目次さ。
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パート1 へで君携帯電話をもらう
パート2の1 へで君がパソコンを買ったあの日
パート2の2 へで君がパソコンを買ったあの日その2
パート2の3 へで君がパソコンを買ったあの日その3
パート3 Pチャットが・・・・
パート4 ある日のへで君(;_;)
パート5 このページが見つかった。
パート6 ウイルス続編
パート7 この夏のへで君
パート8 日経・・・・
パート9 へで君の物欲の巻
パート10 へで君のプリンターの巻
パート10
へで君のプリンターの巻
1998/10/01
こんばんわ>この文章を読んでいる人(果たして何人いるのだろうか)。
今朝(9月30日朝)のことです。レポートを印刷しようと思い、プリンターの電源を入れ、紙をセット。そして印刷ボタンをクリック。行けー、行けー、高く、空たか〜く、セーリーングジャンプ、明日へ飛べー。と思っているうちに紙がでてきました。
あれ?あれれ?あれれれれれ?まっ白・・・・・。お〜い。どうしたんだ〜。プリンター。ぶっ壊れたか?もう一度チャレンジ。
ガーー、ガーー、ガーー。ありゃぁ。やっぱりまっ白だ。もしやもしやインク切れ?黒専用インクをはずして、カラーインクをセット。もう一回印刷開始。あっ、印刷されてきた。インク切れだぁ。買いに行かなきゃ。
ということで学校の帰り道、バイトの途中に秋葉原によってみました。時間がないので駅前のサトームセンに入り、そこで決着をつけることにした。おいらのプリンターはCanon
BJC−210Jという一世代どころか二世代ぐらい前の機種である。なんでそんな物を買ったか、って?そりゃあんた、去年の6月にパソコンを買って貧乏になったために、プリンターは、当時一番安い物になってしまったのですよ。
さて、お目当てのインクカートリッジをすぐに発見。手に取ってみると2250円の値札シールが・・・・・。「た、た、高い」。まいった。そういえば、以前買ったときも値段の高さに驚いたが今回もびっくり。お財布の中には5000円ぐらいはいっていたが、どうしようかなぁ、と考えているときに棚の下の方にひょっこりと「詰替用インク」が売ってるではないかい。そして、僕の機種に適合する物も。なにより値段が安い。580円になっている。これは買うしかないでしょう。キャノンの純正部品ではないみたいだけど。
家に帰って、開けてみると詰め替えに必要な工具一式と説明書が入っていました。手が汚れないようにビニル手袋まで入れてある念の入りよう。おいらは感激しました。説明書の通り、工具を使用してキャップをはずして詰替用インクをぶっさし、詰替用インクの空気入れ用ふたを開けインクをドボドボドボ。おぉ、入っていく。そして20ccを入れ終えたらまたふたをしておしまい。
なんて簡単なんだ。早速プリンターにセットして試してみるとちょっとにじんでいるかな?という程度で、それ以外は全く問題なし。いやぁ、いい物を手に入れました。
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パート9
へで君の物欲の巻
1998/09/26
最近へで君の腕時計のベルトがまたしても切れました。これで3回目です。 私が使用している時計は高校生の時に購入しただいたい3000から4000円のALBAのデジタル時計です。僕の記憶が確かならば16,7の時に買ったので7年以上動いています。ベルトはゴムでできているので劣化して切れてしまいます。最初に切れたときは、「もうダメだと思い」机の上の飾り物にして新しいアナログ時計を買いました。しかしその時計は防水にも関わらず、2,3回つけたまま海&温泉に入ったらあっけなく水が進入してぶっ壊れてしまいました。 どうしようかと考えていると、ベルトを交換できることを知り、机の上の飾り物になっていた腕時計を復活させました。その後ベルトが二回も切れたにもかかわらず「大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計〜♪」と同じぐらいよく動いてくれています。ものは大切にね・・・・。 さて、先日というか昨日、一太郎9が発売されました。うっひょー。私は何となくマイクロソフトがとてつもなく大きい会社なので判官びいきでジャストシステムにがんばってほしいです。それから、雑誌の前評判もとてもよいものがあるので、早速買っちゃいました。もちろんATOK12が欲しいというのもあります。使い心地は、というとまだよくわかりません。でも、付属のメールソフト「Shuriken(しゅりけん)」はとても快適です。起動時間もとても短いし、Netscape
MessangerやOutlook Express、Internet Mailのメールとアドレス帳を取り込めるんですから。すばらしい。これからは「Shuriken」を使うことにしました。 そうそう、この文章は一太郎9を使って編集しています。 んじゃね!
パート8
日経・・・・
(1998/09/18)
昨日(1998年09月17日)、『日経ユースフォーラム特別フォーラム キーワードで見る日本経済』というものに参加しました。これは、日経新聞が若手社員や近々社会人になるための学生向けに企画したもので、その名の通りのものである。今まで、日経の講演会などに参加したことのあるおいらに案内が来たので、 おいらも4月から社会人だしぃ〜、参加するとその日の日経新聞がもらえるしぃ〜、ということで参加してみた。もちろん「無料」というのも大切なポイントである。 日経新聞本社(大手町)の8階の講堂みたいなところで行われた。 いつものように東海道線に乗り、東京駅から歩いて日経本社前につくと、いつもとちょっと違う。学生相手のイベントだと、日経新聞本社の一階に待ち合わせの学生が10人ぐらいたむろしている。しかし、今回は一人もいない。
う〜ん、さすがに夏休み終わって(夏休み中に?)聞きに来るやつは少ないのかなぁ、なんて思っていた。しかしこれは甘い考えだった。
8階の講堂の受付で、年輩の背広姿の人が名刺を出している・・・・・。おひおひ、会場間違えたか?と一瞬思ったが、一階にちゃんと掲示があったし、入り口にもそう書いてある。間違えなさそうだ。
そうか、このおじちゃんは関係者なのかな?そうだろう。勝手に思いこんで、入場券を渡して講堂に入っていった。そして愕然とした・・・・。
白髪頭がたくさん見える・・・・。
「ユース」フォーラムではなかったのか?どう見ても40はいくおじちゃんではないか・・・・。そんな人たちがたくさんいた。もちろんスーツ姿でないのはぱらぱら・・・・。おいらが場違いみたい・・・・。
そう、今回はおおっぴらに(?)宣伝したみたいで、若手社員や学生よりもおじちゃんが多く来ていたのだ!!!どう見ても40代のおじちゃん。おいらの隣の人がアンケートに書く肩書きを盗み見したら、****工業企画部部長、になってた。
こんなことになったのは講演者に大和総研の人が入っていたのも原因かもしれない。しかし、若人はどうしたんだ?絶対的に少なかった。中年8割、若人2割ぐらいの割合だった。
どうした?!若人
立ち上がれ?!若人
というわけで、若人よ、もうちょっと参加しよう・・・・・。
パート7
この夏のへで君
(1998/09/10)
夜見ている人こんばんわ。昼見ている人こんにちは。朝見ている人おはようございます。ここのところへで君は全くと言っていいほどホームページを更新していませんでした。というわけで、この夏のへで君の行動を書いてみましょう。
7月下旬。へで君は就職が決まり、大学の前期試験も終了したのでいい気になって「大戦略Master
Combat」をしてました。それも、なんと、一日中。アルバイトもなく暇だったんですね。
8月上旬。二泊三日で本栖湖に行きました。サークルの人たちと行きました。富士の樹海を歩いたり、飯を作ったり、楽しかったです。
そろそろゼミの夏合宿の宿題をしなければ、とも思い始めました。しかし、コンビニのアルバイトなども始めてしまいました・・・・・・。立ち仕事なので疲れまんがなぁ。
8月中旬。まず〜い。ゼミ合宿に向けて課題をこなさないとぉ・・・、と思いながら、両親と二泊三日で箱根へ・・・・。ドライバーはもちろんおいら。行き先で、父と母がもめるのでストレスがたまりましたね。しかし、箱根新道の下り12kmというのは楽しかったです。自動車専用有料道路なのにエンジンブレーキを常に使い続ける変な道でした。
8月下旬。非常にピンチだ。ゼミ合宿までの宿題が・・・。本気で始めました。しかし、週3,4日で入っているコンビニバイトが足かせに。その上、月末には高校時代の友人と二泊三日で乗鞍岳、奥飛騨、上高地に・・・・。
台風のために大雨が降った時期でした。出発したときから雨。しかし、現地は曇り。高所恐怖症のへで君は友人にせかされ乗鞍岳を登りました。3000メートルを超える山を登るのは初めてでした。上高地の明神池と大正池(?名前間違ってませんか?)、合羽橋も見てきました。明神池はどうってことなかったです。参拝料もとられて頭に来ました。大正池はよかったです。そうそう、(日本一の?)クマ牧場にも行って来ました。クマがたくさんいてくまった(困った)。
横浜に戻ってくるときは雨のピーク。那珂川(漢字あってますか?)が氾濫しそうだというニュースが流れていたときでした。中央道は通行止め。甲州街道も至る所で通行止め。しょうがないので静岡川に回って帰ろうとすると神奈川と静岡を結ぶ道がことごとく通行止めでメチャクチャ困りました。夜中になってようやく国道一号線が通行可能になって帰れましたが・・・・。
9月上旬。ゼミ合宿の宿題はあきらめモードに入りました。しかしそれがいけなかった。ゼミ合宿に言って課題の発表をすると先生は怒りはしないが、むっとしているようでした。あぁ、怖い・・・・・。
パート6
ウイルス続編
(1998年7月31日)
以前、「パソコンを買った日」 で話しました、コンピューターウイルスの続編です。
パソコンを買い、ウイルス対策ソフトを買い約一年。ウイルスバスターもウイルススキャンもサポート期限が切れました。そこでどっちかに金を払ってどうにかしなければならない。今後のために・・・・。 そこで、ウイルスバスターを買い換えることにしました。えっ?以前はウイルススキャンの方を誉めてたじゃないかって?そう。あのときはね。しかーし、一年経ってウイルスバスターを買い換えることにしました。
理由。ウイルススキャンの買い換えが不便だから・・・・。ウイルスバスターは郵便振込用紙を送付してくれた。しかし、ウイルススキャンは「手続きしてね」、という紙が入っているだけだった。どっちがよいと思います?それはもちろんウイルスバスターの方が便利ですね。
さらに、ウイルスバスターはなんだかよく分からないけどウイルスバスター95→ウイルスバスター97→ウイルスバスター98とわずか一年の間に著しく進化してます(無駄に進化してます)。しかし、ウイルススキャンはしてないみたい。いえ、ウイルススキャンも進化してるみたいなのです。お店に行くと。でも、ユーザーのところに案内が届かないんです。進化しているという案内が。
以上の理由から、ウイルスバスター98を私は手に入れることにしました。4200円という大枚を郵便局から振り込み現在、現物が来るのを心待ちにしてます。
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パート5
このページが見つかった。
(1998年07月09日)
(1998年07月09日追加)
昨日ゼミ長にとても怪しいリンク集のページのアドレスをメールで送った。そのことを二人で話していると、副ゼミ長が、「M女の何とかが、ドウノコウノ・・・」といいだした。「そんなリンクあったかな?」と思いつつ、話を続けると、なんと、この「『へで』の部屋だぞ」の「勝手にリンク」を見られていることが判明。
「なんで知ってるの?」と尋ねると、
「『http://www.lares.dti.ne.jp/~konisi/』から行けた」と言われた。
「もしや」と思い、家に帰って確かめるとディレクトリ構造が丸見え(T_T)。これじゃぁ、何でもかんでも見られてしまう。
むかーしむかし、プロバイダーの契約書に「index.html」のページを必ず設置してね。と書いてあったのはこれを防ぐためだったのです。すぐさま「index.html」のページを作り、アップしました。もう、ディレクトリ構造は見えません。
副ゼミ長がリンクを張ってあるかもしれないので、ホームページの場所も移動させてもらいました。何しろリンク集は恥ずかしいんだもの・・・。
1998年07月09日追加
僕の写真があるページのアドレスを副ゼミ長が僕に断りなくゼミ員全員にメールで送っていた・・・。その上僕の写真を見て犯罪者み たいと書いていた。ムカッ!戻る
パート4
ある日のへで君(;_;)
1998年7月5日
へデは「シムシティ2000」をしていました。以前から作っていた「ヘデシティ」を発展させるためです。
年間2000ドルぐらいの市の収入が出るようになった(警察などの運営のための必要経費を除く)ころ地震が発生。町のおよそ半分が火事で燃えていまいました。(;_;)
一生懸命復興作業をして、以前異常に町が栄え始めたころエイリアン来襲。町の中心部が焼かれました。発電所一機、高速道路数マス分が犠牲になりました。(;_;)
さすがにめんどくさくなってきたのでその辺でやめました。
さて、私が家庭教師で教えていたお子さま(中学生)はシムシティですごいことをしました。それは
(ゲームの中で)50年を過ごしたが一軒も家も工場も建たなかった。
どういう風に町を作ったのか知りませんが、何も建造物ができなかったそうです。50年たって発電所が爆発して何もできなくなったので、エイリアンを呼んでそこら中をメチャクチャにしてゲームをやめたそうです。(^_^;)
お間抜けな子です。(^_^;)
戻る
パート3
Pチャットが・・・・
(1998年6月29日文章改訂)
アレは忘れもしない6月23日、自分のホームページ(ここではない)の更新をするためにインターネットをつないでいた。するとICQでそ*おからメールが届いた。
「Pチャットに入れる?」
てっきり僕は「Pチャットでおしゃべりしようよ」というお誘いだと思った。だから「入れるよ」と返事をした。そしてしばらく更新作業を続けた。
更新作業も一段落ついたのでブックマークを使ってPチャットに入ろうとした。すると「File
Not Found」という表示が・・・・・。
ヒョエー。Pチャットがなくなっている。そ*おが言ったのはこのことだったのか。初めて理解して、そ*おとICQで情報を交換。しかし、上のページである「私の告白」も消滅しており、どうしようもなかった。そうこうするうちにさ*しとも連絡をとったが、打開策は見つからず。
そして現在に至る・・・・。
誰かPチャットを復活させて・・・。
パート2の3
へで君がパソコンを買ったあの日その3
(1998年6月29日)
そして、パソコン本体の説明書を片手にハードディスクの初期化を決行した。
しかし、無駄な努力に終わった。一回につき約1時間かかる初期化+再インストールを2,3回したが、ウイルスは消えなかった。どうも、普通のソフトが使うような場所ではないところにいるらしい。「ウイルスバスター」によれば、「上位メモリー」と言うところにいるらしい。ここは普通の初期化では初期化されないみたいだ。
ムカッ
しかし、いくらむかついてもウイルスは消えない。しょうがないので懲りずにもう一本ウイルスワクチンソフトを買いに行った(^_^;)。今度はマカーフィー社の「ウイルススキャン」を購入した。
家に帰って使い方をじっくり見る。うーん。よく分からない。しかし、解凍はしなくても良いみたいなので、「(ウイルスに感染する可能性があるの)できればしないでください」と書いてあったが、パッケージに入っていたフロッピー版のウイルスワクチンを直接使用した。
結果は、上々。とりあえず、AntiCMOSは削除できた。
よっしゃー。ウイルスバスター製品版をインストールしーよう(^_^)。CD-ROMをドライブに入れる。ウイーン、ウイーン。おっ、今まで認識されなっていたCD-ROMドライブが正常に認識され動くようになった。これでインストールできるぞ。
グィーン、グィーン。
ジャン
アン?なに? ***(名前は忘れた)に感染してますぅ?おいおい。どうなってるんだ?ウイルスに感染してるからインストールできません?
ガホー
ウイルススキャンの方では検出できないぞぉ。どうなってるんだぁ?サポートだ。サポート。マカフィーの方に電話をするとご丁寧にAntiCMOSを全く無害なウイルスに変えたからそうなった。気になるようなら駆除方法を教えましょう、といわれた。そして、なにやらよく分からないMS-DOSの操作からそのウイルスを除去できた。
へで君のコンピューターウイルス駆除は終了した。トレンドマイクロのサポートへの不信感と、マカフィーへの感謝の気持ちが残った。
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パート2の2
へで君がパソコンを買ったあの日その2
(1998年6月11日)
どうにかして、除去できないのか?ウイルスバスターの説明書を一生懸命読み直しました。
しかし、そんな願いもむなしく、「ウイルスバスター95Lite」はウイルス発見異常の機能を持っていないのでした。
やむを得ずワクチンソフトを秋葉原まで買いに行きました・・・・。お店に行き様々なソフトを見ました。その結果、マカーフィージェイドの「スキャンワクチン」を買うことにしました。なぜ、「ウイルスバスター95」ではないか?というと、感染を防いでくれなかったお試し版に恨みを持ったからです。家に帰ってさぁ、インストールと思いました。しかし、そこで悲劇が発覚しました。 CD-ROMドライブが動かない・・・・。いくらCD-ROMを入れても自動再生のはずなのに作動しない。どうなってんだ?不思議に思っていた。よし、「マイコンピューター」からドライブを動かそうと思って、「マイコンピューター」を開いた。そこに、CD-ROMドライブのアイコンはなかった・・・。
これがウイルスの影響か・・・・・。
私は一人呆然とした。そしてスキャンワクチンの説明書を見た。どうも、フロッピーディスクからも駆除できるらしい。その方法は?なんだかよく分からなかった。どうしよう・・・・・。(;_;) うろたえた私は奇妙な行動に出た。そうだ、「ウイルスバスター95」を買おう。そして「ウイルスバスター95」を購入した・・・・。
しかし、「ウイルスバスター95」も私の助けにならなかった。「MS-DOSでなんとかをどうとかして、フロッピーを解凍して、別のものにコピーしてどうにかして使う」私には分からなかった。そうだサポートに電話して聞こう。そのためのサポートだ。しかし返事はつれないものだった。説明書に書いてある以上のこと、僕が一番知りたかった、MS-DOSのコマンドについては何も教えてくれないのだ。理由は「それ(MS-DOS)はハードのメーカーにお聞きください」いくら聞いてもこの答えだった。むかついた。
それでもどうにかしてこのウイルスを除去したかった。そして禁断の技に出た、それは、「ハードディスク初期化」。これなら絶対だろう・・・。
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パート2の1
へで君がパソコンを買ったあの日
(1998年5月18日)
へで君がパソコンを買ったのは去年の6月頃でした。大学に入ってからこつこつためた20万円で富士通のデスクパワーを買いました。
パソコンが届くやいなや、いろいろな接続をしたり、おまけのCD-ROMで遊んだり楽しい時間を過ごしました。後に来る不幸も知らずに。
それは、3日目に起こりました。ゼミのレポートをワードで書いていました(まだプリンターも買ってなかったのに)(^_^;)。パソコンにはハードディスクという文字情報だけを入れるには無限大とも言える記憶媒体がありますが、フロッピーディスクに愛着がある私は、フロッピーを主に使用していました。当時大学の授業で使用したフロッピーが捨てずに残っていたので、それを使用していました。
「ジャン」
その音ともに警告のウインドウがでました。「システムが書き換えられたおそれがあります。もしウイルスを調べるソフトがあったら調べてください。」みたいなものでした。
「まさか、そんなことはなかろう」と思いつつも、説明書の山をかき分けウイルスバスターの説明を読み、ウイルスの検索を始めました。数秒後、
「ジャン」
その音ともにAnti-Cmosというウイルスに感染しているという表示がでました。目の前が真っ暗になりました。
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パート1
へで君携帯電話をもらう(1998年5月9日)
2,3日前に携帯電話をもらいました。なんかのアンケートの景品です。まだだれも電話をかけてくれません。こんな悲しいへで君に電話をかけてくれる人を募集中です。番号は040−*******です。まってるね。
追伸。あっ、友人に電話番号を教えてなかった・・・・。
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