正式名称は蔡温具志頭親方文若と呼びます。蔡温は唐名とされ、
琉球名が具志頭
(グシチャン)今日風に呼べば「ぐしかみ」さんである。
その後の「親方」は官位とされ名前が「文若」となります。

 蔡温は1682年9月25日、那覇市久米村に生まれます。
27歳のとき、王府より中国への進具在留通事を任命され留学し、地理・風水を学んで帰国します。47歳で三司官(大臣)に就任し、尚敬王を補佐し25年間にも渡って琉球の国政に関わり、第二次「琉球王国の黄金時代を形成」したとされます。

 琉球王朝は1667年の周国俊以来、1868年の鄭良佐の中国派遣に至るまでの
200年間に渡って、11名の人材を「地理・風水」を学ぶために留学させています
帰国後は銀30両を支給していることをみれば、王府がいかに「地理・風水」に
関心をもっていたかがわかります。
蔡温は帰国後の1713年、早速「首里城と玉御陵」の風水による吉凶判断を行っています。

 「それ地理の大、建都立国より先なるは莫し。是の故に、古の聖王将に都を営まんとするや、其の居るべきの地を渡りて、以って其の吉凶を審にせる・・・」

と風水判断による建都の重要性を説いています。

  • 1728年蔡温三司官となり国司を兼任。
  • 1735年羽地川改修工事。
  • 1750年「三府竜脈碑記」を名護に建立。
  • 1761年死去、71歳。

著書に「独物語」「山林真秘」など多数。