沖縄が琉球王国として独立していた17世紀に「風水」が中国・福建省から伝来したとされます。「琉球国由来記によれば、1667年に周国俊国吉通事が福建省で学んで帰ったのが始まりとされます。しかし「風水」を思想に止めず、実践にまで持ち込み、今日の沖縄文化財として広く知らしめるに至った立役者は、琉球最大の風水師にして行政官である蔡温という人物が特筆されます。


 蔡温は、周国俊に遅れること58年(1708年)、福建省で地理・風水を学び帰国、その時、風水の秘書とされる「大羅経」を持ち帰ったと伝えられます。
 当時「風水」は二つの学派(江西派と福建派)に分れており、琉球王国はこの羅盤を用いて方位を重視する、福建派の影響を受けたとされます。蔡温は帰国するや、「首里城の風水」を見極めたり、琉球第二王統・尚家の「玉陵」の風水を看たり、また羽地大川の河川工事を推進したり、全島的に琉球松の植林による国家プロジェクトに着手します。


 この事により、琉球士族間で「屋敷風水」の建築や徐々に「墓地風水」への関心が高まり、それが農家や平民にまで浸透して行っただろうことは予測に堅くありません。蔡温の時代というのは、既に琉球王朝が薩摩の侵略(1609年)によって陰りをみせ、日支両属という困難な時代を迎えている時期です。