柴田 愛子            

 お正月、熱海の温泉でのことでした。結構満員で家族連れが多くいました。朝食は、食堂でバイキング形式だったので、私もテーブルについて好きな食べ物をとってきました。
 隣のテーブルをふと見ると、5歳ぐらいの男の子がひとりでぼーっとすわっていました。
 しばらくすると、おかあさんが食べ物をその子の前におき、
「ここで、ちゃんとすわっているのよ! どこにもいっちゃだめよ!」
と声をかけて、また行ってしまいました。やがておとうさんも食べ物をもってきて、親子3人が席につき「いただきまーす」になりました。
 親が用意してくれている間、子どもは席を立つこともなく、先に食べることもなく、歌をうたうでもなく、待っていました。ずいぶんしつけられた子だなぁというのが、私の印象でした。食べはじめてから、おかあさんはいろいろしゃべっていました。
「おかわりしてもいいのよ」
「野菜もたべなさい」
 その子が初めて口を開いたのは、ヨーグルトを口にしたときでした。
「これ、おいしい」
 私はおかわりをしたいものがあったので、再び食べ物がならんだところに行きました。すると、そこには、お盆をあぶなかしげにもった5歳ぐらいの男の子が、あれこれ迷いながら、自分が食べたいものを盛っていました。あぶなかしくて、ちょっとハラハラですが、その子の表情は一人前の顔をし、周囲のハラハラ気分なんて察する気配などまったくありません。

 この、同じ年齢くらいの対照的なふたりを見ながら思いました。
「どっちがいいんだろう」
 大勢のいる場所ですから、子どもをすわらせておいて親が用意するのは、他の人の迷惑にならず、いいような気もします。でも、子ども自身の意思をまったく無視してしまうのも、どうかと思います。もう一方の、他の人に多少迷惑をかけても、子ども自身の意思を尊重しているのも、いいような気がします。
 そう考えると、日頃は子どもの意思を尊重し、大勢の人がいるところでは親が仕切るのがいいかしら、とも思いますが、日頃意思を尊重していたならば、この場は親が…と言っても、子どもは承知しないのではないでしょうか。たぶん、自分でとっていた子に「きょうはおかあさんが…」と言っても「いや」というに違いありません。困りましたねぇ。
 隣にすわっていたあの子は、食べ物に興味の薄い子かもしれません。あるいは、この日体調がわるかったのかもしれません。けれど私には、日頃からあまり自我を出せていないような気もします。
 子どもの意思を尊重していくというのは、時として、みなさんにご迷惑をおかけするということでしょうか。

 公共の場での子どもの行動と親の対応に関しては、よく問題になります。電車の中で走り回る子。スーパーで、あれこれ手にとってしまう子、カートをおもちゃのように走らせる子。レストランで大声をだしてふざけている子。これは私も絶対いやです。小さくても、駄目なことは毅然と叱って身につけさせたいと思います。
 いくら言っても身につかないようならば、とりあえず、そういう場にはなるべくつれていかないですごせるような工夫をしたらどうでしょうか。スーパーに買い物に行く回数を減らすとか、子どもが手にしたくなるような売り場のない店にするとか、おとうさんがお休みの日を買い物日にして、家においていくとか…。電車ならば、なるべく迷惑にならない場所、いちばん前とかいちばん後ろの車両がいいように思います。

 けれど、私が考えさせられた朝食でのことでいうと、自分で盛っていた子は自分で考えながらやっていたのであって、並んだ料理をかき回していたわけではありません。やっぱり自分の食べたいものを自分で食べられそうな量だけ盛ってくることは、子どもにとってもいい練習になるし、そうさせたいと思います。そんなときは、親が側にいることで、危なっかしいことや周囲の方への配慮はできるでしょう。

 子どもの自主性を尊重するということと「しつけ」とは、どこを境目にするかは本当にむずかしいですね。日々悩むことでしょう。答えは「どちらか一方にかたよってはいけない」「場所によってのメリハリが必要である」ということでしょうか?しつけが厳しすぎて無気力になってもいけないし、尊重しすぎてやりたい放題で周囲の迷惑を感じなくなってしまうのも困ります。周囲の状況など、幼児は察することがむずかしいですから、その辺はおとなの配慮が必要でしょう。(でも、だいたい、4、5歳になれば親の態度でストップはかけられると思います)
 わが子の気持ちも察し、まわりの人の気持ちも察し、その葛藤の中で親が「自分路線」をみつける以外にないのかもしれません。

 写真/ガラス窓に絵をかきました(りんごの木の造形活動より)

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