<解説>
第二次大戦前の日本駆逐艦−「綾波」や「雪風」に代表されるような−というものは、「艦隊決戦型」と称するべき存在であった。
つまり、
「アメリカ海軍が太平洋の向こうから攻めてくる。
「日本海軍はマーシャル諸島あたりでこれを迎え撃つ。
「米太平洋艦隊と帝国連合艦隊の、一大艦隊決戦だ。
「我が駆逐艦は、その際に魚雷を敵戦艦にぶつけるのが仕事である。
「その為には1ktでも速い速力を持ち、1本でも多くの魚雷を搭載しなければならん。
「それ以外の能力は要らん。使う予定がないからな。
「幾ら金がかかっても、幾ら建造に時間がかかっても構わん。敵戦艦と相打ちになる性能があればお釣が来る。」
と。
まぁ有り体に言ってしまえば、そういう思想で設計され、建造されたもので、藤原などが設計図を見ると、
「これって芸術作品だよね〜。」と、
呆れるのを通り越して羨望の念すら抱いてしまう程のモンだったのである。
さて。それでも太平洋戦争は始まってしまった。
昭和17年も後半になると、ソロモン諸島あたりで米軍の反攻が始まって、
用兵屋と技術屋は自分が如何に間違っていたか思い知ることになった。
堂々たる艦隊決戦のカの字もなくて、ひたすら輸送船団か上陸船団か、主力艦隊の護衛。
敵は戦艦じゃなくて、飛行機と潜水艦と魚雷艇。
自慢の高速も魚雷も燃料と重量の無駄になってて、使ってるのは機銃と爆雷だけ。
そのうち「駆逐艦に物資を載せてガダルカナルに置いてこよう。」とか、わけわからんことになって、
魚雷と主砲を陸揚げして、機銃と上陸舟艇を搭載して、揚陸艦の真似をさせられる始末。
飛行機や潜水艦をなめた設計をしてあるから、凄い金と暇をかけて建造したのにざぶざぶと沈められる始末。
「こりゃあいかんでしょう。」
さすがにそういうことになった。当たり前だわな。
で。
「高速は要らん。魚雷も大して要らん。
「機銃と爆雷をしこたま積もう。ソナーとレーダーも要る。
「駆逐艦1隻建造するのに2年もかかってたら、戦争が終わっちまう。
「質より量だ。安くてすぐに出来る駆逐艦が欲しい。何隻造ってもいい。幾らでも使う。」
とまぁ。
設計方針がまるで180度変わっちまったのである。
で、設計されたのが「松」級の駆逐艦なわけである。
スペックを見ると、それまでの駆逐艦との違いがとても良く分かる。
「排水量:2000t→1300t
「速力:35kt→28kt
「主砲:12.7cm砲(対水上艦用)6門→12.7cm砲(対空/対水上両用)3門
「機銃:4門→20門(それでも足りなくて増強するんだけど)
「建造期間:2年→半年
「その他:沈みにくくしてみた。どうせだから上陸舟艇を搭載してみた。
とまぁ、それなりに第二次大戦型な駆逐艦になったわけですな。
本当のところでは、戦争を始めてみたら日本の技術力の底の浅さが牙をむいちゃって、
しかも鉄板は足りん、機関用の特殊鋼材は日本のどこにもない。
その上、陸式(陸軍)が造船所の職人さんを徴兵しちまうもんだから、これまでの芸術的設計だとそもそも造れない。
とまぁ、こういう事情が一番大きかったのではないかと。
そうこうしてるうちに、前線の方から、
「まだまだ足り〜ん。」という、
魂の叫びが聞こえてきたので、「松」級を改良(?)して更にカンタンに造れる駆逐艦を設計した。
これが改「松」級、すなわち「橘」級駆逐艦なわけ。(ああ長かった。)
「橘」級の色々な簡易化は、かなり凄まじいものがあって、
船体の外板は見るからに鉄板切って張っただけ。
その鉄板も、良い材料を使う余裕がないので普通の船に使ってるのと同じ軟鋼材を使ってて。
藤原の先輩の人々の手記を見たりすると、使う人からだいぶ怒られたらしい。
まぁそれでも機銃を増やしたり、レーダーを増やしたり、真面目にソナーを積んだりして、
しかも少ない資材と短い工期で建造でき、沈みにくく修理も簡単、というなかなか使える奴に仕上がっていて、
「日本海軍の大戦型駆逐艦の決定版」と呼んで良いだけの性能を有していた。
で、工廠と造船所を動員して量産することにして、
やれば多分4ヶ月くらいで建造できそうだったんだけど・・・。
空襲と物資不足に悩まされてるうちに、20年の8月15日が来てしまって。
何とか14隻か完成した時点で、戦争が終わっちゃった。
「橘」級の物語は、技術者が思っていたことと現実が違ってとても苦労する物語、な感じで、
エピローグの「死ぬ気で頑張ったけど駄目でした」感が、私とても好きなんですが。
この駄文を読んだ皆さんは、どう思われましたかな?