今年(03年)の冬は寒いですね。
 1月の寒い朝、「近くの池に氷がはりました」と聞いて、あまり気のりのしない様子でしたが3歳クラスの子どもを誘い出して行きました。
 私は手袋をはめ、ひざまでの長靴をはいて、完備して出かけました。子どもたちはふつうの運動靴でした。
 池は全面に凍り、いつもと違う景色です。池の縁は深さ15センチくらいなので、入っても大丈夫です。私が氷を踏み割りながら入ると、子どもたちも入ってきました。が、すぐに冷たさにふるえて出ました。
 たいしくんが
「どうして、あいこさんは、はいれるの?」と聞くので、
「長靴、はいているからね」と答えますと、
「どうして、ながぐつはいていると、はいれるの?」
「水が入ってこないから、冷たくないから」と答えると、妙に感心しています。(この子は帰り道、ぬれたくつに足をつっこみ引きずるようにして帰ってきましたが、翌日は長靴をはいて現れました。まさに、体験学習です!)
 私が長靴で割った池の氷を「とって! とって!」と 子どもたち。手袋をはめない手で受けとるので地面に落として、割れた氷に驚いています。
 氷の破片を凍った水面に投げますと、カラカラとグラスを響かせたような音がころがります。ころがる氷の破片が別の破片にぶつかると、カキーンという音がして、さらにカラカラところがり、それはそれは、きれいな音が一面に響きます。
「おとが、きれいだねー」と子どもたも言い出し、やってみます。

 翌朝も寒い日でした。今度は4、5歳児と、別の池に出かけました。そこはすごいです。もっと厚い氷でした。乗っても大丈夫! と、おそるおそる氷の上を……。さすがにおとなが乗ると、ミリミリといって割れましたけれど、だいたいの子は大丈夫でした。「割れてもひざ下」とわかっていても、ハラハラドキドキするものです。
 前日と同じように氷の破片を投げますと、違う音でころがっていきます。澄んで張りつめた空気のなかを、ズズズズズ、ピピピピと昨日より低い音に感じます。ころがった氷が他の破片にぶつかると、そのまま一緒に凍りついてしまいます。
 遠くに凍りついたテニスボールがありました。ボールに氷をぶつけて動かすあそび。氷で絵をかく子。氷をたくさん集めてたき火にみたて、バーベキューごっこ。池のまわりを走りまわって、凍り状況を観察する子。お弁当も持っていったので、3時間たっぷりあそんできました。
 ここ横浜でこんなに池が凍るのは、とてもめずらしいことでした。その、たまにしかないことを堪能しました。
 雪もたくさん降りました。小さい子ほど寒さに弱いので、雪でたっぷりあそべません。しかたないので、雪の『クール宅急便』を部屋に届け、シートを敷いて、たらいの中で雪あそびもしてしまいました。
  今年は 冬のあそびが充実しています。

 こんな日々、あそびっぱなしの日々を過ごしていると、なんだかとっても幸せな気分です。
 だって、子どもたちがいなければ、ひとりで公園の氷の中に入っていくのは、ちょっとはずかしいじゃないですか。テニスボールに氷を当てることに熱くなれないじゃないですか。
 だいたい、街をひざまでの長靴をはき、帽子にジャンバー、手袋をして歩くことすらちょっとねえ。それが、ひとりでも子どもを連れていれば、はずかしくないのだから不思議です。そして、子どものあそびにつきあっているように見えて、実のところ、芯から楽しくなっちゃうんです。

 この前、4,5歳児ではやっているあやとり、なわとび、こままわし、跳び箱、毛糸の編み物などをおかあさんたちに見てもらい、そのあとで一緒にあそびました。まあ、あやとりなどは子どもに教えてもらうくらいでしたけれど、どれも、おかあさんは夢中になりました。『遠足つき』の大なわとびは子どもをおしのけんばかり。靴を脱いで息をはずませているおかあさんもいます。
「私、学校で跳び箱4段までしかとべなかったの。きょう、初めて6段がとべた!」と、興奮しているおかあさん。その日、帰ってから「きょうのおかあさん、うれしそうだった」と、子どもに言われたというおかあさんもいました。
 いつか昔に『卒業』したと思ったことが、子どもとあそんでいるうちに、『卒業』したのではなく自分の奥の奥にしまわれていることに気づきます。そして、子どもとかかわるということは、しまっていた自分を引っぱり出してもらえること。そして、出すことでが子どもと分かり合えることでもあり、自分の柔らかな感性を育てることにもなるのではないでしょうか。
『子ども』であったことを捨ててしまったおとなより、『子ども』である部分も残しているおとなのほうが魅力的と思いません?

 いま、子どものあそびはおとなに『同化』しています。ゲーム、カラオケ、スキー、テーマパーク……。
 親には「子どもがいるからあそべない」という気持ちがいつもあり、おとな感覚のあそびに連れていくことで、まあ、満足する。もちろん「それも有り」です。子どもも楽しみます。でも、これはおとなが提供してくれたあそびで、自分で見つけた、自分の力量にあったあそびではありません。自分で自然に見つけられるあそびが、本来の背伸びしないその子のあそびです。そして、そんなこどものあそびにつき合うことも、たのしいものですよ。
 家の中のおままごと。子どもがおかあさんになりおかあさんがこどもになると、ギョ! 自分が見えてきます。
 ブロックであなたは何が作れます? 一緒にやってみると、なかなかむずかしい。どんな部品が必要かもわかります。
 スキーでなく雪そのものであそぶ。雪のプリン型もおもしろいけど、バケツ型もいいです。バケツ型をたくさん積んでお城ができます。
 散歩、つくりうた、粘土、色水……。少し大きい子になると、こま、なわとび、折り紙……などがありますね。

 子どものあそびに『つき合う』のではなく、つき合いながら今の自分が『楽しめる』ことをみつけるのです。時として、子どもはそっちのけで、夢中になってしまいます。それでいいのではないでしょうか。お互いに、素朴なキラキラした表情に出会えるのではないでしょうか。
 家事、やらなければならないことが山積み。でも、どこか削っちゃえば……!
 子どもがいるからこそのことを、もっともっとみつけて楽しみましょうよ!

イラスト/松村千鶴

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