うちの学科には、3年次に「操船論・実習」と言う講義があった。
乗船実習、という事で、夏休みに東京商船大学の練習船「汐路丸(しおじまる)」に1泊2日で乗り組んだ訳である。曲がりなりにも造船学科ゆえ、船の上で何が起こるかくらい知らないのは「造船力が足りねぇ」、という事なんであろう。
船、と言えば、船酔い。お食事前またはお食事中の方は、キケンですからまた後で。

1、出港
1997年7月16日、午前。
陸上は、雲が出てはいるがまずまずの天候である。
学科の3年一同は、勝鬨橋も程近い隅田河畔に集合していた。
我々の前に姿をあらわした「汐路丸」は、全長50m・総トン数400tばかりの、割合と小さな船。この船で伊豆の伊東沖に行くという計画に、この時点で不安を抱く慧眼の士はいなかった。
午前10時。まずまず予定通りに、汐路は桟橋を離れて東京港を出港した。
まだ何も知らぬ学生どもを載せて。

2、波涛
出港してすぐの頃は平穏な航海であった。
レインボーブリッジを下から見上げたり、羽田沖からジャンボの離陸を見たりして楽しんだものだ。

横浜沖あたりからだんだん風と波が立ち、揺れ出してきた。南方洋上の梅雨前線から風が吹きつけて波を起こし、汐路丸に真っ向からぶち当たるためだ。しかも汐路丸というのが良く揺れる船なのである。船乗りの練習船だけの事はあって、ピッチング(縦揺れのこと)が大きくなるようにしたとしか思えない設計なのである。
ブリッジで当直(の真似事)をする学生が、一人、また一人、青い顔で下の甲板へと降りて行く。
下の甲板には、この船唯一の便所があるのだ。

観音崎沖を過ぎると、船首にぶつかる波は最高潮に達し、汐路丸はまさに木の葉の如く揺れた。
波の山に船首が乗り上げ、登り切ったと思う間もなく、次の瞬間船体は下へと向きを変えて波の谷へと突っ込んで行く。
その時には、目の前に次の波が迫っている。
「ぐわぁぁん」
という、鉄板をハンマーでぶん殴ったような凄まじい音をたて、船首が波に激突する。
慣性の法則で、我が身が前へと吹っ飛ぶ。
噴き上がる水飛沫で、ブリッジから海が見えない。
「ウォーターハンマー現象」である。船首が波に突っ込んで海水の塊に衝突する瞬間、凄まじい音響と衝撃を発生するのだ。
いつしか、ブリッジに学生の姿は私一人になっていた。
便所は修羅場となっていたらしい。
聞くところによると、洗面台が詰まってお好み焼きがぷかぷかと揺れていたらしい。
胃酸はかなり苦いらしい。
それでも私は、青い顔でブリッジに踏みとどまっていた。
海図を眺めでもしようものなら、たちまち下の甲板行きである。米海軍の潜水艦だの、海自の新鋭護衛艦だのが通りかかったにもかかわらず、双眼鏡を覗く事もできない。一点を見つめているだけでこみ上げてくる。陸上者(おかもの)の私には、大揺れの船上で立っているのがやっとなのだ。
船長は涼しい顔で、「このくらいは揺れているうちに入らないよ。」と言っている。やはり本職は違う。なんでも、大時化の日に酒を飲んでいたと言う話だからな・・・。

このままでは学生の体が伊東沖まで持たないという事で、汐路丸は館山湾に避泊する事になった。結局、我々は東京湾を出る事すらできなかったのである。
館山湾に入ると、揺れは冗談のように収まり、みんなも顔色を取り戻した。
遂にこの揺れに耐え抜いた私は、一つのことを成し遂げた満足感にひたっていた。

3、航走
館山湾での一夜が明けた。狭い甲板で体操をし、船内の掃除をする。私の班の担当はブリッジだったのだが、
「はいこれ」
と言って渡された物、それはピカール。クルマとかの金属部分を磨くアレである。昨日の時化でステンレス部分が白く塩を吹いてしまっているので、「ピカーラー」の異名を持つ私がげしげし磨いたのである。
経験上、どうも造船とか海運とかの船に関係した人々には、輝いている金属は磨かないと気の済まない傾向があるようだ。

汐路丸は館山を出て北上し、鋸山沖で学生が交代で舵輪を握ってみる事になった。なんかふらふら走ってるなァとお互いに笑っているうち、私の番が来る。
「ポートハード」(取り舵いっぱい)
「ポートハード、サー」(取り舵いっぱい、よし)
とかやっているうち、大型船がいつの間にやら汐路丸の左側を併走していた。アメリカはAPL社の「President Polk」、数千個のコンテナを搭載するコンテナ船である。
「あのコンテナー、何だか近付いてくる気がするんすけど。」と私が言ったところ、航海士さんはレーダーを覗き込んで、
「うん、近付いてるよ。気を付けてね。」と言われた。
気を付けろって、何に?
私の頭の中は、コンテナ船て一隻いくらするんだろう、という事で一杯になった。

4、帰港
かくして、なんとかこの度の航海は終わった。
上陸後、愚かにも我々は秋葉へと向かった。
「なんか、ふらふら歩いてるねぇ?」
「お互い様だよ。」
「ああ、揺れない大地はすばらしい。」

ちなみに、この翌日は再履している関数論のテストであった。
落ちた。
脳みそを揺らしたせいらしい。


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