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Last update : 2001 01/06
活動日誌
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12月31日 大晦日。

起きてみると橘屋の熱は7度代まで下がっていたので、 海防研年末大感謝祭へ向けて出発します。

会場は、もはや「いつもの」で通じる神保町のファミレス。 志郎さんに売り上げの報告をしたり、 寺西さんに昨日買いたての 某サークルさん新刊をお渡ししたり。

で、散会の後に海防研秘密基地、もとい寺西さん宅へ。
寺西さんが最近購入された資料を拝見します。
出物は...ありありのありまくり。
第二次大戦頃に英国で出版された「軍艦の造り方」とか、 第二次大戦の日本の戦時標準木造船の材木の規格とか、 あとは、改マル五計画の線表とか。
色々楽しいげなことになって来やがりました。
で、実家に6時までに帰省するには4時半に寺西家を出る必要があったのですが、 そうこうしているうちに実際に 寺西家を辞したのは5時半近かったりします。

寺西さんから結局お借りした 「軍艦の造り方」を居間のこたつで読んだり、 母親に「そんな本が3000円とは高いねぇ」(<-安すぎるってば) と言われたりしつつ、 やっぱり21世紀も「行く年来る年」を見ながら来たのでした。


12月30日 2日目、そして。

0515時起床、1時間も眠れました糞っ垂れ。
頭の気圧が第四艦隊事件の日もかくやという低さなので、 今年一番の猛烈な不機嫌振りで有明に向かいます。

0800時、現地着。
まさとしさんとさえぐささんが先に到着されていたので、 新刊を押し付けたり委託物の確認をしたりした後、 まさとし隊とさえぐさ隊からなる「呪」部隊を編制し、死地に送り出します。 この時僕の頭の中では「海ゆかば」が演奏されておりました。 「水盃」も用意すれば良かったですね。

1人でセッティングをしていると、日本兵の集団が登場。 良く良く見るとその中の1人がZidさんでした。 う〜む、いつ見ても...本物。 新刊を押し付け、陸軍式の敬礼に 海軍式の敬礼で応じてお別れしました。

1000時、開場。
間もなく天翔さんが登場。
新刊の交換やら何やらし、 オフラインでの連絡船話に花が咲きます。
でも天翔さんはすぐに旅立って行かれました。 漢たる者は旅から旅へ... 常に漂泊の旅路にあらねばならないものなのです。

会場は大体予想通りの人出で、短いとは言え列が出来て (出物が8冊あってお釣の計算が手間取るせい)泣きそうになったり、 そうかと思うと20分くらいお客さんが来ない (御当局にメカ/乗り物/商船に配属されたせい?)ので寝そうになったり していました。
この頃、「あるもの全部1冊づつ下さい。あ、『ワスカル』だけ5冊下さい」 という素敵なお客さんにお釣計算で烈しく手間取ったりしてます。 流石や志郎さん...。

猫さんの新刊「天津風」が完売したのもこの頃でした。 午前完売...やっぱり(笑)

さらにその頃、お隣のサークル「北葉開発」さんがいらっしゃいました。 何でも雪で飛行機が飛ばなかったとかで...。
先方の青函連絡船本を購入、天翔さんの「最果ての海に」をお勧めして売ってみました。 (商売商売♪) 何でも北葉開発さんも次は戦時標準青函連絡船を狙ってらっしゃるそうですので、 天翔さん頑張って下さい。 僕はどちらも楽しみです。うふふ。

午後に入ってすぐ、寺西さんが登場し、猫さんが登場し、まさとしさんと さえぐささんが帰還し、一気に賑やかになりました。
オンラインでの知り合いの方も沢山いらっしゃって、 楽しかったです。
この頃、天翔さんの「最果ての海に」完売。 あの内容なら当然です。

で、今回弊社新刊の「水雷艇友鶴 GM計算書」ですが。
想定対象読者が寺西さん、コードネームが「嫌本」なくらいですから、 お客さんの反応が実に楽しかったです。
やって来たお嬢さんがぱらぱらやって、「嫌〜っ!」とおっしゃって下さったのが 今回の白眉でしょうか。 部数が多かったこともあり、今回は閉会まで売れ残らせることが出来ました。 総合的に今回の本は、僕的に 「勝った!」て感じでした。
ただ、ふらっと立ち寄って「GM」だけをぱらぱらやって 「GM」だけをお買い上げ下さったお嬢さんもいたりして、 この世は謎に満ちておりました。
謎と言えば、「GM」と「海防資料研究会報」のセットと、 「日本の魚雷艇」と「最果ての海に」のセットが良く出てたのですが、 これもかなり謎ではありますな。

そうこうしているうちに、まさとしさんの「日本の魚雷艇」持込分完売。 代りに「砂の果実」こと満州国海軍本を投入します。
海防研と言えば「会報」を中を見ずに買って行かれる方が多かったんですが...。 確かに僕も中を見たら買わずにはいられないでしょうが...。 これがブランドの力?

それにしても...「コンクリは出てないんですか?」と 聞いて下さるお客さんの多かったことよ。 両手両足で数え切れないくらい聞かれてしまいました。 頑張ります。頑張りますよ。頑張りますとも。ええ。

15時半頃、潮時と見て撤収作戦開始。
委託が多かったため、これまで見たことのないような金額を数えて、 確認して...の作業に手間取ってみます。

で、1600時。
「これにて今世紀最後のコミックマーケットを終了します」 のアナウンスで盛大な拍手、そして万歳三唱。 今回もちと寝不足気味でアレだったのですが、 お客さんの皆様と知り合いの方々のお陰で、 非常に楽しく過ごせました。 厚く御礼申し上げます。

で、闘いはまだ終わらず。
お金を勘定して分配して設備を畳んで...。 皆さんとお別れして東館の橘屋黒曜堂に向かった時には、 1625時になっていました。
この時点で橘屋が実に体調が悪そうです。 が、僕の方も他人を構っているには 荷物が重すぎたのでした。
帰って橘屋に体温計を渡してみると、「8ど4ぶ〜」とか言ってます。 布団に叩き込んで、 元気な3人で飯を食いに出かけたのでした。
今回は夏みたく同志がいたりはしなくて良かったです。

帰って...購入物件の分配をして...多分寝たんでしょう。 記憶ないし。


12月29日 1日目、そして。

0330時起床、さくっと準備して0435時、 いつものように有明へと向かったのでした。 いつも即売会に同道する碧海と、年に2回いらっしゃるtie2さんと、 時々一緒のかおるさんと、愉快な4人組です。 橘屋は原稿が間に合いそうにないので置いて行きます。 当然ですね。

海上から昇る朝日に二礼二拍手一礼したり、 翌日分のログチェックを進めたり、 便所の列が風に吹かれ放題で寒かったりするうちに1000時となり、 ぞろぞろ入場。
1日目は暇なのでtie2さんから指示をもらい、 とあるサークルさんに並んだのですが、ほんの30分も並ばずに買えました。 もっと楽しませてくれるような長大列を期待してたのですが (嘘)
で、ジブリとか犬ホームズとかヨコハマ買い出し紀行やらを回っているうち、 電源不要ゲーム系のミリタリなあたりで ふらふらしていた時のこと。
「大和」本発見。
ぱらぱらやっていると、主要目のところに「全長263m」との記述が。 そう。大和の全長は263m。 つい最近、垂線間長と間違えて「全長256m」とか大嘘書いた覚えが...。 商船では長さと言ったら垂線間長だから...いや言い訳してる場合じゃなくて...。 駄目だ。印刷も製本も終わってる。 手書きで修正、大決定。

次回申込書を購入し、とっとと帰ってみると、 橘屋の原稿は相変わらず先が見えない状態な罠。

で、研究室に行き、自分のところの看板作りをしたり 橘屋の表紙を印刷したり何だり。 年も押し詰まっていると言うのに学生がちゃんと来ているものだから、 プログラムをいじっているフリをしながら作業をしたりして 妙に時間を食ったり。
引き続いて我が家に戻って256mを消して263mにする作業...。 冊数が多いので再び発狂するかと...。
tie2さんの車で晩飯を食いに行く頃には本の方は完成、 翌日の準備を残すのみ...いや、橘屋の原稿がまだだ...(泣)。 ここからが辛かったのです(号泣)

2230時、どうにかこうにか橘屋が原稿を完成。 一般入場予定で早起き確定のtie2さんには、 体力温存のため寝て頂きました。
直ちに印刷し、1回だけ校正して印刷に回します。
この過程で「貴様行間隔が広すぎるんじゃ印刷に時間がかかるんじゃ」 と言って頁数を大幅に減らさせてたりします。

で、車でkinko'sへ行き、コピー。
天の祐けか破滅の罠か、 コピー機が空いていたのでとにかく印刷。
橘屋の脳味噌が死に掛かっているので大変だったり、 遂に俺もコミケ当日の朝にビジネスコンビニでコピー誌を 造ってしまったかと思ってみたり、 新刊登録カードを書いてみたり。
この時「貴様部数が多すぎるんじゃ製本が間に合わないんじゃ」と言って 部数をかなり減らさせたりしています。 この時点では眠さの余り、彼の新刊は単なる 障害物と認定されてましたので。

で、帰って製本作業。
予定ではこの時点で橘屋を放り出して寝る予定が、 橘屋が落ちているので作業を手伝う羽目になりまして。 糞。何てお人好しなんだ俺。
橘屋の動きが止まるたびに蹴飛ばしては叩き起こし、 前に倒れそうになれば前頭部をひっぱたき、 後ろに倒れれば後頭部をぶん殴り、 手前ぇ製品なんだから丁寧に作れとド付き、 叱咤激励と実力行使を繰り返し...。
午前4時、作業終了。
ちょうどtie2さんが起きる時間だったので交代で布団に潜り込み (ホットバンクというやつですな)、 俺がいなかったら橘屋黒曜堂はダミーサークルになっていたのだな、 と変な満足感と普通の怒りを覚えつつ、 眠りに就いたのでした。

12月28日 楽しい製本、そして。

3時間ほど寝て、製本作業。
本来なら丁合(1冊の本になる紙束を造る作業) をコピー機がやってくれる筈が、 コピー機不調につき不可能だったために、手で丁合をやる羽目に。 kinko'sへ下請けしようと思ったけど、 1枚7円なので諦めたり。

今回こそ前日設営に行きたかったのですが、 かくして人力丁合作業のためお休み。 いい加減気が狂いそうになって来た午後、横浜へ買い出しに。 今日の目的はTWRの回数券...てことでJTBに行きます。
「東京臨海高速鉄道ですか...?」と要領を得ないお姉ちゃんから 無理矢理に回数券を購入。 他の買物をしているうちに4枚の不足に気付き、今度は別の お姉ちゃんから追加購入を試みます。

お姉ちゃん:「券の使用開始は明日からで宜しいですね?」
わたくし:「あ、はい。そういうことで。」
お姉ちゃん:「混みますからねぇ。先に買っておいて頂いて助かります(笑)」
わたくし:「あ、そ、そうですね...(ひきつった笑い)」
何だかな。

夕刻、信濃の國からの刺客、かおるさんを迎えて夕飯の後、 作戦会議と平行して弊社は製本作業。
かおるさんの助力を得て、ソーティング終了。
ありがとうございました。いや、まぢで。
続いてホチキスで本にする作業...なのですが、 弊社装備の中綴じホチキスは貫徹力不足により コピー紙12枚を貫徹できないことが判明。
慌てて横浜へ買いに走りました。
3500円の大型中綴じホチキスを購入。 A4中綴じの本も可能なブツなので、 弊社の作業能力は大幅に増強されました。 ビバ。東急ハンズ。
以後順調に製本作業を進め、午後11時に全作業終了。
手指のうち4本があかぎれを起こして使い物にならなくなっています。 次回からは印刷屋に出しましょう。 早目に原稿を仕上げて。

細々と翌日の準備などしていると、尾張名古屋からの刺客、tie2さん登場。 今回はtie2さんに手伝ってもらわなくて済んだぞ〜。
で、お土産なぞ頂きつつ作業は続き、0130時に就寝。

その頃。
橘屋の原稿は、本人は「もうすぐ上がる」を繰り返すものの、 何時になったら完成するのか分からない状態でした。 他人が作業してる横で寝てる場合じゃないと思うのですが。


12月27日 北からの来訪者。

ミーティング&研究室の20世紀打ち上げの疲れも何のその、 ひたすら校正&図表の貼り込み。 夕方には印刷可能な状況になりました。
図表貼り込みはともかく、校正の方は赤ペンで物理原稿を推したり叩いたりして 血達磨にし、データ原稿を直して出力して... 6回もやりました...。
これで間違いが無ければいいのですが。 (<-あったんだけど)
もう自分の原稿、読みたくないです。

で、さいたまの國からの刺客、橘屋が夕方になって来訪。
彼は今回初めて自分のサークルを出すのですが... 原稿全然進んでないらしいです。 しかも我が家に来てそのまま寝るし。
嵐の予感...。(<-大当たり)

で、夜中に印刷。
あてにしていたコピー機が絶不調で、とても大変な目に。
いつも悩む部数ですが、今回は「こんなに刷ったら売れ残りますーっ」 という数にしてみました。


12月26日 エネルギー充填率...。

研究室のミーティング。
ここのところ、研究に60%、原稿に60%、Linuxいじり5%の割合で 気力と体力と時間をつぎ込んでます。
しょぼい発表をする裏で、何とか原稿を出力。
校正箇所ありまくり。


12月23日 漢は黙ってやっつけ仕事。

原稿が〜
増える〜増える〜。

おかしい。全部で20頁くらいの薄目の本になる筈だったのに、 既に本文だけで25頁もあるのは何故。
本文はまだ数頁は増えそうだし、 更に計算表と図がくっ付いて...。うにゅ。


12月17日 日暮レテ道猶ホ。

昨日の夜中に研究室で既刊増刷分の奥付を刷ったんですが、 今日研究室に行ったら私の使ってる計算機の前に 見に覚えのないミスプリントが置いてありました。
ぐわっ。ばれたっ。
これだからネットワークプリンタは...。

進捗状況:
排水量と復元力の計算を終わらせたつもりでいたら、 バラストキール周りの計算に間違い発見。 こりこり計算し直し...。
テキストは10頁近くなったけど。

う〜。胃が腰が目が肩が...胸焼けまでする...。

12月15日 進捗状況〜。

しばらく梟さん状態が続いていたせいか、 体調悪くて仕方ないです。
胃とか腰とか肩とか目とか頭とか。 もう若くないのかしら。

で、やっとこ眞鶴排水量等曲線図が描けました。 これで計算&図面関係は一通り、の筈なんですが... テキストの方は相変わらず2頁のみ。
さて、どうなることやら。


12月12日 自由である自由。

胃が痛くて研究も原稿も進まない中、 思わず冬ログを買いに行ってしまいました。

で...晩飯は早いのは確かだが安いか美味いかは議論の余地がある牛丼屋、 で済ましたのですが...。
大盛卵味噌汁を食っていた私の向いの席に、横浜駅前に棲んでいらっしゃると 思しき男性の方がお座りになりまして。 両隣のお客さんに話し掛け続けた挙句、 やおら丼を突き出して「髪の毛入ってるよ」と来ました。
店員さんを含む場の全ての人は当然、「触らぬ神に祟りなし」を決め込んでまして、 僕にとっても場に居る全員にとっても ありがたいことなわけでしたが。
何つーんでしょうか、「他人に一方的に迷惑をかける自由」という言葉は 私の中にはないわけで。 それが「良識」というものだとは思いますが。
かと言って、ナチスは民族差別以外の理由により、ある種の人々を強制収容所送り にしたり何やらしてるわけで。
あ〜。なんでこんな事書いてるんでしょ。
さっさと閑話終了。

というわけで、カタログ買ってきたわけです。
あの。ヨコ造の配置された"と"島は、電車とクルマとバイク(と船) の島らしいんですが。 御当局には民生用と判断して頂いたんでしょうか。 予定では艦6:船2くらいだし、 ちっとも民生用じゃなさそうですけどね(笑)
ん〜。あとは過去の自分のヘボっぷりを目の当たりにしてなんだかな、とか。 メカミリで絵ぇ描く人って、密かに巧い人多いんじゃなかろうか、とか。


12月09日 ネットの恥は。

書き捨て、という形で書いておきます。

匿名者としての存在は、公開の場での議論において、 その当事者となり得るものなのでしょうか?
なり得ない、のではないかと思います。
匿名者は自分の言動に責を担保していないが故のみならず、その当事者以外の者に、 議論の意味が存在しなくなるからです。

何でこんなこと書いてるんでしょうね。

で、話がいきなり変わりますが。
比喩表現的に書くと、「日本刀に罪はあるのか?」「刀鍛冶に罪はあるのか?」 「日本刀愛好家に罪はあるのか?」という 疑問が湧き起こるときがあります。
「兇器としての出刃包丁に...?」である場合もあります。
いつもは「そんなもんはない。以上。」で済ましていますが、 何かの拍子で「当事者である者の回答がそれで良いのか」 と、悩んでしまいます。
精神的に健康な状態に戻れば、 あれこれ思い悩んだりしないのですが...。
多分、墓に持って行くことになる 疑問なんだと思います。

何でこんなこと、書いてるんでしょうね。


12月06日 再いんすとーる。

発表も終わり、今日こそは千鳥の線図が引ける、ああ夕飯食ってあとは ひたすらセンズかくだけさ、と思いつつ帰ろうとしたところ、 Windows機の調子が悪いとのこと。 IE周りがいかれているのが確かであるのでIE5.5をMSからダウンロードして インストールしたところ、再起動不能。 私以外の人間の手も介在しているので、 私一人が悪いということはまずないのである。 うん、俺は悪くないぞ。
とは言え研究室内の人材の不足により、 私が人生四十何度目かの窓再インストールを施工するはめになった のであった。
誰か私に図面と原稿をさせて下さい。


12月05日 古鷹ふたたび。

明日は研究室のミーティングであるため、 調べ物をしに学科の図書館へと行く。

予想通りと言うべきか何と言うべきか、何故私は「平賀譲遺稿集」を 手に取っているわけなのであるか。
まずは復元力御進講をフルコピー。 いつ見ても平賀中将は、6年度計画艦の設計の間違いをちくちくと 天皇に指摘しているのぅ。
で、古鷹。
P282に、「今茲には前記の見地を以って最小の排水量を以って 米国偵巡を超駕す可しと認めらるる設計を試みて 案を提出す」
P334には、「米国の七千五百噸型の十隻殆ど竣工す可し。故に最小の排水量を以って 米国の該型を凌駕す可き設計を提案す」
(いずれもカナをかなに改めた)とある。
設計者も古鷹を米オマハ級に勝つためのフネと思っていたようなのであるが、 いかがであろう。

それはそれとして、そんなことしてるから発表対策作業の工程が遅延して 午前6時まで寝られないのだと思うのだが。


12月04日 本日の新発見。

常々手元の線図を見つつ、日本海軍駆逐艦の線図としての最後部が 舵軸中心であるものと後部吃水線であるものがあることを不思議がっていたのだが、 森恒英氏の「日本の巡洋艦」をぱらぱらやっていて疑問が氷解した。 メートル法の導入と共に、線図の最後部が 舵軸中心から後部水線になっていたというのである。
これまでの間に確実に読んでいた筈なのだが、 頭には入っていなかったらしい。

更にもう1つ。
私は商船を建造する造船屋として教育を受けている。 こんにちの商船ではベースラインはキール上面を通るものなので、 軍艦のベースラインもキール上面を通るものだと 思い込んでいたのである。
色々読んでいるうちに突如、旧軍艦のベースラインはキール下面を 通っていたことが理解されたのである。
商船では線図に書いてある吃水に比べて 吃水標の吃水はキールの厚さだけ大きいのだが、 旧軍艦では線図の吃水そのままと言うわけだ。

造船工学以外はさっぱりわからん、と公言している私であるが、 造船工学も全く分かっていなかったのを実感してしまった。 精進精進。


12月03日 定例会。

本日は海防研月例会なのであった。
日の出の後まで線図の数値を読んでいた割には、 1100時にはちゃんと起きる。でもって研究室に直行。 「インターネットに接続できない」との障害が報告されたためである。 原因は大学に入ってすぐのゲートウェイが落ちていたせいなので、 私には何も出来ないのであるが、 とりあえず約束の時間には遅刻確定である。

原付で旧三菱横浜の謎の搭に向かう。 謎の搭は、相変わらず謎の搭であった。

本日の参加者は、志郎さんと深雪さんと寺西さんと赤影さん、だいぶ遅れて行った私、 かなり遅れて来られた服部さん、で総勢6名である。
お茶だけを頼りにだべる。
1700時に河岸を変え、船渠脇で飯を食いつつ 2000時までだべる。

今日のここがヘンだよ日本海軍は、古鷹。
私なりに思っていることであるが、 大正期以降の日本巡洋艦を船体構造から見ると2つの流れがある。 駆逐艦に近い軽巡タイプが1つ、 ポストジュトランド型戦艦の流れを汲んだ重巡タイプ がもう1つである。
古鷹は明らかに後者であり、天龍や球磨、後年の阿賀野や大淀は前者である。 上記の点から、古鷹は6インチ級の砲と撃ち合うためではなく、 それなりの正規巡洋艦と殴り合いをすることを 第一の目標に設計されていた、と考える。
いかがでしょ?

飯を食いつつだべっていて寺西さんが先にお帰りになる際、服部さんが
「ここに来てる人は、例え10時間話していても、あと1時間話してたい と思いながら帰るものなんですよ」
とおっしゃっていたのが、妙に印象的であった。

本日までの工程進捗率。
線図:原図より採寸終了。 ここまでで既に20工数を要している。
文章:3頁終了。
その他:まだ何にも。

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Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.