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Last update : 2000 05/06
活動日誌
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5月5日 KTX。

Key Tactics eXpo 、略してKTX in ヨコスカ。
8時も近くなってからヨコハマに集合。 碧海と合流して京急で横須賀へ。
ヨコスカと言えば「海軍工廠で三笠で米軍基地」なのだが、 なぜ萌えイベントが開催されるかな。
開場は「横須賀市文化会館」の名から予想された通り、要は公民館。 あたりは住宅地である。 その中で一般入場者がイヤなオーラを立ち上らせつつ開場を待っている。 実にイヤな光景である。

今回の列が長そうなサークルは2ヶ所。 2名の兵力を2つに分け、開場と同時に並ぶことにする。 俺の担当は勿論お誕生日本な方である。 今日の目的はそれが買えれば達成されたも同然なので、当然である。
開場と同時に目的の列にくっ付く。 会場内は我々の予想した通りになっている。 オンリイベントな広さの開場に相応の数のサークル。 ヨコスカへの遠さを苦ともせずに集った強者どもが、2ヶ所のサークルに殺到しておる。 俺の目的物は1人1冊限定ということで、1冊は苦もなく買えたが その時点で2度目がないこと明白だったので次なる目的地へと向かう。 後で確認したところでは俺の計算は大正解だったらしい。 経験値の積みあがり具合を確認する1コマである。

買物も終わったので、お知り合いのサークルさんにスケブをお願いする。 「スケブ上等!」なスケブを飾っているためもあり、スケブ依頼殺到らしい。 でもって1冊間違って持って行かれたらしい。 本人は大変お困りの様子であったが、かと言って何も悪いことをしていたわけでもないので、 何とも言葉が見つからないのである。 取りあえず皆さん気を付けましょう。 …って俺の周りには自分のスケブを間違えるような気合不足者はいないけど。

公民館だけあって、一般人(普通の意味での)が紛れ込んでくる。 スタッフさんが入口でカタログを持っていない人間の入場を阻止しているのだが、 カタログを購入してまで入って来る一般人もおる。 先程のスケブの件ももしかするとその関係かもしれないし。 ナンだかな。

それなりにお知り合いもいるので、あちこちにご挨拶をしつつだべる。 例の件はやはり7月2日発表らしい。

即売会終了後、色紙オークション&主催者プレゼント大会。 色紙オークションは「有珠山チャリティ」ということで、漢の物欲が世の為人の為になるという企画。 ある程度値が上がったあたりで、「メッコール早飲み勝負」もしくは 「激甘わっふる早食い勝負」にて落札者が決定する。 ワッフルが食べたいのだが、 オークションに参加できる金銭的余裕がなかったので、 プレゼント大会の方で片っ端から参加する。 しかしながらワッフル以前のじゃんけんで負け続けるためにワッフルにたどり着けないのである。
「輝く季節(「ONE」じゃない方)」ポスター&「白(イベントジャンルと違うため仮名)」と まこぴー人形のセットになって、「負け勝負(敗けた者勝ち)じゃんけん」になる。 それなりの人数の中を順調に負け進む。 決敗戦がワッフル勝負のつもりだったのだが、普通に負けが勝ちじゃんけんとなり、 すげぇ無欲にじゃんけんして圧敗し、品を手に入れる。

つまり何だ。俺はこの会場で最弱の漢なのか。
基本的に白ポスターが目当てだったので、 まこぴーを近くにいらした赤鉢巻の方に差し上げたりしているうちにプレゼント大会終了。 合計13個の激甘ワッフルを食った強者もいたらしいがそれなりに余ったので、みんなで食う。 甘くておいしかったです。


5月1日 海事資料センター。

海事資料センターに本を返しに行く。ついでに石川島造船化工機の資料を捜す。

先の大戦中、船舶がもの凄く不足した。 当局は極端に構造や艤装を簡略化した「戦時標準船」を大量生産することにし、 また造船所を増設して対応しようとした。
その中で考えられたのが、「戦標船専門工場を増設しよう」ということで、 目標を2Eと呼ばれる800総トンくらいの小さな戦標船にして、4工場が建設された。 三菱若松と、播磨松浦、川南深堀、東京造船所で4つ。 会社名のついた3工場は各社の工場として作られたのに対し、 東京造船所は、当時の石川島重工が近場の汽缶メーカとか鉄工所やらと合同で作った、 「株式会社東京造船所」という会社のただ一つの造船所だ。
同じ頃に大型船用として計画された大造船所が、結局は終戦に間に合わなかったのに対し、 これら4造船所は小さいだけあって早いうちに稼動し、思った通りの成果を出した。 播磨なんぞは年間140隻も造ったりしている。
この造船所達が面白いので調べて回っているのだけど、 三菱は若松工場の本を出しているし、播磨は社史に詳しく書いてあるし、 川南は某雑誌にちょろっと書いてあった。 でも東京造船所は社史もなく、石川島の社史にもあまり書いてない。 色々あたってみたけどいまいち資料がなかった。

で、考えてみた。 もしかして、石川島の関連会社で続いているのではないかと。
で、調べてみた。 東京造船所は敗戦後に「石川島造船化工機」と社名変更して続いているらしい。
その会社の社史なら、海事資料センターのIHI社史の隣に置いてあることくらいは覚えている。 目的の棚に行って、目的のものを見付け、中を見れば捜していた通りの内容。
世の中っていうのは、知らなければどうしようもないけど知っていれば余りにも簡単なこと、 というのが結構あるのかもしれない。

BlueLine_2 玄関へ

Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.