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Last update : 2000 05/06
活動日誌
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4月27日

就職関係で三井千葉工場見学。
俺は三井に行くわけではないのだけど、関東造船所制覇計画の一環として参加した。 残りはNKK鶴見のみ。
三井千葉工場というのは、戦争が終わって日本の造船業が復興して天下を取り、 更に続く船舶の大型化に対応するため、世界に先駆けて作られた大型造船所である。 世界で始めて超大型船(20万重量トン級)を建造できる設備だったのが自慢だが、 逆に言うとそれ以降に作られた造船所よりは設計が古かったりもする。
例えば、船体を構成する鋼板を水揚げ(?)し、切断して溶接してブロックに仕立て、 ドックに送る…という流れがまさに一直線。 真っ直ぐなライン上を、鉄板が組み立てられながらコンベヤで流れて行く。
「一直線」というのは当時としては非常に合理的な発想だったし、 現代でもそれで良いといえば良いのだが、 今一つ柔軟性に欠けるところがある。 事実、三井千葉は引き続く船舶の大型化に対処しきれず、 当所の20万トンドックに加えて50万トンのドックを掘ったり、 ラインを一部2本にすることにより増強してあったりする。
まぁ、戦時中からずっと造船技術者が持っていた理想を実現した… というのが全体に強く現れていて、戦時標準船の思想から見て非常に興味深かった気がする。

見学が終わった後が飲み会で、俺的に一つ聞いてみたかったことがあったので聞いてみた。 多分シラフじゃ聞いちゃいけないことなのである。
「あの、ロータス(註)ってどーなりました?」
「あ、あれは撤去しちゃったよ。」
でもって「これ以上聞くな」オーラを感じたので口をつぐむことにした。 やっぱシラフで聞かなくて正解だったらしい。

註:ロータスシステム
大型タンカーの船体脇の原油タンク部分を建造するため、 当該部分がちょうど入るくらいの輪っかを並べ、その中に船体ブロックを入れて 輪っかと共に回転させながら溶接・接合するというシステム。
こうすることでいつでも下向き溶接で楽に高品質な溶接が実現可能である。 (潜水艦の内殻建造と同じと考えて頂ければ。)
三井千葉で開発されて自慢の種だった筈なのだが、 冷静に考えたら大型タンカーを大量建造する時にしか役に立たず、 色々な船種を建造しているこんにちではむしろ邪魔になったので撤去されたということか。
日本造船界の1ページ。


4月23日

有明でこみパ。
「有明最期の日」と呼ばれているのを知りつつ、覚悟を決めて碧海と集合、 いつものルートで有明に向かう。
TWR国展駅を降りると、そこは一般最後尾であった。 そこから西館方面に向かい、西館前で階段を上って橋を渡り、 渡ったところの例の広場でぐねぐねし、向かって左の空中通路を通って東館へ向かい、 東館1ホール前2階に入ったかと思いきやすぐに1ホール脇から外に出、 階段を降りて1ホールの角を曲がり、2・3ホール前で3往復して3ホールの角を曲がり、 3ホール前で2往復し、やっといつもの東館入場口から中に入り、 東1ホールへ入場である。
列の長さは2kmはあったであろう。
始発で行った我々の前に、2万人はいた計算になる。

ともかくも開場。
碧海と相談していた通りに買いに走るが、 2つ目で行ったサークルさんが既に売り切れ。 何せ凄まじい人の数である。 夏のリーフサークル部分の混雑ぶりを、東1ホール全体に拡大したような。 有名どころはどこも恐ろしい長さの列である。
正午。取りあえず買物の終わった頃には、よさげな本は全て売り切れている惨状であった。
いや。もはや言うことは何もあるまい。
次回からはもう少し広くしておくれ。


4月9日

月例会、もとい海防資料研究所資料交換会。
今回はマリタイムミュージアムの会議室を借りているそうなので、 ゆっくりと起きて原付で出かける。 待ち合わせなど全くしていなかったにもかかわらず、 現地で志郎さんにお会いできる。 これも業の深さゆえか。(<?)
会場になった会議室は、日本丸の海側に立っている4本のタワーのうちの1本で、 集まった方の全員から、「一体何を考えて造ったんだ?」 という感想の漏れる、ヘンな建物であった。
始まった途端に勝浦さんご持参のイギリス戦艦の図面が広げられる。 (畳1枚くらいあるやつ。いわゆる一般配置図) いや大変素晴らしいものを。
でもって、お願いしておいた例のモノを受け取る。 我が家に来た人でわかる人にはお見せしたいブツである。
戦時中の「科学朝日」をみんなで読み漁って売って頂いたり。 一次大戦の戦利潜水艦関係の資料を復刻出版できないかという陰謀が巡らされていたり。 会議室を借りられたお陰かいつもより更に盛りあがって、 殊のほか楽しい「語る会」であった。


4月2日

当日の朝が明ける。
明け方。碧海が本人の原稿の取込/写植に出かける。 残り2人は最期の追い込み。 午前5時に全員が作業終了してコピーの筈が、 全員が間に合わないまま締切がずるずると延びて行く。 2人して「トーンもっと貼りてえ〜」と叫びつつ、 原稿終了、編集作業。
ここに来て碧海の担当ページ数の多さが効いてきて、 文字打ちにかなり手間取っている。 その間に橘屋&藤原で対談してみたりする。 本来はいんほめページとして貰った1ページなのだが、 みりたりサークルにいんほめのネタがそうある筈もなく、 「一回対談ってやってみたかったんだよね」というノリで。 2人とも脳味噌がかなり壊れていたので、良い感じの対談になった(自分達的に)
全作業が終了したので、無理矢理コピー。 「せめて人間らしく」を合い言葉にシャワーだけは浴び、 何とかサークル入場が可能な時間に池袋に向かう。

現着。設営。会場製本。
前回で「新幹線製本」を体験したため、残るは「開場後製本」くらいのものである。
今回はすぐ近所にお知り合いのサークルさんがいたりして実に良い感じの配置である。 んが、我々にはご挨拶している暇すらなく、ひたすら折り貼りである。 開場が近付いたため、慌てて戦略会議を執り行い、開場と同時に突撃部隊に加わる。 40時間以上起き続けているとは思えない勢いで本を購入する。 スペースに戻っても売り子をしたら確実に寝るので、会場内をふらふらし続ける。
買い続けていると食費がなくなって死ぬので、 お知り合いの方にご挨拶に行く。 2徹の成果を押し付けたり何だり。 何やら凄い情報が7月2日に発表されるらしい。

かくしてイベント終了。 同時に俺は電池が切れたらしく、どうやって横浜駅についたのか今に至るも良く分からない。 恐らく同道の2名には迷惑をかけていたのであろう。 取りあえず、寝た。


4月1日

寝ている余裕などないので、そのまま作業が続く。 俺は俺なりに順調に下描きが終了。 橘屋は一時7ページになろうとしていたのを無理矢理3ページに圧縮、 お陰で工程はかなり遅れている。
本日の俺は家族と中華街に昼飯を食いに行くことになっている。 家族が部屋に来るらしいので慌てて「まともな」部屋にしたりする。 でもって徹夜明けの体を引きずって栄養を付けに行く。 これでもう一徹も安心だ。
夕方に帰って来て作業再開。 ペン入れを始める。 例によって消しゴムをかけると、自らの技量に泣ける。
夜になって碧海も来たので、もう1つ机を出して3人で作業。 碧海は既にトーン作業。 橘屋はペン入れが速いので、何時の間にか俺を追い抜いている。 自らの作業の遅さと下手さに泣きつつ作業を続ける俺。 31日朝に起きてから、バスの中で30分寝ただけである。 その割には元気に舞の髪を塗ったり、トーンを貼ったり。 例によって「Kanon」のCDをかけっ放してあるため、 「Last Regrets」がかかるたびに焦る。 虎馬になりそうな勢いで。


3月31日

4月2日のときパ合わせで、友好サークルで本を造ろうか…と言っていたが、 今日に至って何もやっていない。 碧海が帰省先から戻ってくるのが今日なので、 何かが起こる予感はあった。
数通のメールのやり取りの結果、コピー誌の2ページを受注する。 さいたまから橘屋が来て、こちらにも2ページが行ったらしい。 3名でガストにて密談し、それなりに骨格がまとまる。
碧海…栞まんが
藤原…Kanon下ネタ4コマ
橘屋…Kanon馬鹿ネタで何か
引っ越して間もない藤原邸でコタツを2つ並べ、藤原と橘屋は作業を始める。 俺はネタ出しは済んでいるので、そくそく下描きにかかる。 橘屋は「北国戦隊かのレンジャー」よりましなネタを求めて七転八倒している。 俺もCPUの余り部分を使って協力する。 取りあえず思い付く漫画/アニメとKanonをくっ付けるという方向で 片っ端から考えていたのだが、どうしようもないものばかり。 「かの素」(「えの素」より)はかなりイケていたと思うのだが。 仕方がないので橘屋も戦隊もので作業を始める。
何だかお互いに2ページに収まらなくなって来たので、 3ページが2人で6ページならコピー誌になるだろとか言って 主務者に無断で増ページ。

BlueLine_2 玄関へ

Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.