2001/11/17
多摩川一周140kmロングライド
登場人物
・@nak(あ)さん:BD-3を最近手に入れて峠の準備を進める食べ物系自転車乗りの第一人者
・@nak(た)さん:食べ物系を自称しつつも抜群の運動神経でPacific18
with セキサイダーを駆る。
・たかさん:マウンテンバイクも操る麦草er。BD-1にいろいろなギミックを仕掛ける。
・ミキさん:小径自転車界の赤影。神出鬼没。
イントロダクション
アイスおかわりツアーの途中、江ノ島でご飯を食べてるとき、私がCycle
Sports11月号を出し
「この企画を一回実行してみたいんですよ〜」
と見せた。多摩川一周140kmロングライドである。
これは多摩川の下流の最終点「羽田空港」から、多摩川の上流を目指し途中から浅川に移り、
小峰峠を越え武蔵五日市、羽村取水堰を通り、玉川上水を下り多摩川に戻り羽田空港まで戻る、というコースである。
その時点では「おもしろそう」程度の話だったのだが、@nak(あ)さんが次の日「是非実現させましょう」と発言したのがきっかけで
すぐに日程を決定し、開催にこぎつけたのだった。
私は1週間前の鋸山で膝を痛めたので電車通勤をしていたら電車の中で風邪はやっていたのか風邪になってしまった。
膝痛はほとんど治ったが、風邪は悪い状態のまま当日を迎えた。
平地を走っているのに
朝5時半に起き、6時半に出発。横浜駅から7時ちょっと前の東横線に乗り多摩川駅で下車。
自転車を組み立て待ち合わせ場所の二子橋に向かおうとするが、組み立てがうまくいかない。
チェーンがからまっているようだ。手でチェーンをいじりなんとか組み立て。
手が真っ黒になったので、カバンからポケットティッシュを出そうとすると無い。
いつも2つ入れてあるはずのティッシュがないのだ。
仕方が無いのでグローブの表面で拭いて、出発した。
多摩川駅から二子橋までは5,6キロくらい。最初の足ならし程度に考えていた。
前日まで調子悪かったディレイラーはクリーニングして少しよくなったと思っていたが、実際にシフトチェンジすると2つずつしかシフトアップしない。
シフトダウンは1つずつできるので、2つアップして1つダウン、という方法をとって走るしかなかった。
それは特に問題なかった。問題だったのは体調だった。
やはり風邪は自分の体力をかなり蝕んでいたようで、ペダルが重い。
平地を走っているのに息切れがする。鼻水が出て止まらない。のどがとても痛かったのだが、口で息をするため悪化する。
待ち合わせ時間にはちょうどぴったりくらいだったので、とにかく頑張って走った。
二子橋のところでちょうど到着した@nak(あ)さんと合流。少しして(た)さんも合流。
この時点で8時ちょうど。まだたかさんはきていない。
@nak夫妻はコンビニに買出しにいった。私も食料を買いたかったので@nak夫妻と入れ替わりでいくことに。
たかさんがやってきて、@nak夫妻も戻ってきた。入れ替わりでたかさんと私でコンビニへ。おにぎりや水、チョコ等を買い出し。
戻ってくると(た)さんがいない。トイレにいってるとのこと。しばらく自転車談義をしていた。
(た)さんが戻ってきたので、はれて出発。天気は曇り空だったが雨の心配はなさそうだった。
戸沢峠
最初は私が先頭を走った。
「体あったまるまで、のんびりペースで最初はいきましょう。」
身体はあったまってきたが、温まるというよりは発熱してる感じだ。
汗の感じでわかる。
最初の休憩は1時間後。この時点で結構つらい。
密かに30分おきの休憩を提案してみたが1時間がいいということになった(私も1時間のほうがいいと思う。)
次は3番目を走ることにする。@nak(あ)さんが先頭だ。@nak(た)さんが2番手。全然二人に追いつけない。
足が回らない。仕方なくギアを重くする。息があがる。
この時、鼻水が止まらなくて口で息をしていた。でも扁桃腺も腫れていて唾を飲み込むだけでノドが痛い。
常に喉あめをなめつづける、これで痛みからは解消される。
ちょっと前にいった鋸山ツーリングで痛めた膝に少し違和感を感じていた。走りつづけていたら痛くなるかもな、と思っていた。
重いギアを使っていることをたかさんに指摘されたので、軽いギアでがんばることにした。
みんなにもちょっとペースを落としてもらうことにした。
だんだん、人里はなれたところに進んでいく。既に多摩川から浅川、川口川と進んでいた。
よくわからない道を止まって相談しながら進んでいく。
地図を見ながらいったりきたり。
私は調子が悪いときは勘が悪くなっていることを忘れて、迷ったときに道を提案してしまった。
その道を進むとなんとなく、その地図のある道に出たような錯覚に皆が陥った。
細い裏道を進んで大きな道に出ると山に囲まれた広めの道路に出た。
そこを進んでいくと、だんだんきつい登り坂になってきた。
「これが小峰峠かな?」
皆がそう思っていた。小峰峠は今回のコースの中間くらいにある唯一の峠である。
とにかく死にものぐるいで登っていた。
この時はたかさん、@nak(た)さん、にち、@nak(あ)さんの順に登っていた。
たかさん、(た)さんはサーッと登っていってしまった。でも追いつけない。
ようやく頂上についた。
あ?
あれ?
我々が到着したのは、戸沢峠というところだった。
「雑誌の地図には乗ってないぞ?」
今回のコースが書いてある地図には小峰峠以外は記載されていない。
ということは、これはするほどのものでもない峠ということなのだろうか?
小峰峠は大した事ないように雑誌に書いてあったのでなめていたが、一同に緊張が走った。
小峰峠、まだ見ぬ激坂か?
この峠で少し休憩をした。@nak夫妻はあんぱんを食べていた。(あ)さんはハンガーノック気味らしく、峠を登っている途中にグロッキーになってしまったが、あんぱんで回復した模様。私も補給食をがっついた。そうでもしないと体が動かないのだ。
峠を下り、どんどん進んでいく。
風景はどんどん山の中に進み、きれいな紅葉を見せる。
この時、私は既にペダルを踏むのがやっとな状態であった。
皆に「武蔵五日市で輪行して帰る」と、いつ言うか、そればかり考えていた。
鼻はつまり呼吸は困難になり、意識は朦朧とする。
風景を楽しもうと周りを見る。キレイなのだが、頭で理解するだけで終わってしまう。
しばらく進んでから、止まって(あ)さんとたかさんが小さい地図帳で確認してみる。(私は地図を見る余裕もない)
現在の位置がわかった。
そして(あ)さんとたかさんに旋律が走った。
引き返し
地図で見て見ると、八王子の奥地に迷い混んでいることがわかった。
方角的に北に向かえば秋川に合流できることはわかるがその間にはいくつもの山がさえぎっていた。
検討した結果、今来た道を相当戻らなければいけないことがわかった。
そう、戸沢峠も。
今来た道を引き返して見ると、実は坂になっていたことに気が付いた。
登り坂を少しずつ登っていたのだ。だから逆はゆるやかな下りとなった。これがかなり助かった。
しばらく進んで、いつしか平地となり、そして、戸沢峠の入り口にさしかかった。
ギアを一番軽くし、なんとか登ろうとする。
すると、後ろから(た)さんが追い抜いていく。(た)さんはすごいスピードだ。
あっという間に私は置いていかれる。しかしとにかく今はそれどころではない。
足が回らない。とにかくふんばって進む。それほどすごい坂ではないのに、12%の激坂を登っているようだ。
それでもいつしか、峠にたどりついた。
「(あ)さんが来ないね」
そういえば、私の後ろを走っていたのに、私を抜いていったのは(た)さんだけだ。
下をみても(あ)さんの姿は見えない。
(た)さんが心配している。私は自転車を降りて座ってしまった。
しばらくしても来ないので、たかさんが見て来ることになり、下っていった。
すると、ちょうど(あ)さんがあがってきた。たかさんがちょうど下りきったあたりで合流したらしい。
私は、ああよかったな、と思って空を見た。
(あ)さんが登ってきたときに、(た)さんは「心配した〜、よかった〜」といっていた。
私の知っているいくつかの夫婦の場合、奥さんの怒り、のパターンが多いのだが、仲良いなあ、ほほえましいなあと思っていた。
なんかそんなことを考えながら、私の意識は違う世界をさまよっていた。
お花畑をスキップしていたような気がする。
天気が良くて、頭の中が真っ白だ。
誰かが呼ぶ声がする。
にちさん
にちさん
そろそろいいですか?
「にちさん、そろそろ出発していい?」
はっ、と気が付くと、みんなもう出発の用意をしていた。
私は座りこんだまま、ボーッとしていたのだ。目を開けたまま気を失っていたような状態だ。
「だ、大丈夫です」
と、自転車にまたがった。
とりあえず、このあとは下りだけだ。小峰峠をがんばれば、あとは輪行して帰ろう!
そう思い、力をふりしぼった。
遭遇
結局一時間以上前に地図を見ながら迷っていた場所まで戻ってきた。ここから秋川街道を進んで行くことにした。
結局は単純な道だったのだ。複雑なことを考えすぎていた。
雑誌の地図には右にいったり左にいったりなのだが、それは道のどちらかがちゃんと通れる、または通りやすい道であるというだけなのだ。
私はかなり辛かったが、平地ということもありなんとか進むことができた。
しかし、普通に走っていては皆に追いつかないので自然と重いギアを選ぶようになっていた。
これが後に響いてくることになる。
前方を走っていたたかさん達が急に止まった。
みんな道路の向い側を見ている。
私は最初よくわからなかったのだが、そこには緑色のミニベロに乗っている人がいた。
それはミキさんだった。
彼はおそばを食べに山を走っていてその帰りらしい。
時間があれば鋸山を散歩しようかなといっていた。
鋸山を散歩する人よ、あなたの今通った道、これから今の私が超えることができるのでしょうか。
ミキさんは去って行った。
我々はただ進むのみ。
ミキさん曰く、この後すぐに小峰峠があるとのこと。
道はゆるやかだが登り坂だ。
そして、右手に小峰峠へ行く道がでてきた。
私は「みなさん先いってていいですよ。私は自分のペースで登っていきますので」
といって、一旦自転車を降りた。
みんなはすいーっとすすんでいき、見えなくなっていった。
そう、普通の体調ならばなんてことはないゆるやかな坂道だ。
私はカバンにあるありったけの補給食を口につめこんだ。
ヴァームゼリー、
カロリーメイト、
アーモンドチョコ。
そしてのど飴。
少し、体がうごくようになったような気がした。
がんばってペダルを踏んでいくとそこそこの勢いで登っていける。
これが最後の登り坂と思ってとにかく踏んだ。
小峰峠はスイッチバックが3回分だけの短い距離の峠だ。
木々に覆われたその道は林道のような雰囲気で、少し紅葉がはじまったその風景はなかなかきれいだった。
私は一つ目のカーブのところで体力が切れてしまったが、なんとか小峰峠までたどりつくことができた。
ここからはトンネルをくぐり、坂を少し下ったところが小峰公園である。
小峰公園で遅い昼食を取ることにした。既に時間は1時半を回っていた。
火器
この日はもう一つの楽しみがあった。火器を使った調理である。
私は鋸山の屈辱をはらすべく、レトルトカレーとうどんを用意していた。
そうカレーうどんである。
@nakさんも同系の火器をもってきていた。たかさんは持っていないのでスティックタイプのコーヒーや紅茶を用意してきた。
私のはゴォー!と音をたてて火が出ている。@nakさんのは静かだ。なんとなく勝った気分になる。
まずお湯でもっていったカプチーノを飲む。
そして余ったお湯にうどんを入れて煮た。
再沸騰したところで、レトルトカレーを投下。しかしこれが失敗だった。
かなり水っぽくなったカレーうどんになってしまった。
そうなのだ、うどんを湯きりしてからカレーをいれたほうがよいのだ。
結局、まずくて全部は食べられなかった。ああ、屈辱
人生はリベンジの連続である。
再度何か飲もうかとお湯をわかしていると、(あ)さんがいけないものを発見してしまった。
そう、火を使ってはいけないのである。みんなも気をつけよう(爆)
この時点で体調はかなりよくなっていた。休んだせいだろうか。
小峰公園には変なトイレがあって、そこで用を足してから出発となった。
小峰公園から武蔵五日市までは下り基調の楽な道である。いつのまにか先週いったばかりの武蔵五日市駅前についた。
先週は青梅からここへ向かってきたのに、今回は逆側からたどりついた。なんとなく不思議な気分である。
この時点で輪行して帰るという気分はどこかへ飛んでいた。
とくにそのことについて話すこともなく、武蔵五日市を後にした。
多摩川に戻ってきた
武蔵五日市駅の前にある「やまねこ亭」を写真に収めた後(今度は寄ろう、とリベンジを誓ったのだった)、羽村取水堰に寄るのは時間的に無理だと判断した我々は、五日市街道を進んだ。
いや、進んでいたつもりだった。
登り坂をやっとこさクリアした先には、あるはずの無い川。地図を確認してみると、五日市街道と90度違う方向の道を進んでしまったのだ。
しかし、ここはちょっとした方向転換で復帰ができた。
途中でコンビニによった。私はとにかく鼻をかみたかったのでティッシュを買った。
今日に限ってカバンに入っていないものだから今までずっとガマンしていたのだ。
ティッシュを買って早速チーン!するとびっくりするほど頭がすっきり。
復調したとはいえ、あいかわらず朦朧としていた意識もかなりはっきりしてきた。
そのあとは風邪がなおったように元気に走れるようになった。定期的に鼻をかみ、喉あめを舐めつづける。
これでなんとか体調を維持できるようになり、やっと余裕がでてきた。
サマーランドを通り、秋川から多摩川へ。その頃には日没を迎え、ナイトランを覚悟しなければならなかった。
しかし、皆の顔には笑顔が。
ついに戻ってきたのだ、多摩川に。まるで自分の家に戻ってきたような安堵感。
ここを進めば迷うことなくいつしかゴールにたどりつくのだ。
この後の厳しい道のりを知ることもなく、我々は荒れた道を元気に進んで行った。
あれが二子橋
とりあえず、辺りが暗くなってきた。サングラスをはずしルモティックライトの電源を入れた。
この時を待っていた。ナイトランは危険だが、ルモティックライトの効果を感じられるのはうれしい。
期待どおり、抜群の明るさで地面を照らしていた。
それは暗闇の多摩サイを走ると特に感じることができた。とにかく真っ暗なのだ。
途中にダートがあったり、道なのか道じゃないのかがわからなかったり、
ライトで明るいとはいえ、ライトが照射しているところ以外は見えないのだ。
その割には時速20キロ超の速度で巡航している。
それは一番前を走るたかさんのおかげだった。
マウンテンバイクでなれているのだろうか、ダートも未舗装の道も躊躇なく進んでいく。
後ろの3人もそれに頼ってぐいぐい進んでいく。
既に100キロ近く走っているのではないだろうか、私の体調もいつしか悪くなりはじめていた。
ときたま、たかさんが
「休憩しますか?」
と止まって聞いてくれるので、
「そうしましょう」
といいかけると、(た)さんが
「大丈夫です!」
と元気いっぱいだ。
もうヘロヘロだった私は、
「すいません、水だけ飲ませてください(; ;)」
と懇願した。
ゴールは近い、いや近くないのだが、ゴールが見えてきているのだ。
早くゴールしたい!みながそう思っていた。
このツーリングを終了したい、というわけではなく、そこにはゴールを目指す強い意思だけがあった。
(私は、とにかく終了して休みたかったんですけどネ(笑))
私の中では「まずは是政橋までつけばだいたい距離が計算できるな」
とおもっていたので、早く是政橋につきたいとおもっていた。
走っていると、なんとなく見覚えのあるような橋がある。他のまわりの環境は暗くてよくわからない。
「あれが是政橋か」
違うようだった。
しばらくいくと、電車が走っている橋が見えた。
「あれは、南武線だな、じゃあその次の橋が是政橋だ」
モノレールだった。
南武線と多摩モノレールの位置関係がよくわからなかったが、とにかくがっかりした。
しばらくいくと、また電車が見えた。
「あれこそが南武線だな。じゃあ、是政橋も近いぞ」
電車の下を通りしばらく走り、そして是政橋についた。
と、思ったら
「関戸橋だよね、これ。どっち側を走るんだっけ」
え?
南武線だと思ってたのは京王線だった。
泣きながらナイトランは続く。
多摩川サイクリングロードの舗装された道をずっと進んでいく。
無点灯自転車や、ジョギング男をかわしながら、一筋の光になった4台の小径車は良いペースで先を急ぐ。
ついに、黄色い電車が見えた。
「南武線だー、南武線といってくれえ」
そして、やっとこさ、是政橋についた。
ここで、とりあえず休憩することになった。
「是政橋についてしまえば、あとはあっという間だ。」
そう考えていた。行きは是政橋まであっという間だった。確かそうだった気がするのだ。
残った食料を胃に詰め込む。
この時点で私の足は相当冷えてしまっていて、痛みもひどかった。
休んでいるうちに体全体が冷えてきて、また具合が悪くなってきた。
体が震えてきたのでレインウェアを上下着てみた。
ゴアテックスレインウェアは暖かい。麦草についで、ここでも助けられた。
ちょっと長めの休憩を終え、最後の走りへペダルを踏んだ。
しかし、体が思うように動かない。しかも風邪の諸症状がいっぺんにでてきて辛い。
空気は結構冷たく、ペダルを踏んでいるので身体は熱いが、なんかヤバイ熱さなのだ。
橋が見えてきた。あれがゴールの二子橋だろうか。
しかし、素通り。どうやら違うらしい。
そういえば、二子橋はすぐ隣に新二子橋があったはず。
あ、二つ橋があるぞ、きっとあれだ。
一つ目の橋を通過。これが新二子橋だね。
そして、二つ目、あれれ、これも通過ですかー
ああ、もう限界ですよー
そうすると、地面に「ゴール」と「スタート」の文字が。
ああ、ここ通ったなぁ。
林道のようなスイッチバックの道を通る。
これが終わったらもうすぐだったような気がするなあ。
ああ、橋だ、あれかなあ
でもやっぱり通過ですか。
そして、また二つ並ぶ橋が。
もう期待しないけど、やっぱり期待してしまう。
ああ、電車走ってるよ。もしかして、東急かい?
ああ、そうだよ、やっぱり東急だよ。
ついたんだよ、ゴールに。
ギアを6,7、8、9と上げていく、みんなも猛スピードモードだ。
もう間違いない。
今出せる一番早いスピードで、ゴールへ向かう。
新二子橋を通過。ゴールが見えた!
そして橋の下の暗闇にすいこまれるように、もぐっていった。
ゴール!
走りきったよ!
感動というより、呆然。
ガッツポーズもし忘れて、しばらくしてからやってみた。
みんなで健闘をたたえあった。
なめきっていた140キロロングライド。それは過酷で、それでいてすばらしいツーリングだった。
体調の良いときにぜひもう一度やりたい、そう思った。
それは新たなリベンジのはじまりだった。
エピローグ
時間は7時をとっくに過ぎていた。
とりあえずみんなで食事を、ということで二子玉川駅付近まで移動。
この移動さえ、もう辛くてしょうがなかった。
このあと楽しく食事。食事は問題なくできた。風邪は吹き飛んでしまったのか。
食事後、みんなは自走で帰宅。私は輪行で帰ることにした。
輪行し、横浜から自宅へ自転車にのってみたが、膝が痛くてペダリングするのが辛かった。
こんな状態でよく走ったもんだ。と少し自分に呆れた。
しばらく自転車に乗れなくなるかもしれないな、そう思った。
そして、それは現実のこととなった。
おしまい。
作成者:にち (nish@lares.dti.ne.jp)
作成日:2001/11/18作成 2001/12/29更新