子どもは植物にたとえるなら、種でしょうか。どんな葉っぱがでるか、どんな花がさくのか、どんな実がつくのか皆目見当がつきません。けれど、その小さな種の中はいろんなものが凝縮されて詰まっています。水や土や空気、風に反応しながら、芽をだし葉をのばしてだんたんかたちづくられていきます。子どもたちも同じように、小さいながらもさまざまなことを感じとり、初めての事をつぎつぎ必死で受け止めながら大きくなっていきます。そして、初めてだからこそ、いろんな経験や体験、知識、処世術をしらないからこそ、物事の本質をついていることが、多々あります。そんな場面に出くわすと、私はガーン!と、頭を叩かれた思いがすると同時に、冷水をあびせられたようにハッ!とし、すっきりします。そして、うれしくなるのです。歳を重ねてきて種から遠くなったせいでしょうか、年々、こんな体験が増えてきているみたいです。
 今年の3月にも、子どもから教わったことがあります。その直後、『教育と医学』(慶応義塾出版〕という月刊誌から原稿依頼がありましたので、原稿の一部にこのことを書きましたので、本から再録します。

あーちゃんのカード
 おとうさんの転勤で、あーちゃんが引っ越すことになりました。
 あーちゃんは5歳10か月になる女の子です。りんごの木子どもクラブの4、5歳児クラス47人とのお別れに、あーちゃんはひとりひとりにカードをプレゼントすることを計画しました。おかあさんの協力を得て、一か月、ひとりずつの子どもを思い浮かべ、言葉を考えたようです。
 お別れが近づいたある日、カードを持ってやってきました。トランプのような厚みです。おとな9人分もありましたから合計すると、なんと56枚のカードです。
 カードは縦9センチ横13センチの色紙のような厚手の紙です。そこに、筆ぺんでひとことが書いてあります。
 あーちゃんと相談して、私がカードを読み、あーちゃんが渡しに行くということにしました。47人の子どもたちは椅子にかけて円くなり、うれしそうに待っています。

「ことばがおもしろい しおりちゃん」
「まあるいこころ しょうちゃん」
「なかよし4にんぐみ りくくん」
「まゆみ えがおがいっぱい」
「なかよし ようすけ」
「やさしいね あいこさん」(ちなみに、これ、私)

 一枚一枚読みながら、感心してしまいました。詩人です。たったひとことで、その人を表現しています。こころがこもっています。
 ところが、このカードを拒否した子がいました。あきちゃん。5歳になったばかりです。
 あきちゃんのカードには「あばれんぼう あき」と書かれていたのです。けっしてあきのことを嫌いでそう書いたではなく、いたずらっこのあきを好きだという気持ちが下地にあることは、みんな知っていました。でも、あきちゃんはこう書かれたのがいやだったのです。
「かえす」と突き返されて、あ−ちゃんは泣きました。悲しそうに泣きました。せっかく気持ちを込めて書いたのに、受け取ってもらえないなんて思いもしなかったことでしょう。
「あき、なんて書いてほしかったの?」と、保育者のひとりが聞くと「あきだいすき、ってかいてほしかった」
 あー、あきは、あーちゃんが大好きなんです。だから、あーちゃんにも、そう書いてほしかったんです。あきに拒否されてしょげているあーちゃんにこの事を伝えれば、気持ちも少しは晴れるかと思い「あきはね、だいすきって書いてほしかったんだって」と伝えました。するとあーちゃんはすかさず「だって、これは、わたしがかんがえたことなんだから!」って返ってきました。
 そのとき私は、「あきだいすきって、書いてあげれば」って、言いそうになっていたのです。
 ドキッとしました。そう、あーちゃんが考えたのです。そして、プレゼントしたんです。そのプレゼントが気に入らないからといって、自分の気持ちはさておき、相手の望み通りにして喜んでもらうというのは、ちょっと違うかもしれません……。
 考えてみると、いつの間にか、失敗のない、まぁまぁ喜んでいただける方法をすっかり身につけてしまっている自分がいます。お誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、結婚祝い……。「なにがほしい?」と、ご注文に合わせているのです。
 相手に思いを馳せ、自分なりの精一杯のプレゼントを用意する、時間と心をかけたプレゼントのことをあーちゃんに思い出させられました。そして、それには、相手に喜んでもらえないかもしれないという結果もあるんです。
 三日後、あーちゃんはあきに新しいカードを書いて持ってきました。
「あき げんきいっぱい」と書かれていました。あきは喜んで受け取りました。
 このことがあった直後、中学生に話をする機会がありました。保育という仕事について話してほしいという学校からの依頼でした。そこで、私はこの一件を話しました。
 あーちゃんのカードが拒否されたところまでを話し、「あなただったらどう思う? あきの言うように書き換える?」と質問しましたら、ひとりの活発な子がおこったようにいいました。
「だいたい、手紙っていうのは、こっちが思ってること書くんだから、書き換えるのはちがうね」
「それ、あーちゃんと同じ答えだよ。そうだよね。ところが、この私ったら、喜ぶんなら大好きって書いてあげちゃえばいい、と思ったのよ。はじめに自分の気持ちがある。ところが、大きくなるにつれてそこに、周りの人たちはこうすると喜ぶだろうな…って、いろんなものがペタペタくっついてきて、ほんとの自分の気持ちが見えなくなってくる気がするの。どうかしら。保育っていう仕事は、幼い子どもたちから、まるだしの自分を見せてもらえるんだよ。だから、私はこの仕事が好き。まるだしの私に気づかせてもらえるからね」
と、話しました。
 子育ては、親(おとな)が子を育てるばかりではありません。親(おとな)が子に育てられることの方が多いのかもしれません。これはそんなひとつの出来事でした。

イラスト/松村千鶴(りんごの木)

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