔵は西に足を向ける

のだった…。

 

 暗い山の中に一人の男が座していた。

 裾の長い漆黒の僧服が地面に流れ、そこに

闇がわだかまっているようにも見える。

 「ムササビ道軒の気が途絶えたか…。あえ

て気配を消したか…。斃されたか…」

 そうつぶやいた男の声は陰気だった。

 覇王・信長と共に恐るべき野望を進める宣

教師、オルガンティーノの高弟にして、隻眼

の妖神父。ソルガティであった。

 「紫式部の気も乱れている…。二人がかり

でよもや不覚をとることはなかろうが…」

 どうやらソルガティは配下の妖忍の気配を

遙かな距離を隔てながらも、確実に捉えてい

るようであった。それを超能力と呼ぶのかは

定かではない。ハッキリと呼称するならば、

それは「妖能力」であろう。

 「ふむ…。山椒太夫の方はうまくいってい

るようだな。奴の気配、殺戮の喜びに満ちて

おるわい…」

 ソルガティの薄い唇が笑みを刻んだ。

 「やれ、山椒太夫! 我等が野望に禍根を

残す者は、一人として生かすな!」

 闇に陰陰とした叫びが響き渡った…。

 

 ジュッと音を立て、地面がえぐれた。

 滴り落ちる唾液は強力な溶解液であり、楓

と万福丸を狙う妖忍の残忍な涎であった。

 万福丸を背にかばい、ジリジリと押される

ように楓が後ずさっていく。

 「か、楓ぇ…」

 情けない声で万福丸が言う。

 楓は答えない。全ての意識は目前に迫り来

る奇怪なサンショウウオに注がれていた。

 「グフフフフ…」

 もう何度目になるか、わからない。不気味

な笑いは、指呼の距離に獲物を捉えた妖忍・

山椒太夫の陰惨な余裕の現れだった。

 山椒太夫を見据え、楓は短めの忍者刀を逆

手に構え直した。

 「万福丸さま…。そこを動いてはなりませ

んよ、いいですね?」

 「楓…?」

 問い返す間もなく、楓が動いた。逆手に返

す忍者刀が風を切り裂き、山椒太夫へと一筋

の銀光となって伸びる。

 「馬鹿メッッ!」

 山椒太夫の口から涎の飛沫が飛んだ。

 何もかも溶かしてしまう恐ろしい涎が…!

 それは忍者刀を振るう楓の右手に当たり、

ジュッという音を小さく響かせた。

 「ああっっ!」

 焼けるような痛みに忍者刀は手を離れ、地

面へと落ちた。

 慌てて拾おうとした楓だったが、山椒太夫

がすごい勢いで体当たりを食らわせてくる。

 楓の華奢な体はひとたまりもなく跳ね飛ば

され、巨木の根元にたたきつけられてしまう

のだった。

 「グッ…!」

 身体中の骨がきしみ、息もできない。

 「貴様ノ負ケダ…。サア、ドコカラ溶カシ

テヤロウカ…?」

 ベトリベトリ…と足音を響かせて、楓へと

近づいてくる巨大サンショウウオ。妖忍・山

椒太夫の前に、楓は身動きも出来ない。

 「十蔵…」

 我知らず、楓はつぶやいていた。そして、

静かに迫りくる死を見つめていた。

 目の前に立った山椒太夫の巨大な口がゆっ

くりと開いていった…。

             つづく