柴田 愛子            

 絵本を出してから、小学生に話す機会を頂くことがあります。図書館、読み聞かせの会、小学校などです。
『けんかのきもち』(ポプラ社刊)を題材にするときが多いのですが、ある学校で5、6年生に『ぜっこう』(同)を読むことから始めました。
 実際にあったことを絵本にしたものです。しゅんたろうくんはがくくんに絶交されていました。なんと2ヶ月におよび、絶交しているほうもされているほうも苦しそうでした。見かねて私が割り込み、話しました。ところが、がくくんはなかなか絶交を解きません。とうとう「人が人を許せないのは、よっぽどのことだよ」と言いますと「じゃあ、どろぼうはゆるせるのか!」と返ってきました。「どろぼうするのは悪いことだと思う。だけど、許せると思う」と答えました。すかさず「じゃあ、ひとごろしもゆるせるのか」と突き付けられました。かつて考えたこともなかった自分に向き合わされ、「人が人の命をとることだけは、ぜったい許せない」と、静かに言いました。しばらくして、がくくんは目に涙を浮かべて絶交を解き、しゅんたろうくんとの関係がもどるという内容です。(第23回もごらんください)

 子ども達に絵本を読んだ後、「どろぼうをゆるせるのか」と、私が問われる場面を開き「泥棒を許せる?」と、聞きました。ワイワイ言い始めました。「許せないよ!」という声が大半の中に、女の子が一人手をあげて言いました「その人のせいではないかもしれない」。みんな、ドキッとしたようです。いろんな事情を考えてみました。「リストラとかなぁ・・」と言い始めた頃から、子ども達の表情が変わってきました。
 次に「ひとごろしもゆるせるのか!」と突っ込まれた場面を開き、「じゃあ、人殺しは?」と聞くと、「許せない!」と。「どうして?」と聞くと「だって、殺された子のお母さんは泣くよ」と返ってきました。5、6年生であっても、母親が泣くということが一つの基準になっていることにびっくりしました。

 会話を進めていくうちに、必然的に6月1日佐世保市で起きた小6の同級生の女の子が殺してしまった事件が話題になりました。テレビからの情報が主なのでしょうが、みんなよく知っていました。殺してはいけないと言う声が多い中で、「でも、しつこくしつこくいじめられたら、殺したいと思うかも」と言う子が出てきました。「じゃあ、殺した後どんな気持ちなのだろう」と、問いかけると「スッキリしたと思う」と答えました。とても、まじめに一生懸命考えていた女の子の発言でした。「そのあと、後悔するかもしれないけれど、そのときはスッキリしたと思う」と、再度言いました。そのことばをだれも茶化すことなく、真剣に受け止めていました。他の子どもたちとのやりとりの末、「やってみなくちゃわかんないな」となっていきました。
「やってみちゃいけないことなんだよ!」と、思わず言いました。命は人間がつくったものではない、だから人間の意志でどうにかしてはいけないと、私は思っていることを話しました。でも、我が子を殺されたのに「犯人を憎まない、政治と教育を憎む」と言った人がいることも話しました。私は、とても許せないと思っているけれど、わからない、私も変わるかもしれないと言いました。
「子どものいろんな事件が次々起こるけれど、そのことに無関心になって欲しくない。こうして、自分はどう思うかを考え続けながらおとなになって欲しい」と、メッセージさせてもらって終わりました。
 貴重な45分でした。日頃のこの学校の教育の積み重ねが、にわかに現れた素人の私にちゃんと耳を貸し、率直に表現してくれたのだと思います。それにしても、やっぱり子どもは信用できると思いました。ちゃんと感じ、考えているのです。発言しなかった子も、ちゃんと考えていました。
 教科を教えなくてよかったら、小学校の先生になりたいと思うくらい、おもしろかったです。

『自分を完全肯定できますか』(講談社)という、日木流奈くんという13歳の少年が書いた本があります。子ども、いえ、人間としての根元的なことをストレートに書いています。その中にこんな文章がありました。

『親たちに子どもの思いを聞く耳がありさえすれば、いつでも子どもは親に本当のことを話すでしょう。ですが、批判や判断、評価などをする大人に対しては、決して本当のことを言うことはありません。大人たちがどう反応するかわかっているからです。
 ―略―
 そんな(聞く耳をもつ)大人と共に過ごせたら、子どもはいつでも自分の心のありかを知ることができるでしょう。自分が何をしたいのか、何を求めているのか、何をすべきかがよくわかる子どもになるでしょう。会話をすることができる大人の人たちを子どもは求めているのです。』

 まったく同感です。
 数日後、子どもたちから、そのときの続きのような、びっちりと字の詰まった手紙をもらいました。子どもとちゃんと会話をできる大人でいたいです。そのことはお互いにお互いを信頼しあい、共に育つことにつながるのです。
(学研「ほっぺ」3号に掲載したものに、手をくわえたものです)

絵本「ぜっこう」より。伊藤秀男・絵
                 
写真は「小学生のあそび島」(りんごの木の午後の教室)のこどもたち

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