私の記憶の範囲内ですが、「どういうこどもに育ってほしいか?」という親の希望のベストスリーに、『おもいやりのあるこども』というのが、入っていなかったことはなかったような気がします。それだけ、人として生きていくうえで、おもいやり・やさしさというのは大切な、価値のあるものと考えている人が多いということでしょう。
 おもいやりとは、人を思いやる心、ということですよね。確かに人を思いやれる人は魅力的です。すてきです。私、50歳です。おもいやりがないとは言いたくありませんが、『おもいやりのある人』なんて、おこがましくて言えません。「 わたしにはそれが足りないのよね」と、いつも反省することしきりです。これは、一生かけて心がけていくものなのではないんでしょうか。
 さてさて、親はそんな大きな望みを、3歳のころからこどもに託し、意識して育てようとしています。(もっとも、『おもいやりのあるこども』というのは『やさしい子になってほしい』ということに言い換えられるようですが・・)

「公園で泣いている子がいるのに、ぜんぜん気にしないんです。となりで平気であそんでいるんです。どうしたの? と聞いてあげられる子になってほしい」「平気で他の子のおもちゃをとってしまい、その子が泣いているのにやめようとしないんです」「使ってもいないのに、おもちゃを貸してあげられないんです」という、2、3歳児をもつおかあさん。
「毎朝、おべんとうを一生懸命つくってあげてるのに、平気で残してくるのよ。まったくおもいやりがないんだから」「クラスの友だちが泣きながら探しものをしているのに、手伝ってあげようともしないのよ」という、4歳児のおかあさん。
「おとうさんが単身赴任してて、帰るときもバイバイとあっさりしたものよ。父親のさみしさなんて、わかんないのかしら」「街で障害のあるこどもをみかけたら、平気でジロジロみるのよ。相手の人に悪くて、はずかしくなっちゃうわ」という5歳児のおかあさん。

 どれもこれも、性急におもいやり(やさしさ)を要求しすぎですよ。自己主張まっさかりの3歳なんて、自分中心に地球がまわっているんですから、自分の気持ちはよくわかるけれど、人に気持ちがあるなんてあんまり気づいていない。どう逆立ちしても、幼児が人の気持ちをわがことのように思いはかるなんてできません。

 おもいやりが育っていくのは、だいたいは次のような順序ではないでしょうか。

 自分以外の人にも気持ちがあるということに気づくこと。(これがおもいやりの種ですね。)
 やがて、その人がどんな気持ちなのかを想像することができる。
 そして、なぐさめてあげたいとか、喜ばしてあげたい、傷つけたくないなどの心が芽生える
 そして、そうすると、自分もうれしくなり、喜びになる。

 ひとつひとつのステップには、山ほどたくさんの体験を通しての成長が必要となるでしょう。 けっして促成栽培できるものじゃないですよね。

 ここで注意したいのは、この場合の人(相手)というのは漠然とした一般人ではありません。私たちおとなだって、新聞でお気の毒な記事を読んでおもいやるのと、身内に起きたこととでは、雲泥の差がありますよね。こどもが小さければなおさらのこと。相手に気持ちがあることとか、相手が泣くと心が痛むとか、相手が喜ぶとうれしいという『相手』は、かなり関係の強い人でなければおこりにくいものです。
 じゃぁ、やさしい子になってほしいけれど、今はほっとくより仕方がないのかというと、そうでもありません。種蒔きには周囲のおとなの手助けも必要です。今回は、かかわりのいちばん強い親との関係の中で考えてみたいと思います。
 だいぶ前のことですが、小学校低学年のこどもをもった友だちに「どうすれば、おもいやりのある子に育ってくれるかしら」と聞かれたとき、私はこんなふうに答えたようです。

 ・・・たとえば、こどもが留守番をしていたときに、雨がふってきた。こどもは洗濯物に気づいて、部屋の中にとりこんでくれたとする。帰ってきたおかあさんは、あらよかったわと思うと同時に、こんなクチャクチャに置いとかないで、どうせならたたんでくれればよかったのに、とか、まだ乾いていないんだから、部屋の中にかけておいてくれればよかったのに、と思うことがある。「ありがとうね。でも、こんどこんなことになったときは、たたんでおいてくれると、もっとうれしいな」と、くるわけ。
 これでは、こどもはあんまりうれしくない。おかあさんが,喜んでくれたとも思えない。そうすると、こんどはもうとりこむのはやめよう。または、こんどはとりこんでたたむというのを義務のように感じる。
 そうじゃなくて、まずはとりこんだだけだって立派なんだから、「わぁー、うれしい。よく、気がついたね。おかあさんヒヤヒヤしてたのよ。せっかく洗濯してったのにと思ってね。あんたは、すばらしい!」と、喜びを見せる。
 こどもは、よかった、おかあさんあんなにうれしそう。いいことしちゃった! といい気分。
 人が喜んでくれることで自分がうれしいという体験をいっぱいしてちょうだい。そうすると、おもいやりの芽がでてくるかもしれない・・・

 友だちはなんと、この話を15年もおぼえていてくれたのです。先日、「わたし、あれ以来、ずーっと心がけてるの。仕事もしているからなおのこと、共に思いやる家族でいたいからね。おかげで、いいこどもたちよ。ありがとう」と言われて、びっくりしました。(言った本人はすっかり忘れていました)

 だい好きなおかあさんが自分のしたことで、素直に喜んでくれればうれしいですよね。無意識に行動したら相手がすごく喜んでくれた。そのことが自分にはとてもうれしかった。あったかい、いい気分。幼いこどもの場合は特に、このパターンが多いかもしれません。

 逆の場合もあります。おかあさんにいやなことがあって、こどもに八つ当たりしてしまう。そんなときは、冷静になったら「さっきはごめんね。おかあさんいやなことがあったんだ。それで、あなたに八つ当たりしちゃった。でも、おかげでちょっと気分が落ちついたわ。あなたに悪かったけれど、ありがとうね」と、ぎゅっと抱きしめてあげたらいい。こうすれば、さっきの八つ当たりは、こどもにとって決して迷惑なことにはならなかったのではないでしょうか。おかあさんのいやな気持ちを引き受けてあげたことになるのですからね。

 こどもはだれだって親が好きですし、親に好かれたいと思っています。親がなにを喜び、なにに怒り、なにに悲しむのか、いつも気にかかっています。そして、なるべくだったら、親がほめてくれる姿を見せたいと思っています。このことは、いやでもいやじゃなくても、そういうものなんです。
 まずは、いちばん身近な親の気持ちをわかるということ、親の価値観が伝わるということが、こどもが「おかあさんだったら」「おとうさんだったら」と想像することができる、つまり、自分以外の人をおもいやる第一歩という気がします。

 そして二歩目は、親自身がおもいやりのある態度をみせること。これがむずかしい!
 あなたは、買い物の紙袋がやぶけて中身がころころころがりだした通りがかりの人に「あら大変」と手助けしてあげられますか?
 駅の階段、車椅子に力をかせますか?
 迷子らしいこどもに「どうしたの?」と、声をかけてあげられますか?

 こどもの前で<すてきなおとな>をしていないような気がしませんか?
 もっとむずかしいのが、自分のこどもの場合。(他人のこどもにやさしくすることのほうが、簡単なんですよね。)
 自分のこどもがころんで痛がっているのに「だから、いったでしょ! さっさと立ちなさい!」って言ってません?
 だい好きなイチゴがテーブルからころがり落ちてしまって悲しい顔のとき「よく見ないからよ!」
 だい好きな友だちからもらってきた宝物の石、捨てちゃったりしてません?
 こどもが話したくない友だちとのトラブル、無理やり口を割らしていません?

 こう考えると、こどもだけにおもいやりのある人に育ってほしいと願うのは無理、ということなんでしょうね。わが子だからやさしくできない。わが子だからやさしくなってほしい。あら、大変! 自分自身も心がけなけりゃならないし、さらに、こどもをよく見て、反応してあげなくちゃならないってことですね。 うーん! そこには、わたしがかかってる!
 でも、親だって<おもいやり完成人>にはなっていないわけですから、まぁ、日々反省し、心がけているのを見せていくということでしょうか。それだけ大変で貴重な価値のあることなんです。子育ては親育ちと言います。いっしょに、磨いていきましょう。
 やがて、だい好きな人はおとうさんやおかあさんだけでなく、先生や友だちにひろがっていきます。そして、ほめられてうれしいとか、やさしくして喜んでもらえた、ということだけでなく、その人にとってどうなのかということにまで、気持ちや考えがおよんでいくことでしょう。

 私が親友とよびたい友だちがいます。その人は、私が20歳のとき「夜間の専門学校に通って、幼稚園の先生になりたい」と話したら「あなたが夜学校に通いつづけて免許をとれるとは思わないわ。だって、途中で挫折した人をたくさん知っているもの。それに先生という仕事は、大事なたいへんな仕事なのよ」と言いました。私の計画を喜んでくれない友だちにびっくりしましたけれど、意地っ張りでしたから「ぜったい、やり通してみる」と、決心しました。学校にかよっている間、彼女はだまってみてくれていたのでしょう、連絡もありませんでしたが、免許をとったとき、涙を流さんばかりに「よくやったね。わたしの人生の流れをかえるくらいに感激したよ」と、言ってくれました。私の性格を知っての彼女のやり方に、とても感激しました。そして、ありがたかった。今でも、感謝しています。

 人をおもいやるというのは、本当にむずかしい。
 でも、こんなふうに人は人によって支えられ育てられていくなんて、すてきな生きものですよね。
 心から人を思いやれる人に私も成長したいものだと、つくづく思います。

イラスト/松村千鶴(りんごの木)

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