来年四月からわが子が幼稚園にはいる方は、行き先が決まって入園手続きもすんで、やれやれ・・でしょうか。 ところが、やれやれ・・どころではなく、もう次のことで頭がいっぱいになっている方も多いらしく、あらあらと思うような質問を受けます。本当に親というのは、心配性なんですね。まぁ、はじめて、自分の目の届かないところに旅立たせるのですから、とめどもなくいろいろ考えたり、想像したりしてしまうんでしょう。

 3歳児で入園する子どもを持つ母親は、生活習慣の心配がありますね。

「おしめがとれていないんだけれど、どうしましょう」
「おはしが使えません。スプーンでもいいでしょうか」
「おはしが使えなくても、持たせたほうがいいでしょうか」
「制服が自分で脱ぎ着できません。ボタンかけの練習したほうがいいですよね」
「洋式以外のトイレはできないんです」
「給食が食べれないと思うんです」
 こんな心配が限りなく湧いてでてくる。

 こう言いたくなります。

「おやおや、どこに行かせるつもり? 幼稚園て、『なになにができなければ、行けないところ』ではないんじゃないですか?」ってね。
 これは、小学校も同じです。『これこれの子でなければ、受け入れてもらえないところ』ではないんじゃない?
「でもね」と、おかあさんたちは言います。「幼稚園に、まだおしめがとれていないんですと話すと、『おかあさん、まだ5か月あります。がんばってください』と、言われるんですよ」って。
 それで、5か月、お尻を叩き「どうして、わかんないの!」「どうして、まにあわないの!」「おしめなんかして幼稚園にいけないのよ!」と、叱咤激励し、虐待に近いほどの怒鳴り声をあびせ頑張るのでしょうか。
 子どもだって、幼稚園なんて行ったことないんですから、制服やカバンがきてジジ・ババ(爺・婆)に「もうすぐ幼稚園ね」なんて言われてくると、なんとなく気分が落ちつかない。そこへもってきて母は、鬼のよう。「あー、ようちえんて、どんなにこわいところなんだろう。おしめもしていちゃいけない。おもらしすればおこられる。わたし、そこ、いかなくてもいいや」と、なりますよ。
 たいていの事は、あせればあせるほどできないものです。まして、自分のことではなく、子どもをしつけるわけですから、そう、うまくはいきません。トイレ・トレーニングのいいチャンスかもしれませんけれど、幼稚園に行く行かないがかかっているなんて、恐れたり無理したりしなくていいんじゃないですか?
「がんばってはみますが、もしとれなかったとしたら、幼稚園にきちゃいけないんですか? おむつをしてきますが、たぶん取り替えていただかなくても大丈夫ですけど」って、聞いてみたらいいじゃないですか。それで、入園おことわりしますなんていう園なら、行かなくていいですよ。
 本来、ありのままの今の子どもをそのまま受け入れるのが幼稚園・保育園です。特に3歳児は、たった3年前に生まれたんですから、まだまだ生活面では未熟で当たり前。それを、受け入れない園に入れてキリキリと神経使うようだったら、まだ、家でのんびり親子関係を深めていけばいいんじゃないでしょうか。

 4歳、5歳、そして小学校でもそうですが、新しい所にいくとき、そこが楽しそうにイメージできれば、子どもの緊張も少しやわらぎます。そこが、つらく厳しく、ひとりぽっちのイメージだったら、緊張し心は固く閉ざされていきます。これは、おとなだってそうですよね。
 子どもにとって『行かなくちゃいけないところ』なら、なおさら、前向きにしてあげることが一番の準備ではないでしょうか。

 幼稚園のきまりをどう守っていくかにも不安があるようです。

「かぜぎみのときは、制服以外のものを着せてもいいんでしょうか」という質問にはおどろきました。
 だって、子どもの体と園の規則を守ることと、どっちが大事なの? 体にきまってるじゃないですか。「今日はかぜぎみで・・」と、一言いえばいいことでしょう? それでも、規則を守らないという後ろめたさがあるなら、休んじゃえばいい。
「通園バスに乗り遅れたら、どうすればいいんですか?」
 こんなの、4月に始まってから、園の先生に聞いたらいい。自分でも考えたら?
「アトピーで、たまごはだめなんですけれど、給食にでたらどうしたらいいんでしょう」
 食べさせたら苦しむんでしょ? どうもこうもありません。
「家は洋式トイレなんです。幼稚園のトイレが使えなくて、こまるんじゃないでしょうか」
「うんちが自分でふけません。きっと、先生にも言えないと思うんです。どうしたらいいでしょう」
 幼稚園の男の子のおしっこ用の便器に、みごとな渦巻きうんちがのっていたことがあります。きっと、こちら側にむいて座ってしたんでしょう。子どもだって、いろいろ考えます。紙がなくて、手でふいて、まわりの壁がうんちだらけだったなんてことは、一年に一回くらいどこの園にもあるんじゃないですか? もし、先生にも言えず大事にパンツの中に持って帰ってきたら、早々に処理をしてお尻をあらってあげたらいいでしょう。

 ちょっと待ってくださいよ。
 あちらのルールが何より優先で、こちらはご迷惑をかけないように、気を配りながら子どもを通わせなければいけないんでしょうか?
 ルールは絶対ではないんじゃないですか?
 考えてみると、私たち、学校で校則とやらを無条件にあたえられて、それを守ってきました。守らないのは校則違反で罰せられます。遅刻をしてはいけない。忘れものをしてはいけない。靴下の色、髪の毛の長さなど、たくさんの校則がありました。
 校則となるには、それなりのつくる側の理由があったことでしょう。しかし、なんのためにどうしてこういう校則があるのか、考えもしないで従ってきませんでしたか?
 そのことが、考える力を鈍らせてきたような気がします。周囲からいい人と思われたければ思われたいほど、相手が気になり、自分があとになってきませんでしたか?
 いま、子どもが幼稚園に入るにあたって、自分が学校にいたときの感覚で、ルールに従っていこうとしていませんか? 自分で考えずに指示どおりにできるように頑張る。
 むやみに反発しろとはいいませんけれど、わが子を一番大事に思い、保護する役目にあることをわすれないでほしいです。よいおかあさんと見られることよりなにより、今、わが子が快適に成長していくことが大事なんです。

「人見知りがはげしくて、なじむのに時間がかかるのです。だいじょうぶでしょうか」
「協調性にかけているんです。幼稚園に入ってもうまくやっていけそうもないんです」
 だから、幼稚園にいれるんでしょ?
 だから、人との関係をもち、人の気持ちをわかり、共に育っていけるように幼稚園にいれるんでしょ? それは親ではどうにも育ててあげられないから、子どもの集団にいれるんでしょ?
 わが子が大事だから手とり足とり、なにからなにまで心配になるのは、わからないではありません。でも、いま、少し手を放すときがきたんです。いま、子どもが自分の足で歩きはじめるときがきたんです。見守ることしかできない親のときが始まるのです。一心同体のように飲み込んでいたとしたら、ちょっと吐き出してください。ひとりの人として子どもが歩みはじめる姿を眺めてください。応援してあげてください。

 だいたい、子どもは刑務所に入るわけではありません。
 先生は鬼でも蛇でもなく、人間なんです。
 新学期を迎えるとき、先生のほうだって「今年はどんな子がいるかしら、どんな親がいるかしら」って、どきどきしているんです。若ければなおさら、親が怖いんです。
 幼稚園も保育園も小学校も、子どもたちの成長をのぞんでいる所です。
 先生と親との相性もあるでしょう。考え方も違うかもしれません。でも、子どものことを考えているおとなであることには違いありません。初めから、先生はあっち側の人、わたしと子どもはこっち側の人と決めつけてしまわずに、まずは人と人としての好意的関係がつくれるように努力してみませんか。
 そのためにも、あまり構えずに、自然のときの流れで四月を迎えてほしいと思います。 幼稚園って、なんでいかなきゃいけないの? そんなことを、のんびりと考えてみてください。         

イラスト/松村千鶴(りんごの木)

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