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Last update : 2000 03/01
活動日誌
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2月27日(夜の部)

かくして池袋から帰ってきたのだが、 友好サークルからの葦要請に応えるべく、 休む間もなく主務者宅で作業に移る。 翌28日の午前が締切なのである。
16時頃から取りあえずトーン貼り。 制服のリボンにとにかくトーンを貼る。 で、18時にヨコハマに出て牛丼を食い、物資調達。
「今からトーン選んでるのってかなりナニだよね。」
「これから雲を描けっちゅーんかい!」
というナイスな状況である。
下宿に戻って「モカ注入」を行った上で制服にトーンを貼る。 とにかく貼る。 2300時、また主務者宅に戻って作業を行う。
ネタに合わせてサントラがかかっているのだが、
「あ〜っ!また「Last Regrets」まわってきたぁっ!」
「あと*時間っ!」
という楽しい状態で時間が過ぎて行く。
私は作業全般が遅いのでいつも怒られているのだが、 段々スピードアップして行くさまが笑える。 能力値が上昇しているのなら良いのだが、 粗製濫造になっていたとすると悲しい。
背景にトーンを貼ったりもする。
「あのさ、雲トーンてどうやって貼るの?」
「それは「ドリーマーな感じ」で宜しく!」
とても素敵な状態である。
トーンを削ってハイライトを入れる。 私はこの作業の経験がない上に立体感覚がないため非常に苦手である。 しかしながらやらねば間に合わないので頑張る。 頑張っても出来ないものは出来ないらしいと分かる。 そのうち疲労でトーンの目が見えなくなってきたりする。 だいぶ原稿を悪くしてしまったので、非常に悲しい。
そのうち「Last Regrets」が回ってきても何も言わなくなる。 私なぞ、回って来たことすら認識できなくなっていたりする。
さらに切羽詰まり具合も極端になってきて、
「煙草喫ってきて良い?」 「駄目。」だったのが、
「便所借りるよ?」 「却下。」となってくる。(一部嘘)
0700時にもなると大体どうにかなった感じなので、 最後の力を放出してトーン圧着/屑払い/修正を始める。 単純非熟練作業は得意なので、あとは寝さえしなければ良く楽である。 主務者は
「後書き殴り書きな本が多い理由が分かったよ〜(泣)。」 て感じで前書きと後書きを書いている。
かくして0820時。原稿完成。 印刷屋に持ち込むには0800時には出発したい計画であったので、
「原稿は全部あるなっ?」(<2人で2回確認した)
「要るものは原稿と発注書とお金っ!」
「中央線で青梅まで寝るなよっ!」
「つーか中央線が停まってたら新刊オチるっ!」
「じゃぁ・・・おつかれ!」
という勢いで主務者は入稿の旅に出た。
私の28時間に及ぶ「イベント逸般参加直行締切直前修羅場」の闘いは、 ようやく幕を閉じるのである。
ちなみにこのあと、20時間寝たらしい。


2月27日(昼の部)

ヨコハマ造船所の発表によると、 同所萌熕部調達課は「さんしゃいん」海域にて「すきすき」海戦に参加、 予期したる戦果を挙げたり。 同所発表は以下の如し。
0615時、根拠地を出撃。 これまでの戦闘では常に友好艦と艦隊を組んで出撃していたが、 今回は初の単艦行動である上、 友好艦より発せられた戦闘指示も詳細なものであり、 一抹の不安が感じられるところであった。
0745時、「さんしゃいん」海域着。 攻撃開始まで待機状態に入る。 既に多数の味方艦が参戦しており本艦は2つ目の4列梯団最後尾という位置取りとなったため、 敵艦隊との遭遇機会が懸念された。
1100時、戦闘開始。 すたっふ艦に先導された味方艦列が次々と突入して行く。 戦闘海域では多数の味方艦により航路が異常に輻輳しており、 また敵艦隊の新型艦は次々と壊滅していく状態であった。 しかしながら本艦は最適航路を取り、計画通りの戦闘を行うことが出来た。
1200時、予定された敵外周艦隊との会敵を終了。 海域内の島嶼に攻撃を開始する。 「葉」島、「鍵」島の付近は狭隘な海峡部に味方艦が集中したため、 本艦は海峡中央部で一時航行不能となった。
1315時、島嶼攻撃計画を終了。 本来ならここで残敵掃討に移るのだが、
・既に十分な戦果を挙げた。
・砲弾の消耗が激しく、特に来週に迫った京都水域での作戦を考慮するとこれ以上の戦闘は困難である。
・夜戦が予想されており、燃料を温存すべきである。
・優秀な敵艦艇は多くが全滅している。
といった点を考慮し、早期に撤退を行うこととした。
本日の戦闘は多くの味方艦が出撃していたため困難なものであったが、 事前の作戦が適切であったため計画通りの戦果を挙げることが出来たのは慶賀の至りである。


2月25日

ガッコが入試で入構禁止ゆえ、海事資料センターで心おきなく調べ物。
あすこは開架式でほぼ全ての資料が閲覧できるから、非常に好きである。 何とか海運ビル内に就職できないか考えてみたり(<無理)。
借りたもの。
「船舶建造システムの歩み」南崎邦夫 著
「船台虫夜話」田中正一 著
「造船とわたくし」小野塚一郎 著
「Ships for Victory」FREDERIC C. LANE 著
普通に戦時標準船本を造ると他の方々の凄さを思い知るだけになるので、 戦標船の建造が戦後の日本造船界の発展に与えた影響、というのを中心に 造船所の関係で攻めてみようかと思っているのだけど。さて。


2月21日

友好サークルよりお手伝い小人さん1名を受注したため、枠線引葦。
PIGMAの0.8mmで16ページ分を引きまくったのでけど、 ちょっと難しい筆記具で、綺麗な線を出すのに手間取ってしまう。 0.2mmは使いやすくて綺麗で安い、非常に良いペンなのだが。 自分の線の引き方がちょっと普通と違うんじゃないか、という気もしたし、 美しい図面を引くためにはまだまだ修行を積まねばなるまい。


2月18日

「大いなる計画」完遂のため、相棒と西国分寺の緑陽社へ。
私自身はしばらく用がない筈なのだが、 折角だからくっ付いて行くことにしたんである。 まぁ何が得られたわけでもないのだが、行ってみて良かったという感じ。
で、袋虎書店へ。
面白いと聞いた漫画(商業です)を探しに2Fに行ったつもりが、 ついつい3Fまで上がってしまい、即ち2冊ほど本(非商業)を購入してしまう。 業が深い。 探していた漫画がなかったので駅向こうの芳林堂へ行くも、やはり売り切れ。 「えの素」4巻とか「玄人(プロ)の独り言」5巻とかを購入してしまう。 つくづく業が深い。
でもってアキバへ。
前回貧窮により果たせなかった「戦前船舶」バックナンバーの購入のためである。 レオナルドに行ってみると、買うつもりだったものが半分も売り切れている。
貧しさに、泣けた。
貧乏な身の上をよくよく嘆きつつ、ある分だけ購入して帰ったのであった。


2月15日

学科の図書室に行って本を漁っていると、 本棚の奥の奥にぼろぼろの汚らしい紙束がある。 「昭和二十五年度 造船、救難関係諸資料」(運輸省船舶局造船課)である。 本として、いや紙束としてすら崩壊寸前の状態であった。 厳重に注意しつつぱらぱらやってみる。 当時の造船施設の統計やら 戦時標準船の改造・解撤やらの資料があるので保護することにする。
図書室のおねぃさんに 「こんなのどこから見付けたんですかぁ?」 と聞かれてしまうのは、いつものことか。


2月14日

さっとまんと連れ立って中央郵便局に行き、 申し込みを済ませる。 昼間の混雑した郵便局の机の上で 申し込み書類に振込票を貼っ付ける作業をしたりするのは 多少どうかという気もしたが…まぁ背に腹は替えられないってことで。 私の脇から覗き込んでいたお姉さん、 あなたは敵ですか味方ですか?


2月13日

8時、出陣。
会場の鶴見緑地公園は、花博会場跡地だけあってだだっ広くて、 そして何もないところだ。 会場前に一般入場者がたむろしている。 ここは大阪であるにかかわらず。言語は関東弁が主流を占める。 関東イベントで良く見掛ける顔が非常に多い。 強者は幾らでもいるのである。
今朝のBS側は理解不能なまでに手際が悪く、 一般参加者列を10時過ぎてから作り始め、 更に人気サークル3つを外に出し、そこと一般一般入場列の計4列に 無理矢理作り替えたりするものだから大混乱。 歴戦の勇者達は文句ぶぅぶぅである。 会場内でもかなりのものだったらしい。 予定より大幅に遅れ、11時過ぎ開場。 みんなヘタれていたので開場拍手が寒い寒い。
とりあえずコピー誌列に並ぶ。 ほとんどの人が隣の某サークルさんに並ぶため、さくっと買える。 よって私も隣の某サークルさん列に加わる。 東京のイベントで一般入場者が買えるような本ではないのだ。 列に付いたのが遅かったので売り切れが心配だったが、 佐祐、もとい天祐神助でぎりぎり購入。 兵隊さん達は殺気立っていて、切断列にくっ付こうものなら後方から罵声が飛ぶ。 さすが大阪である。
内部に突入。 1ヶ所のコピー誌が売り切れていた他はお目当てを達成。 大阪まで来た甲斐があるというものである。 会場を数周して掘り出し物を探しつつ、狙いのコピー誌販売時刻にしたがって行動。 本日ノ戦果ハ期待シタル以上ノモノナリ。 我ながら成長したものよ。
さて、1430時より恒例の色紙オークション
ぱっと見で買いたくなるような色紙は数万総トンもの巨大なものゆえ、買えない。 私が良いと思うようなところにはみんな目を付けているのだ。 そんなに有名でないサークルさん(失礼!)の良さげな色紙もあるのだが、 自分の中で付く価格との折り合いが付かないのでケン。 かくして一回も競りに加わらずして終わる。
本日の最高落札額、40000総トン。 ちなみに描いた方も買った方も前回と全く同じ組み合わせ。

用事も済んで日が暮れて。飯を食して東京へ。 「ひかり」が混んでいるので、「こだま」でゆっくり帰る事にする。 車内で相棒と今後の予定を考えたり、金銭貸借が良く分からなくて困ったり。 イベントの後はヤル気が充実するのは良いとして、 金銭感覚が狂っているからね。 これからは気を付けます、てことで。
新横浜を間近となり、車窓からランドマークタワーが見える。 アレを見て「帰ってきたあッ〜!」と思うようになってるあたり、 すっかり横浜市民だなぁ、と。


2月12日

目が覚めるとさっとまんに叩き起こされていて午前10時な
申し込み書類を確認すると下宿の郵便番号が入っていない
振込のため中央郵便局に行くと土曜日だけに取り扱ってない
よって大阪まで申し込み書類を持って行く羽目になる
かくしてBS5へと出陣する。 目指すは遥か西方にあるというオオサカのまちである。
新横浜で購入したシウマイ弁当を食い終わって一息つくと熱海。 富士山を拝んだあたりで寝入り、断続的に寝続ける。 新大阪で叩き起こされる。ごめん。
とりあえず一宿のお世話になるtie2さんに御挨拶しようと日本橋へ。 世の中とは案外単純なものらしく、思っていたよりは簡単にお会いできた。 そして日本橋の地図を描いてもらい、冒険の旅に出る事にする。
出る前は「わざわざ大阪まで行ってアキバと同じ事をしてもしょうがないでしょ〜」 と思っていたのだが、それは間違いなのである。 「わざわざ大阪まで行ったからこそ」するのである。
日本橋でんでん街はアキバ電機街を高濃度圧縮したようなところだった。 何せ歩道まで狭い。 アキバ行った時と同じようなコトをしたのだが、 「大阪まで来た」せいか実に楽しめた。
飯を食ってtie2さんのおうちへ。 tie2さんのお部屋は実にさいばーで、 何やらパーツも沢山あり、羨ましくなるのである。 PCを作る話になり、マザーボードをいぢる話で勉強させてもらう。 手元に現物があるので実地教習。 その上Celeron333&すごいクーラーを分けてもらえることになる。 ありがたやありがたや。


2月11日

深雪さんや寺西さんにお誘い頂いたので、熱く艦船を語る会に行く。
1100時にグランデ6F集合…ということで行ってみると、既に7名の大所帯である。 「とりあえずどっかだべれるところへ」とてジョナサンへ移動。 グランデ6Fに集合しておきながら誰も本棚の方に行かないあたり、 恐ろしく業の深い集団としか言いようがない。
で、ジョナでコーヒーをお替わりしまくりつつ熱く語る。 露西亜の「ノブゴロド」(例の丸いフネ)の模型を拝見する。 素晴らしい。 俺的にはこいつの安定性能とか推進性能とかに興味を抱くのだが、 皆さんそれぞれの専門分野から興味深いお話が出る。 駆逐艦、鋼板技術、装甲艦、要塞、戦史、運用、モデル、ゲーム…。 これだけ人がいて専門の方向が重なっていない、というのも不思議なものだ。
で、飯田橋の乗り物本屋に移動。 中で盛んに蘊蓄が交わされた後、外でも立ってだべる。 やっぱ「友鶴」事件は技術者の責任だよ、俺としては。 それぞれの立場からの意見はあるのが当然なのだけど。
話は尽きないながら今度は池袋の西山洋書に移動。 最近はMarchant Shipばかり調べているのでそういう物件を捜索する。 今一つ見つからない。 艦艇の方が人気があるのは洋の東西を問わないのだろう。 特TLの「熊野丸」の図面\4000を買いたかったのだが相変わらず金がない。 暇はあっても金のない学生の身分を嘆きつつ、上野に移動。
「改札を出ない方がお金がかからなくて良いでしょ」、 との理由により駅のサ店でだべる。 とにかくだべる。 旧軍もヘンな組織だったけど、自衛隊もフツーでないよね。
お酒を飲む事になって外の「ライオン」で飲みつつだべる。 やっぱり模型屋に就職するのは不可能そうだ。 だいたい俺、模型作れないし。 服部さんの「アップルトン名将説」を拝聴して大変なる感銘を受ける。 そりゃもう、目から鱗が落ちたってくらい。
寺西さんが、全員の専門分野を統合して八八艦隊本を造る計画を盛んに進めている。 私には船舶工学が回ってきそうだけど、さて。 どうも造船学科を出ているというだけで 買いかぶられている気がしてこそばゆいのである。 とりあえず勉強し直して、皆さんのお役に立てるようになりたいものだよ。


帰った後、夏の申し込み書類を書き、カットを描く。 明朝1000時にさっとまんに来てもらい、 両者で書類を確認しあった後で郵便局で振込&投函、 した上で西征の途に就く計画なのである。 0700時、大体できたあたりで記憶を失う。


2月9日

今日も今日とて国会へ行く。
実は国会も行くのが初めてで、 入った瞬間から初心者らしく戸惑ってみる。
西島亮二氏の回想録がないか検索してみたのだが、当然ない。 防研非公開図書を探す方が悪いのであるが。
とりあえず「センジヒョウジュンセン」で検索をかけたら、結構な数が引っかかった。 谷恒生の戦記物。うぐぅ。
「スイライテイ」を検索してみる。1件ヒット。 「水雷艇友鶴殉職者報国録」(海軍佐世保鎮守府編)あぅ〜っ。
「カンテイ」で検索をかけると手相と風水の本ばかり出てくる。 日本の図書館ではどこも同じなのだろうが。

とりあえずお探しのものがなかったので、アキバへ。
13日に大阪で行われるOne/Kanonイベント、BS5のログを買うためである。 ばお〜が売り切れ、めっせ未入荷、Dにて購入成功。 行く人2名と行かない人2名の分、計4冊で\4400…。
で、「戦前船舶」を買いにレオナルドへ。
戦標船と水雷艇ネタが豊富なので、 欲しい号をピックアップして行くと\6600に達してしまう。 夏目先生にお聞きするまでもなく購入不可能。 もっと金子を用立ててくるべきだったと反省しつつ帰投。


2月7日

恵比寿駅で深雪さん、寺西さんと待ち合わせて防研へ行く。 技研本部を見学させてもらったことはあるが、 防研は始めてである。
自由に閲覧できる「戦史叢書」に初めてお目にかかったので中を覗いてみる。 どうも標準船建造隻数が「戦時造船史」と違うような気がする。 突き合わせるために「戦時造船史」を書庫から出してもらう。
俺ですら持っている本がなぜ戦史資料室という場所にあるのだろう、 と思いつつ本を手に取る。妙に分厚い。 数百枚に及ぶノート用紙をページに直付けし、鉛筆で書き込んであるせいである。 誰ですかこういうことをす…

「西島 感」で始まる批評と訂正である。
…はうっ。
……恐れ入りました。
………大変失礼をば申し上げました。

読んでみるに、同書と戦時計画造船に関する非常に率直な意見 (そんな生優しいものではないが、とりあえずこう言っておこう) であった。 これまで「戦時造船史」に対して抱いていた幾ばくかの違和感を解消し、 更には同書の間違いを修正してくれそうである。 だぁがしかし、コピーすると20万総トン級の諭吉先生が撃沈されるらしい。 とりあえず読みふける。 技術士官が鉛筆で書いている以上、読むのに大変時間がかかる。
でもって、一緒にいらしたお二人のお知り合いのお話を聞きふけってしまう。 引き続き閉館ぎりぎりまで没頭していたため、 肝心の戦標船竣工量を写し忘れる罠。

しかる後に皆さんで有楽町へ行き、兵器を熱く語る会。 主力は銃砲と鋼板で、軍関連技術と一言に括っても その範囲は余りに広く各部は余りに深く、 そして自らの力は余りに弱いことを実感させられる。 議論をしても知識の裏付けがないから説得力に欠けるし。
もっと勉強しますか。ちょうど良い機会もあるし。

かくして予定していたBSログ買い出し計画は時間切れで頓挫。 もっとも差し引きは大いにプラスだったし、対策は後で考えよう。


2月5日

そろそろ夏の申し込みをする時期であるので、 ログに載るべきカットを描くことにする。 何を描くかはもう決まっていて、改E型船の線図である。 あのかくかくしたラインがいかにも戦標船らしく、非常に好きなのである。 当時の多数の人はそうでなかったらしいが。

手元にあるのは、「昭和造船史」と「若松造船所」と「船舶百年史」の3冊。 当該ページを拡大コピーして、トレースすればOK。 だと思っていた私はやはり甘かったようで、3枚の図面が互いに異なる。 「昭和造船史」が全く違い、あとの2冊が割と近い感じのようだ。 「船舶百年史」はセクションの切り方が今と違う (船体前後部で1/4でなくて1/5で切ってあったりする)ので、 「若松造船所」から起こすことにする。 もとがNK資料なので、それが一番良かろう。

方針を決めたらさくっと作業、の筈が、どうもこれにもおかしい所が。 3方向の線図が一致しないし、チャインで線が折れていないし。 仕方がないので他の2冊や写真を参考に推定する。 デッキのラインは線図から起こす。 かなり荒っぽいけれど、印刷される際には分からない大きさだから 重大な問題ではなかろう、てことで。


2月4日

海事資料センターに行く。
地下鉄を永田町駅で降り、地図を見ながら歩いているとそこは国会前だった。 道を間違えていたらしいので、地民党本部やら衆参議長公邸やらの前を通りつつ 目的地に向かう。 「海運ビル」は何せ砂防会館の向かいにあるので、 角さんの亡霊がよっしゃよっしゃ言いながら現れないか 不安になるものである。
今日の目的は戦標船全船名録作りの資料探し。 550番台(造船関連ですね)の棚が異常に広いのを喜びつつ、 造船海運各社の社史やら何やら漁る。 で、ぐる〜っと回って船名録の棚に行き着く。 LRやらMOTやらの船名録に混じって、「船舶史稿」という本が。 中を見ると上下巻で戦時標準船の船歴。 こんな凄いことをしてくれていた人がいたことに驚きつつ、 自分は何をすれば良いのか悩んでみたりする。

コピーが50円と高い。よって限度の5冊を借り出すことにする。
「船舶史稿 船種別資料編」第1巻・第2巻 船舶部会「横浜」
約1000隻の各戦標船の船歴を纏めたもの。 この世のモノとも思われぬ凄ぇ大著。 船歴簿の作成など、俺には大それた夢に過ぎたらしい。
「船舶百年史」後篇 上野喜一郎
戦時中から1950年代までの日本の造船についての本。 戦時標準船関連の図版が豊富で、 戦後A型船に行われた船級入級改造工事が詳しい。
「若松造船所」 三菱重工
M社って社史出版社ですかってくらいのもので、 4年間しかこの世に存在しなかった工場の歴史を残してくるあたり、 実に恐ろしい会社である。 やっぱ技術は過去からの積み重ねだから、 こういう姿勢は技術集団として望ましいのだろうな。 当然、改E型船関連事項の記述が素晴らしい。
「歩み」真藤恒
IHIの会長の書いた本。 この人の文章は含蓄があって好きなのだ。 (「造船生産技術の発展と私」とか。) まぁ直接あったことのある人によると、 「あの勢いにはついて行けない」そうだが。

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Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.