BlueLine_2
Last update : 2001 04/23
活動日誌
BlueLine_1

現在の状況

3月の22日から31日の間は、京都観光と修了式と引っ越しが重なったため 多忙につき、日記は現在編集中。


3月21日 立つ鳥後を。

研究室の自分の机から私物を持ち帰る算段を始める、が... 何せ3年間もいたものだから私物多過ぎ。 メモ書きの整理だけで力尽きる。


3月20日 呉2日目。

呉から帰る。
そろそろ色々決まっているつもりでいたのだが、 何も連絡がない。どうすんべか。


3月19日 呉1日目。

呉に行く。
目的は防波堤として残る武智丸型こんくり船、 および被曳航こんくり船である。
詳細は後日!刮目せず待て!


3月18日 さんくり。

碧海と同道して池袋。
二日酔い(?)で体調不良。おかげでログチェックすらしていない。 しかも朝のうちは雨。体力消耗しまくり。
買うべき物を買ったので、西山洋書を覗いた上でさくさく 帰って寝る。

<私信>TSが遂に単行本化されてました。</私信>


3月17日 黄色い朝日。

結局朝までちびちび飲みつつだべっていたが、 午前10時頃さすがに帰る。
体に応えたのでひたすら寝ているうちに1日が終わる。


3月16日 哲也。

研究室の面子で徹夜の呑み。
別に寝たけりゃ寝ればいいのだが、何か寝るのが勿体なくて 結局徹夜する。


3月15日 呉行き。

JTBに行って呉行きの切符を取る。
そのついでと言うわけではないが、図面庫の中から戦標船だけ出してkinko'sに 持ち込み、自分の分と呉方面へ送付する分をコピーする。
A0ノビなどの巨大サイズをコピーしまくったため、コピー代の分際で 15000円とかいうわけのわからん額になった。

研究室に行くと、「明日みんな揃って呑み会やるから〜。」らしい。 他の連中の予定が変更できないので、1回までの変更は無料である事を確認した上で 指定席券の予約を変更する。
何やかんやで非常に疲れる。


3月14日 先行者。

研究室に行ったところで、先輩から「中華人民共和国の最先端技術の結晶」 について記述したサイトを教えてもらう。
しばらく行動不能になる。


3月13日 来訪者。

愚弟来襲。
兄弟揃ってダメ人間なのでひたすらダメ話をしたり、 兄弟揃ってよく喰うので4時間で1200円分のお菓子がなくなったり、 兄弟揃って理系なので単位(creditじゃなくてunitの方)の話 (「何じゃ貴様の言うmgとかいう単位はっ! 造船では1tは端数じゃっ!」みたいな) で盛り上ったりする。


3月12日 調べ物。

海事資料センターへ調べ物へ行く。
目指すはE資料にあった「旧陸海軍雑役船名簿」である。 開架にはないので書庫から出してもらう。
これまで「武智丸型こんくり船は3隻造られたのか4隻造られたのか」が、 資料によって異なっていて確信が持てなかったのだが、 おかげで一つの仮説に到達できた。

第四武智丸について、「旧陸海軍雑役船名簿」には「エンジンなし。 荒天のため神戸沖で沈んでるよ(大意)」との記述を発見したのである。 「昭和25年度 造船救難関係資料」には、「戦後すぐに荒天により神戸沖 にて沈没(うろおぼえ)」との記述があり、さらに三井造船の社史に 「曽根造船所の経営を当社で受託して以来、1隻を進水させた(記憶モード)」 との記述(「完成させた」ではない)ことから、「第四武智丸は曽根造船所 にて進水後、何らかの理由(機関がなかったんだろうけど)により主機を 装備しないまま海軍雑役船となり、終戦直後に荒天により神戸沖にて沈没した」 との仮説を立ててみたのである。
如何であろうか。

それはそうと調べ物の途中、「太平洋戦争中の船を調べてるんですか?」という方に 質問を受けて、「何で戦標船で外板を直線にしたら抵抗が増えるんですか?」 という質問の返答に窮する。
自分は当たり前と思っていることが人によっては当たり前でないということに気付き、 ちょっとびっくり。


3月11日 月例会。

かくして本日は3月の海防資料研究会情報交換会すなわち 基地の外のお茶会である。
大和の國から刺客が放たれているとの情報があったせいもあってか、 皆さんかなりのネタを仕込んで来られていて、アレな資料やら話題やらの 飛び交う有意義な時間であった。


3月10日 寝る子は。

土曜日だというのに午前8時に気分良く目が覚めたので、 いっちょ国会図書館に行ってたまった調べ物でもしようかと 考える。

今日は第2土曜日だった。

また寝る。


3月8日 論文提出。

遂にっ、修士論文を提出する。
製本作業は外注のため、教授のOKが出たら 図書室に持って行くのである。
ついでに図面庫にこもって「3B型戦標船の線図発見〜。うっひょ〜っ!」とか、 「何で青函連絡船だけで棚2つ占めてるかなぁ。うひひ。」とか やってみる。


3月7日 掘り出し物。

例によって図書室にこもっていたのだが、図書室の奥の奥の棚より 出土物あり。
その昔に設計資料として収集したという船舶図面の目録である。 明治時代から昭和40年頃にかけての商船が中心で、隻数にして500隻、 図面の枚数で10000枚に及ぶと云う。
まだ図面の現物は殆ど見ていないのだが、戦時標準船TL,A,B,C型の一般配置が ちょぼちょぼ出てきたり、日本国有鉄道殿寄贈の亜庭丸,宗谷丸,青函丸 の図面があったりしてなかなか楽しげな感じ。


3月5日 南へ。

午後3時、お天気が良かったので長者ヶ崎へ夕日を見に行くことにし、 原付で片道40kmの旅に出る。
日が傾くにつれ、急激に寒くなってきて体は動かないわ脳味噌は動かないわ、 という状態で金沢区に到達、コンビニで休憩を取る。
人心地がついたところでこれ以上進む気が失せているのに気付き、 たらたらと帰って寝る。


3月3日・4日 スキー。

「さゆけっと」を蹴って研究室のスキーへ。
楽しかったです。

宿の名前に関連して、最近の大学生は「木に立つに十」という字が 読めないことを知ってショックを受けたり。


3月2日 こぴ。

学科図書室に行き、資料漁り&コピり。

本を借り出すと司書のおねいさんに、「どんどん借りてコピーして下さいね。 こういう本借りてくれる人、 他にいないですから☆」と言われる。
3時間ほどコピー機に張り付いて「船の科学」をコピーしていると、 教授に「まだやってるのかね?」と怪しまれ、「いや、その、 社会に出る前にもう少し『ぞうせん』の勉強をしておこうと思いまして」 と言い訳する羽目になる。

...負けないもん。


3月1日 製図。

先生が研究室の模様替えをやりたがっているので、 研究室一般配置(案)を作成、提出する。
製図用具は方眼紙と製図ペンと定規である。
隣の部屋には国家予算で買ったそれなりのPCやらCADやらがあるのであるが、 漢は常に紙とペンで勝負なのである。

製図作業をするといつも感じるのだが、作業中、 自分の頭の中にあるモノが紙の上の線として形を成して行くのが 楽しくてしょうがない。
「あと50年早く生まれて造船所の製図工になってたら 俺はすごく幸せだったんじゃなかろうか」と思う。

BlueLine_2 玄関へ

Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.