未完の第4楽章について




「ブルックナー交響曲第9番のフィナーレを聴いてみたい。。」という想いはブルックナーファン全ての願望ではないでしょうか?
まったく手付かずならば まだしもかなりの量の草稿が残されているとなればなおさらです。

現在、幾つかの補筆完成版の基本となっているのが、1932年にアルフレッド・オーレルの監修により国際ブルックナー協会から出版された「草稿とスケッチ」で これは まるでパート譜のようなバラバラの草稿がほぼそのままの状態で 提示されています。
このスケッチ集をもとに 後に発見された譜面を追加し補作、というのが補筆完成版の実態です。

ヨーロッパというのは 不思議な所で 突然 ある人の机の中だとか遺品から お宝のような楽譜やら楽器やらがザクザクと出て来る事がよくあり そういった事件は枚挙の暇が無いらしいのですが、 その例からいくと「ブル9」フィナーレの新たな自筆稿が発見される可能性もないとは言えないらしい。 希望的楽観的推測だけど。。
(実際にシャルクの遺品の中にかなりの自筆稿があったそうだ)

そういった訳で 私たちは残っていて欲しい自筆稿の発見を待ちつつ、現在の補筆稿を聴くしか手だてがないのですが、そもそもブルックナー交響曲は3番にしろ4番にしろあの8番でさえ 幾つかのかなり異なる「○○版」というのが存在している訳ですから そう考えると 別にキャラガン版にしろサマーレ版にしろ その延長だと考えれば良いじゃないかという かなり呑気な考えも出来ますね。

フィナーレが要る、要らない、といった賛否や 難しい鑑定、音楽論はこの際置いといて、単純にこの補筆完成版を楽しんじゃエ〜! というのが 私の考えです。


以下 ライナーノートよりの抜粋です。

交響曲第9番 ニ短調 第W楽章

ブルックナーが第4楽章では ほんの僅かの殆ど訳のわからないスケッチしか残さなかったという神話は、今日でも依然として広く信じられている。
フィナーレに関してこの誤った神話は何故できたのか。

ブルックナーの遺言によれば、手稿譜はとうの昔に皇王室宮廷図書館(現オーストリア国立図書館)に依託いたはずなのに、現存するスコア断片の主要部分は、少なくても1939年まではシャルク家が所有したままだったからである。
ようやく20年代も末となって、設立されたばかりの国際ブルックナー協会の委託によって、その時点で知られている限りの第9交響曲の資料を、全集版の枠内で出版する試みが始められた。

ブルックナーが死の前の2年前に残した9番の終楽章のスケッチは 1934年にアルフレッド・オーレルの監修により国際ブルックナー協会から出版された。「第9交響曲の草稿とスケッチ」
オーレル、は簡単なピアノ・スケッチからオーケストラ・スコアになっている個所まで様々な段階の入り交じった草稿を分類し、全体の流れを以下のように整理している。

これをオーケストラが通して演奏できる形にするには、

  1. ピアノ譜や、メモ的な段階で留まっている個所をオーケストレーションする。
  2. 途中に多数ある中断部分を創作して補う。
  3. 草稿の全く無い終結部(コーダ)を創作する。

という作業が必要である。しかし この素材のみでの演奏時間は約16分にも及ぶという。


1983年から1984年にかけてサマーレとマツッカは、ウィーンに現存する多数のオリジナル手稿譜の調査に基づいて、オーレル版に修正を加えた。
手稿譜を綿密に調査したところ、実は、ブルックナーは連続した決定的なオーケストラ・スコアを優に600小節以上かくまでに作曲は進んでおり、おそらく死の数ヶ月前には楽章全体の構想を固めていたと思われる。
作曲の最終段階に属する現存断片のうち、172小節は完全にオーケストレーションが施されていた。


ブルックナーが未完に終わった場合に考えていた「テ・デウム」をフィナーレに代用することは、今日ではほとんど無くあまり意味のあることではないようです。

補筆完成の試みは40年のエーザーを皮切りに、ピアノ版を含めると少なくても8種類ありますが、最近では米国の音楽学者 W.キャラガンが83年に完成した補筆完成版(K版) をタルミ指揮オスロ・フィルで 85年にサマーレとマツッカの共同で作られた(S&M版)がインバル指揮のフランクフルト放送響でサマーレ、マツッカの最新版が1992年にアイヒホルン指揮のリンツ・ブルックナー管弦楽団によってそれぞれ レコード化されそれなりの評価を得ています。

第4楽章の第1主題の楽譜
第4楽章の第1主題


しかしやはり全曲としては未完であっても、ブルックナーが完成させた3つの楽章で完結した作品として演奏するのがもっとも適していると思われます。

特に第三楽章の最後に到達する天国的な世界への浄化は、まさにブルックナーの最後を締めくくるにふさわしい深い感動に満ちており、あたかも当初からこの楽章が終わりに来るよう意図されれいたかのような、見事な終結部を示しているのですから。


4楽章付きの録音


Y.タルミ指揮
オスロpo.


1985年8月28-30日
CHANDOS 7051(2)

キャラガンによる補筆完成版。
この録音の特筆すべき事は完成版とは別に基になったブルックナーの「草稿と
スケッチ」をそのままの形で収録してある事だ。
細切れの状態で、突然 終わる音楽。これを聴くと切なく 感傷的な気分になる。

ただ オケの音色がブルックナーに適しておらず、演奏そのものは凡演。
特にせっかくのスケッチなのに 変な表情を付けすぎているのが気になる。

エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送響

1986年 9月 フランクフルト、
アルテ・オーパー
TELDEC K30Y10211/2

サマーレとマツッカによる補筆完成版。
版自体の完成度はタルミ盤を上回ると思われる。
ただ 録音のせいだと思うが、金属的な響きが難。

インバル自身はこのフィナーレをブルックナーとは認めておらず、交響曲9番との
CDには入れず、あえて参考資料として交響曲5番とのカップリングにしている。

G・ロジェストヴェンスキー指揮
ソビエト国立文化省交響楽団


1987年 モスクワ
BMG BVCX-38015/6

基本的には上記インバル盤と同じ楽譜(サマーレとマツッカ1986年版)を使用しているらしい。
ただ 4楽章のみならず1楽章など他の楽章にも通常版とは異なる楽器変更が聞き取れる。
そのあたりはロジェストヴェンスキー独自の解釈の一つか?

クルト・アイヒホルン指揮
リンツ・ブルックナーo.


1992/3,93/2
リンツ ブルックナーハウス
CAMERATA 30CM-275〜6

ブルックナーファンの間でも評価の高いアイヒホルン盤はサマーレ、マツッカ、
フィリップスによる補筆完成の最新版。

この演奏自体が心に残る第1級の名演で、特にその誠実で、無垢な音色が
感動的だ。

フィナーレの完成度も更に高く、知らないで聴いたら何の違和感も感じないのでは
ないだろうか。
「ブル9」好きならずとも ぜひ聴いておきたい演奏である。


アイヒホルン盤のライナーノートにはかなり詳細なフィナーレの資料と解説が
載っていますが、分かりやすいとは言い難い内容です。
幸いな事に 現在タカプルさんの「ブルックナー基礎情報ページ」において
日本語で分かりやすい考察の作成が進んでいます。
こちらのページを参照することを推薦めいたします。