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Last update : 2000 11/30
活動日誌
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11月30日 せめてkinko's.のある地に配属... (無理)

DIMMの価格が一転して値上がり傾向にあるのを、 にやにやしながら見守っている今日この頃である。

本日は、海防資料研究所殿よりご発注の仕事を kinko'sに孫請けに出すことにしたのである。 昼前に起き、原付でぷぃ〜んとヨコハマ駅前店へ。 時節柄ビジネスがらみのお客で混雑していたものの、 発注を出して帰って研究室に行く。

で、日付も変わりつつある時間に帰宅すると、 留守電にkinko'sからのメッセージ。
「本日のオーダーの件でご相談したいことがあるので、 何時でも良いですから電話下さい。」 とのこと。
ほう。何時でも良いんだな、 と電話をすることにする。

まずは人間が電話にちゃんと出てくる。
ある程度予想していたことではあるが、ちょっと驚く。
で、
「お電話代わりました。担当のSです。」
ちょっと待て。
Sさんと言うと、昼に発注出したときのSさんか?
声からすると間違いない。いや本人である。

問い合せの内容は大した物ではなかったのだけど。
kinko's、恐るべし。


11月26日 BS。

今日はTactics&Key系即売会の元祖、 BrightSeasonの第7回なのである。
碧海がサークル参加なので、 私は例によってお買物部隊である。
ちなみに前日の作業終了時刻は午前3時であった。

例の如く集合して浜松町へ。 都産貿前は一般入場者の列で大変なことに......。
そりゃま、同時に別の階で雫痕イベント「覚醒夜」が開催されてるし、 更に一つ即売会が開催されていたから、 まぁ予想された光景ではある。
サークル入場者のおまけとしてサークル入場できることに、 心の底から感謝を覚えたのであった。

都産貿は表玄関からの台車搬入が禁止になったようで、 裏の搬入口から入場。カタログを見つつ碧海のスペースに向かうと、 碧海はやおら隣のスペースに行き、設営作業を開始する。
わし:「そこ、お隣でないの?」
碧海:「え? 準備会からの葉書にはここって...?」
考えてどうなる問題でもないので手近な準備会スタッフを捜したところ、 一番近くにいたのは前川さんだった罠。 準備会代表に聞けば間違いはないので、 折角だし聞いてみた。
要するに、当初準備会から通知されたサークルスペースに 間違いがあり、その訂正として来た葉書に記載のサークルスペースに、 更に間違いがあった、と。
流石BS準備会、サークルを飽きさせないために次々に 手を打ってくるな。

1030時、「どーせ1100時開場でしょ」という予想に反し、 予定通りに開場。 直ちに出撃、買物せんとす。
途中某寺西さんもご存知のサークルに並んだ際、 4階の展示場から廊下に出て階段を7回まで上がってそれから 6階まで下がってくる、という久しぶりの長大列があったり、 そのサークルでの買物に於いては、委託買物が多かったために
わたくし:「新刊6冊ずつ下さい。」
売子さん:「新刊2冊が6冊ずつで、12000円になります...
売子さん: 重いですけど大丈夫ですか?」
(2冊あった新刊はそれぞれ110頁と88頁、計12冊で厚みは約90ミリ) というような会話があったりしたが、 そこはかとなく無難に買物を終える。

でもって3階の覚醒夜へ。
BSでの買物を終えてからだったため、壁際の目的サークルは ことごとく売り切れ(とあるサークルさんなど、文字通り前の人で売り切れた) だったが、有名でこそないが俺的に買いたいサークル、 では買物が出来たのでOKであった。

で、3階4階の各即売会で、「サークルスペースにおける展示のあり方」 について研究する。 この冬は委託をかなり受けられるため、900*450ミリの机の上に 本が8冊とアイテム1つ、という恐ろしい状況が生起する可能性が 高いのである。 私は実用性至上主義者であるためサークルスペースはいつも 殺風景なものであるが、こうして色々見て回ると楽しいのである。 ま、ミリタリであんまりディスプレイに凝っても 仕方がないのだが。

即売会終了後、恒例の色紙オークション。
右手が勝手に上がって、口が勝手に「1万!」とか叫ぼうとするので、 それを押しとどめながら見物する。
碧海が出品した色紙が落札されてホッとしたり、 本日の最高落札価格は10万円(実際には最高落札価格の制限により5万円) だったりする。

その後秋葉に行き、秋葉の最もアレな部分を堪能した上で ジョナサンでだべる。
でもって帰って戦果確認、爾後就寝。

本日終了現在に於けるヨコハマ造船所の財政状況
債務:\22,000(主に艦船技術に関する本の購入代金として 寺西金融より借入)
債権:\16,000 (主に萌える本の購入代金ならびに馬鹿旅行の費用として
債権:\16,000関係諸サークルに貸出)


11月20日 DIMM。

今日も先週と同じく、日銭を稼ぎに行く。
部屋を出た瞬間には雨が止んでいたので無謀にも原付で出たのであるが、 走り出すやいなや豪雨となったものの時間の都合上そのまま走り続ける。 お金を稼ぐというのは辛いものだと知った 23の秋である。

労働も終わって賃金を受け取り、ふらふらとヨコハマ駅前を散策していたところ、 ついうっかりDOSパラ横浜店へと足を踏み入れてしまったのが 運の尽き。
お〜。PC133でCL=3の128MBが5810円か〜。安くなったなぁ〜。 去年俺が買った値段で3枚買えるぞ畜生。 年に2回、表紙を描くときだけはメモリ不足に悩まされてるんだよなぁ〜。 6000円くらいなら手が出るよな〜。
そして懐にはさっき貰ったばかりの日当がっ!
はっ!何故俺はレジに向かって「DIMMくれや」 と言ってしまっているのだっ!
こちとら江戸っ子でぃ寿司食いねぇ宵越しの銭は持たねぇっ、 ちょっと待てっ、俺は東京都生まれだが、 日野を江戸と言うのは無理があり過ぎだっ。

......と、言うわけで、表紙描くにも問題が消滅。
あとは書いて描くだけ〜。


11月13日 冬の陣。

今日は某重大発表の日である。
それはともかく、資料と(萌え同人誌)の 買い過ぎで兵糧が心細いのである。 仕方がないので肉体労働(鶴見区の文化展の会場設営)なんぞに精を出し、 日当即金を稼ぐことにする。
労働自体は、......あの、畳を300枚、1回から2回へバケツリレー方式で上げる。 その歯車の一つ。だと思って頂ければ。
疲れたよ......。
ああ、「古鷹」は長時間の砲戦はできなかったに違いないさ。 違いないとも!

で、研究室直行の後に我が家に帰っても、来るべきものが来ていなかったので、 準備会のWebサイトに行って当落検索システム にかかる。

> 土曜日 西地区 “と”ブロック 22b   に配置されています。

らしい。頑張らねば。


11月08日 敵。

研究室のミーティングも終わり、足取りも軽く(全然軽くないけど) 学内を闊歩していたところ、経済学部前で自治会が拡声器を使って 路行く学生に語っている。
敵を知り己を知らば以下略、 しばし聞いてみることにする。

「米軍は昨年3月、罪もないユーゴスラビアの人民を劣化ウラン弾 などの爆弾を使って攻撃し...。」

......。
聞くのすら無駄らしいということは分かったので、 さっさと研究室に戻って今週8度目のWindows 再インストール作業にかかったのだった。


11月06日 あっ。

自分で100総トンを踏みました。以上。
技報を更新したので、良かったら読んでやって下さい。


11月04日 本日の嘘。

本日の日記は全てである。 念の為。

さて、艦艇の主要目表には必ず排水量というものが掲載されている。 言うまでもないがアルキメデスの原理に従って船体が押しのけた水の重量、 すなわち艦艇の重量のことである。
これは如何にして計測するのであろうか。

答は簡単。ちょお大型の秤に載せるのである。 物体の重量を測るのにこれ以外の方法があるのなら、 見せてもらいたいものである。

近代工学が発展する前の時代、排水量計測用の秤は天秤秤であった。 分銅にあたる部分は、西洋ではワイン樽、日本では米俵が使われていた。 これがそれぞれ船の大きさを表わす「トン」「石」の語源になったことは あまりにも有名である。
19世紀後半には、製鋼技術の進展によってばね秤が排水量計測に 実用されるようになった。我が国でも近代造船学の輸入と共にこのばね秤が輸入され、 今世紀初頭には国産化に成功している。
戦後の電子工学の発展に伴って圧電素子を利用した秤が使用されるようになり、 こんにち造船所で見ることができるのは殆ど全てが このタイプである。

戦前の日本で最大の排水量計測用ばね秤は、例によって「大和」建造のため 呉工廠にて製造されたものである。許容重量は10万トンであった。 いわゆる八八艦隊計画時に整備されたものは許容重量が6万トンであり、 能力が不足していた。「大和」以降も大型化する艦型に対応するため、 昭和9年頃から密かに計画が進められ、心臓部たるばねは呉工廠製鋼部で、 その他の主要部分も呉工廠造船部で製造された。
同秤は、常時は工廠内の倉庫に保管されており、使用時には起重機にて 運搬可能な大きさに分解して4号船渠ないに輸送され、組み立てられる。 扉門を開いて艦艇を入れ、渠内の海水を排水すれば船体は秤に載るので 排水量が計測できる仕組である。
「大和」及び「武蔵」は計画通りに同秤により排水量が測定されたが、 「信濃」は呉に到着することなく戦没したため、こんにちに至るも その正確な排水量は不明のままである。
戦後、この秤は賠償施設の一環として米軍に引き渡され、 ニューポート・ニューズ社に設置された。 長く米海軍艦艇の排水量測定に活躍したが、ニミッツ級の建造のために 圧電素子型の秤が整備され、 その役割を終えたのである。

...ウソ書くのって楽しいな♪
それで人騙してお金貰ったら詐欺だけどね♪


11月03日 熊と馬。

立正大の学祭ということで、 海防研面子に連れられて熊谷の立正大学に向かう。 本日の出席者は志郎さんとご子息、寺西さん、じゃむ猫さん、 わたし、である。
集合が「1100時西山洋書店内」という時点で、 一般的にはかなりどうかという感じである。 でもって店内で買い物をしてしまう時点で、 一般的にはもうどうしようもない感じである。

熊谷への道中、志郎さんの息子さんの車に搭載して頂く。 話のネタが「非破壊検査」。 工学部とはありがたいものである。

午後3時、熊谷の現地着。実は私は熊谷市内の某県立高校に3年間通っていたのだが、 立正大学に足を踏み入れるのは始めてである。 それどころか今日に至るまで、その位置すら皆目知らなかったりする。 造船学科のない大学には全く 興味がなかったせいである。

立正大戦史研にお邪魔し、例によってだべる。 展示内容は沖縄戦ということで、しかも会報まで頂いてしまう罠。 邪魔しに行ったようなものなのに良いのかなぁ。
だがしかし。わたし的本日最大の目玉は、 志郎さんがご持参になったAttwoodの 「WAR-SHIPS」だったりする。
Attowoodと言えば船体の大傾斜時の復元モーメントを与える 「Attwoodの式」でかなり有名であるが、かの人物が1906年に著した 船舶工学の教科書である。ぱらぱらやっただけで、かの有名な FroudeによるH.M.S.Greyhoundの曳航実験の解説とかあって、 「Yahoo!」って感じである。
も少し詳しく読んでみるに、書いてある内容は1995年にわたしが使った 教科書とほとんど一緒である。1906年には航空工学や電子工学というものが あったかなかったかという段階であり、 情報工学や生物工学はそもそも存在しなかったであろう。 そのことを思うとちょっと笑える。

で、帰りがけに実家から数kmの地点でナビを間違ったりしつつ、 夕飯は埼玉県のお約束、馬車道である。
店に入ったのは5時半頃、 お茶の話などの民生用の話題も珍しくも繰り出されつつ、 例によって軍事トークが繰り広げられる。
本日の結論は、「阿賀野は使えねぇ」ということで。
「阿賀野」型の4隻は、まぁあの船体にあのカタログデータを詰め込んだ 設計技術には素直に頭を下げるけど、一体昭和14年に至ってあんなもんを造るとは 何を考えていたのやら。防空能力の皆無や旧式主砲の搭載による 単位時間当たり投射弾量の少なさは広く言われているけど、 量産性が皆無で生存性も低く、改造の余地も殆どないのがちと、 ねぇ。
まぁ「超々大型水雷艇」だと思えば、 いいのかも。

で、気がつくと10時半。 5時間にわたってしゃべっていたらしい。
慌てて出発して大宮駅で降ろしてもらい、高崎線に飛び乗って 上野に着くと、「次の京浜東北線磯子行きは本日最終電車ですので〜」との アナウンスが。危ないところであった。

BlueLine_2 玄関へ

Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.