2001/11/11 奥多摩鋸山ツーリング2001
登場人物
イニーさん:負けず嫌い(本人否定)の女性。私と同郷、年も1つ違いということで東大和魂の伝導師。
吉田さん:生粋のクライマー。BD-3といったら吉田さん、というくらいBD-3を愛している人。愛称は詐欺師。私と同い年。
金田さん:MR-4を駆る温厚な人。70年代生まれのパワーに煽られたか帰りの電車で爆睡。
かぜはるかさん:とっても早い人。にちの乗り方の問題点をいろいろ指摘してくれるかっこいい人。ダンディズム。
のりにぃさん:若いっていいなぁ。パシフィックを買うために2年間もお金を貯めたらしい。愛が違うね。
今村さん:密かに無休憩で登りきろうとしていた策士。峠は初めてとのことだったが峠大好きになった模様
こぐさん:今回は残念ながら不参加。重装備BD-1wを駆る。
イントロダクション
2001/10/13の「峠の香りオフ」でイニーさんがすごく物足りなそうだったので、吉田さんが
「じゃあ今度やる鋸山はいかが?」
という話をしていた。
イニーさんも「考えて見ます」との話。
「この人絶対行くな」とその現場にいた人はみんな思ったに違いにない。
私は既に参加表明をしていた。紹介の文章などからなんとなく鋸山をなめていた。
それから、2001/11/03の「霞ヶ浦ポタオフ」で、行きの輪行中に金田さんが、
「実は先週さぁ、鋸山いったんだけど奥多摩のほうにいく下りの道、もうすごい怖いよ。」
と行っていた。私はちょっとびびった。あとイニーさんのことが心配だった。
彼女は私と同じでダウンヒルが苦手なのだ。
イニーさんもその情報を知り、
「行かないかもしれない」
ということになった。
吉田さんがその情報を知り
「じゃあ、コース変更して下りは奥多摩に行かずに登った道を引き返すようにしよう」
ということなった。鋸山ツーリング2001はいつしか「イニーを峠につれてって」オフとなった。
いや、厳密にいうと「イニーを峠に連行」オフかもしれない。
当日。いきなりの峠に苦しむ
当日の朝、青梅駅集合ということなので、実家に帰ろうかと思ったが前の日は雨。
なんだか輪行するのも面倒になり自宅から出発することにした。
当日は4時起きで、5時前に出発。横浜から川崎へ。川崎から立川へ。立川から青梅へ行った。
青梅駅につくと吉田さんも同じ電車だった。清算を済ませ駅前で組み立てる。
すると誰かが近づいてきた。駅の利用者と思い気にしないでいたら、それはこぐさんだった。
自転車もなく普通の服。どうやら急用で参加できなくなったらしい。
ただメーリングリストでオフ初参加になるのりにぃさんに安いヘルメットを譲る約束をしていたので、それをもってきたとのこと。
なんて律儀な人なんだ。
青梅出発組は、吉田さん、かぜはるかさん、のりにぃさん、そして私。
7時半ちょいすぎに順調に青梅駅を出発する。目指すは武蔵五日市駅。
ウォームアップ程度の峠が途中にあるとの情報。
しかし、これが結構つらい峠で私の心拍数はあがりまくり。
シートの高さが悪かったり(シリコンルブリカントをシートポストに塗ってしまったのが原因で下がってしまっていた)、
体が温まってなかったのが原因の模様。とにかくひぃひぃ言いながら峠をクリアし武蔵五日市駅に到着。
ここで、武蔵五日市組のイニーさん、金田さん、いまむらさんと合流。
合計7人で武蔵五日市駅を出発。目指すは鋸山。
すぐにコンビニで補給食、水等を購入。出発後は少し登りが続いたが割と楽な道を良い感じ進む。
なんかのお店の駐車場のようなところで休憩。
「ここから結構辛いですよ。で、辛いなと思ったらさらにもっと辛い坂が出てきてびっくりします(^^)」
と吉田さん。それを聞いて私、げんなり。イニーさんもちょっとビビり。
いまむらさんは楽しそう。のりにぃさんは余裕。かぜはるかさんもいつもどおり。金田さんは吉田さんのツッコミ役。
5分ほどの休憩のあと出発。そしていきなり急な坂。ここで既に一番軽いギア。
イニーさんが少し怒り始めてる。確かにこの坂は辛いよね。これは峠の香りにはない。
更にこのあと辛いのがあるのか、、、
登りきったあとしばらく走ってからトンネル登場。
「トンネルです。ライトつけてくださーい」
ライトオン!ふふふ、ハブダイナモ&ルモテッィクライトの威力を見せてやるぜ、
あ、あれれれ
ホントに真っ暗じゃないですかー。真っ暗すぎる、こわいー!ギャー
ライトがほとんど役に立たないくらい真っ暗。進むのが怖い。ちょっとオフロードだし。
と、思ったら明かりが壁を移した。横に曲がると出口。ああ良かった。
距離にしてみればほんの短い距離だけどめっちゃ怖かった。
アタックなんて聞いていない
恐怖のトンネルを出てから休憩。そこで吉田さんから驚愕のお知らせ
「ここからは各自アタックってことで。自分のペースで登ってください。」
そっか、アタックね、と思っていると
「え?峠アタックオフなの?そんなのどこにもかいてなかったじゃん!」
とイニーさん。ええ、そうですね、どこにも書いてなかったと僕も思います。
「だって、このオフのタイトル、『鋸山アタック2001』じゃん」
吉田さん、、、
イニーさんが反論している間に、「では10:00からアタック開始です。」とカウントダウンがはじまる。
みんなそれーっと出発。イニーさんも出発。私はのろのろと出発。
吉田さんはイニーさんのフォロー(監視ともいう)を担当。
私は自分のペースを試してみようと1番軽いギアを高回転させ登りつづける。
足がつる感じもない。良い感じだ。
それなりに心拍数もあがったりするが、だんだん呼吸がととのっていく。すると全然楽になるのだ。
スピードもそれなりに。いまむらさんを抜き、カーブを曲がったところでのりにぃさんが写真撮影のため休憩をしているので、同じく休憩した。
そこをいまむらさんが無休憩で過ぎていく。
そのときは「休憩すればいいのになぁ」と思っていたけど、実はいまむらさんには無休憩アタックという目標があったのだ。
もちろん私は知る由もない。
適当に休んだあと再度アタック。自分のペースをつかんだ感じだった。周りの風景や空気を楽しめるようになった。
登りの感じは明らかに麦草よりつらい。
麦草は鋸山に比べると比較的ゆるい傾斜が続き、カーブでぐっときつくなり、またゆるい傾斜が、、、という感じだが、
鋸山はひたすら厳しい角度が続くのだ。
それでも麦草より楽に登っている。自分は成長したのだな、と感じた。
しかしひたすら続く登り。麦草のように標高などの標識もない。のりにぃさんはずっと先に行ってしまったし、いまむらさんもあの後一、ニ度抜いてから姿を見ることはなかった。
一人でとにかく登る。誰もいない。逆にプレッシャーもなく自分には良いように作用した。
適度に休憩をとり、進みつづける。
途中膝が少し痛くなってきた。それはちょっと傾斜がきつい坂のところだった。
がんばって登りすぎてしまった。ちょっとやばいなと思ったがとにかく進むしかない。
少し、下りに見えるところにさしかかった。
「頂上の目印はとくにないけど、頂上までずっと登りで頂上からは下り坂になるので、下りになったら頂上です」
と説明されていたので、
「もしかして頂上?」
と思ったが、先にいってた人たちの姿はない。
もしかして道を間違えたか?と思ったがそんな道もなかった。
とにかく何かを信じてペダルを踏んだ。
時計を見た。11:03分。
吉田さんは1時間くらいで登るといっていた。
俺だって1時間10分くらいで登れないこともないだろう?あともう少しだ!
と自分を励ました。
すると、数分後、坂の向こうに赤いカンバン、それとかぜはるかさんたちの姿が見えた。
「頂上ですか?」と確認した。
「そうみたいです」
そう聞いてから、ガッツポーズをした。
ゴールについたときは右手を高くあげてガッツポーズをすることにしているのだ。
時間は自分の時計で11:09分だった。自分としては納得のタイムである。
しばらくしていまむらさん到着。疲れたのか到着後、自転車と一緒に倒れてしまった。
そして11:30すぎにイニーさんと吉田さんと金田さん到着。
正直なところ、イニーさんは到着しないんじゃないかと思ってた。
私は小躍りしてしまった。そしてすぐ「カメラカメラ」と自分のカバンをさぐった。
吉田さんが「誰か写真とってー」といった。とっさにシャッターを押した。
こうして、鋸山ツーリング2001は終わった。
余談
このあと、意外と暖かいので食事を頂上でした。
頂上のちょっと登ったところにベンチとテーブルがあるのだ。
そこには山登りをしていた人2人組が先に食事をしていたのだが、火器を使ってカレーうどんを作っていた。
私は、うらやましくって仕方が無く「次いくときは絶対火器を使うぜ」と心に決めたのだ。火器は既に持っている。
そして、下山は奥多摩方面がいけそうなのでゆっくり下った。すごく怖かったが(手もしびれた)なんとか下りきり、
もえぎの湯で温泉に漬かった(入り口でひや@BD-3さんと遭遇)
それから自由解散にし、私と吉田さんとイニーさんと金田さんと宴会。宴は17:45まで続いたのだった。
イニーさんは峠の香りではあまり飲めなかったので「今回は輪行するので飲みます」宣言したのだった。
私もそれに付きあうつもりだった。でもあんなに飲むとは。。。
もちろん、飲んだので乗りませんでしたよ〜(^-^)
作成者:にち (nish@lares.dti.ne.jp)
作成日:2001/11/18作成