柴田 愛子        

 4月、いよいよ小学校入学が間近になった子どもたち。ピカピカのランドセルや、鉛筆入れ・上靴などが用意されていることでしょう。子どもの気持ちも「もうすぐ小学生」に、向かいます。でも、ストレートに大きくなったことを喜んでいる子ばかりではありません。
「小学校に行きたい?」と聞きますと、「いきたくない」という答えは、案外多く返ってきます。「どうして?」「だって、ともだちとわかれるの、いやだもん」という答えがいちばん多いです。1年、いえ、2年以上もかかって、安心できる場と人間関係を得て居心地よく過ごしていた幼稚園や保育園から出て行かなければならないなんて、やっぱり後ろ髪をひかれます。
「がっこうで、ともだち、できないかもしれない」
「せんせい、こわいかもしれない」
「おおきいこが、こわいかもしれない」
 未知の場であるからこその「…かもしれない」不安がたくさんあります。
「おおぜいいてこわい」
「くついれるとこもいっぱいあって、わからない」
「トイレにいついっていいのかわからない」
など、心配の種はいろいろです。
 大きくなった誇りも、「しょうがくせい」という言葉の響きも、新しいところに行くワクワクした気持ちもありながら、今の続きでないことの不安や心配を抱え、覚悟がいることをわかっているのです。そして、覚悟を徐々にしているのです。

 昨年の7月、年長組がキャンプに行ったときのことです。ほのちゃんは、知らない場所に初めてお母さんと離れて行くこと、おまけに泊まることに、心臓が破裂しそうにドキドキしていました。でも、行きたくないわけではないし、行こうと思っているのです。行きたいは行きたいのだけれども、ドキドキしてしまうのです。お母さんは、ほのちゃんからたくさんの心配を聞きました。でも、心配を言葉で安心させることはできませんでした。お母さんは「心配を持っていきなさい」と、ほのちゃんを送り出しました。
 昼間、キャンプで楽しそうに遊ぶほのちゃんに「もってきた心配は、なくなったの?」と、私がたずねましたら「いまは、ちいさくなっているの。でも、きっとよるになると、おおきくなる」と言いました。実際、夜は悲しくて泣きながら保育者に抱かれました。でも、キャンプから帰ってきたとき、心配は自分で越えられた充実感になっていました。

 今年2月、ほのちゃんはまた心配を抱えました。子どもたちでラーメンやさんごっこをやることになったのです。
 実は、活動場所である空き地に竹の家を造っていたときに「これ、ラーメンやさんみたい」と言った子がいたことをきっかけに、小屋作りからラーメン作りへと発展し、お母さんたちにご馳走するということになったのです。これは、子どももおとなも燃えて大イベントになりました。
 ほのちゃんは元祖のひとりで、大いに活躍していました。店にお客さんを案内するときのことば使いや物腰、麺のゆで方、つゆのかけ方、運び方、1ヶ月近くの準備を経てとうとうお客さんを迎える日がやって来ました。彼女は心臓が飛び出しそうなドキドキの心配と緊張を抱えました。「あのときみたい。でも、だいじょうぶ」と、つぶやきました。夏に体験したことが、次の体験に繋がったのでしょう。
 こういうことを繰り返しながら、子どもは大きくなっていっているのでしょうね。
 心配や不安は、本人以外の人が解消してあげられることは、ほんの少ししかないと思います。まして、言葉で解消できることは微々たるものでしょう。
 
 卒業間近のたっちゃんは「いじめられそうで、しんぱい」と、言いました。
「どうして、いじめられると思うの?」と私が聞きますと、「ちいさいから」という思いもかけない言葉が返ってきました。
 気にするほど小さいわけではありません。でも、たっちゃんが胸に抱えていたと思うと、ジーンと来てしまいました。たっちゃんの心配を受けて、子どもたちはいろいろな意見を言いました。
「ゆめちゃんみたいに、つよくてやさしいこを、ともだちにするんだよ」(ちなみに、ゆめちゃんは体が大きく堂々としています。言葉数は少なく迫力があります。でも、やさしいところがあり、頼りになるのです)
「ともだちつくれば、だいじょうぶだよ」
「たくさんともだちつくれば、いじめるこはいない」(どうも、みんなが仲間になればいいということのようです)
 すると、たっちゃんは「ともだちになれないかもしれない」という、別の問題も抱えていることがわかりました。
「あそぼって、ゆうきだしていうんだ!」
「いままでともだちいたでしょう? おんなじようにすればいいんだよ」
「みのくんとなかよしじゃない、どうやってともだちになったの?」と、子どもたちは真剣に話していました。共通に抱えている問題だからでしょう。同じ問題を抱えている者たちが寄り添い合うことで元気が出ます。前に進む勇気が出ます。でも、すっかり心配を安心に変えることはできないのです。ほのちゃんのように「しんぱいをかかえて」歩き出すのです。「心配は自分の中で抱えて、自分で乗り越えて」という繰り返しが、子どもたちが生きていく強さになるのではないでしょうか。親としては何とかしてあげたいし何ともできないしで、もどかしいでしょうけれど、応援しながら見守るより仕方ありません。
 考えてみれば、おとなも同じように心配を抱えながら子育てしたり、新しいことを乗り越えたりしているのですよね。

 りんごの木子どもクラブの卒業式。

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