柴田 愛子        

 銀行の窓口でのことです。椅子に腰かけて、順番を待っていました。
 私の前の椅子に、母親と4歳ぐらいの男の子が腰かけ、まだ1歳未満の子がバギーに乗っていました。
 おにいちゃんは、とっても行儀よく座っていました。
 が、なかなか順番がきません。とうとう、「まだかなぁ、まだかなぁ」と、男の子が言うと、
「だまっていなさい! こんどいったら、ぶつよ!」と、小さな声ではあるけれど怖い返事が、おかあさんから返ってきました。
 もう、じっとすわっている辛さに耐えられなくなった子どもは、バギーの弟に向かって、
「もうすぐだからね」と、言いました。それは、弟に言うことでなんとか自分を制しているように見えます。
「あ−、ほんとに遅いわ、この子よく静かに待っているわ。それにしても『ぶつよ!』のひとことはすごいなぁ」と、ちょっとその子がかわいそうに思いました。この場が走り回っていいところではないし、おとなしくしていてほしいから「こういう言い方しかないのかなぁ」と、ちょっと考えていました。
「あ! ○○ちゃんだぁ」と、男の子が言いました。同じ幼稚園のお友だちを見つけたようです。おかあさんは、わざわざ椅子から立って「こんにちは」と挨拶をしました。
 友だちとその妹がやってきました。元気なやんちゃ兄妹です。おかあさんはにこにこ顔で「なんていう名前なの?」と、妹に聞きました。「みく」「みくちゃん、いい名前ねぇ。かわいいわねぇ」と、さっきまでの声とは違う声で話します。友だちの男の子は、なんと、銀行の椅子の前で横転をしはじめました。妹は、ぴょんぴょんと跳ねています。それを見た男の子は、一緒にやっても大丈夫かなぁとおかあさんの顔色をみながら体を動かしはじめました。
 さぁ、どうするかと、私は興味しんしん。もともと、子どもにきちんとさせたいおかあさんなのでしょうし、そうじゃなくてもここでは迷惑な騒ぎ方です。すると、おかあさんは、
「あのね、ここでは、そんなことしたら迷惑でしょ。だから、静かにしてね」と、ちゃんと言い聞かせたのです。
「言えるじゃない、普通に!」と、私は感心しました。
 自動支払機の列に並んでいる友だちのおかあさんが「こっちにきなさい!」と、言うと「だいじょうぶよ。みていますから」
 なんと、模範的ないいおかあさんでした。
 こんなに、わが子と他人の子には態度が違うんだと、あきれてしまいます。

 でも、こういう光景はよくありますよね。みなさんは、どうでしょうか? やさしいいいおかあさんの印象しかない人が、家の中では、すごいどなり声をあげているのはよくあることかもしれません。
 でも、銀行で「ぶつよ!」と、脅迫されるように静かにしていた子どもの気持ちになってみると、なんだか、「親ってそんなものよ」とは言いにくいです。まさに表の顔と裏の顔がはっきりと違うんです。それを、4歳の子どもはどんなふうに受け止めるのでしょう。
「おかあさんは、ぼくにはいうことをきかせようとするし、いいこにしていないとぶたれちゃう。けど、ほかのこにはやさしいんだ」
「おかあさんは、ぼくにはちゃんとはなしてくれないけど、よそのこにはちゃんとやさしくはなす」
「ぼくのこと、きらいなのかなぁ」
 こんなふうに思わないだろうか。
 でも、家の中ではやさしい場面や愛情表現だってあるんだろうから、そんなに心配しなくてもいいのかしらとも思いながら、自分の幼いときを振り返ってしまいました。

 私は、親が自分のことを嫌いじゃないかとか、私を愛していないのではないかとかいう不安はもったことがありません。もちろん、兄姉がいっぱいいましたから、私より兄の方がかわいいんだろうとか「おかあさん、おにいちゃんのことひいきしてる」なんて言って親をこまらせたこともあります。でも、そのぐらいでした。昔ですから、子どもに対してのラブコールなんて気にしてもいなかったようですし、抱っこもそれほどしてもらった記憶もありません。今、思い出すと、遠足の前の日、夜遅くまで私のスカートを縫ってくれていたことや、学校に行く前になると必ずお腹が痛くなってしまう私の髪をだまってすいてくれていた母の姿が、私を愛してくれている証として伝わっていたように思います。
 この男の子も、「ぶつよ!」が、「きらいなのかなぁ」にならないような、そんなの気にならないほどの日常の中での母親の愛情が伝わることがあるといいなぁと、思いました。

 それと、どうして、こんなに表と裏がある子育てをする人たちが多くなったのかも、疑問を感じます。
 うちの子もよその子も駄目は駄目。うちの子に「そんなことすると、ぶつよ!」という親は、よその子にも同じ言い方をするとは、いかないものなのでしょうか。
 親が内と外で態度をかえるということは、子どもだってそうなるということです。
 外で立派なら、内でひどくてもいいのかしら?
 もちろん、これは、限度の問題で、まるっきり同じなんて人間はいないわけですし、家はリラックスできる場所として自分に肩をはらないことが大事ではありますから、ほどほどなのでしょうれど…。ただ、外が立派にすればするほど、無理が生じて内では横暴になるということはあるでしょう。そして、犠牲になるのは子どもです。
 表と裏の差が少ないほど気楽に生きれると、私は思っています。
 みなさんも、ちょっと勇気をだして、どこでもまるだしの自分をやってみませんか?
 

 写真/りんごの木4,5歳児の造形活動
「羊毛わたのボール」 りんごの木子
 どもクラブ造形教室の活動より)

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