新しい本(写真右)ができました(99年8月)。この「愛子の部屋」でお話ししているような子育てについてです。これまでこの連載でお話ししたものも含めて、19のテーマのおしゃべりと、ソングライターの新沢としひこさんとの対談です。
 新しい本をどうして出してみたいと思ったのか、前書きに書きましたので、その一部を引用してみます。

 ……前著『子育てを楽しむ本』を出版してから、四年がたちました。本を読んでくださった方々、話を聞いてくださった方々の感想の中でいちばん多かったのは「元気がでた」「ほっとした」という声でした。まるで栄養ドリンク剤のようですけれど、それだけ、みんな元気をなくし、肩張って子育てをしているんだなぁと感じます。
 昔のおかあさんたちは「今の子育ては楽よ。天国のようだわ」なんて言いますけれど、とんでもないですよね。昔も大変だったでしょうけれど、今だって大変なんです。
 まず、生活空間がずいぶん違います。(中略)
 次に、情報過多。(中略)
 そうそう、核家族が多くなり、専業主婦だと子育て『二十四時間営業』していなければならない。
 そして、その仕事の評価は…周囲の気になる視線。こどもがわからんちんだったり、泣き虫だったりするとなおさらです。別にすき好んでこういう子を望んだわけでもなく、そう育てたわけでもなく、たまたまこういう子なのに、まるで母親が悪いみたいな評価をされている感じ。
 おまけに、疲れて帰って来るからでもあるでしょうが、夫にまで、どちらかというとマイナス評価をされていることが多いのではないかしら。
 小学生や中学生の様々な問題が報道されます。自分が健康なこどもを育てていけるだろうかという脅迫観念みたいなものもあるだろうと思います。
 そんなこんなで、今のおかあさんだって大変です。主婦の実働としては、たしかに楽になっているかもしれませんが、今だから大変という部分がいっぱいあります。頭悩ましているんですよね。
 でも、こども関係の仕事をしているのでない限り、こどもを産む前にこどものことをよく知っているおかあさんなんていません。産んでみてから「あら、こどもってこんなもの?」と、びっくりしたこといっぱいあるでしょ?
 だから、こどもが1歳ならおかあさんとしても1歳なんだ、と思うの。
 こどもが2歳なら、おかあさんも2歳ね。
 こどもといっしょにおかあさん業もスタート、「まだ○歳だもん」って思っちゃえばいい。あせったって、いっきに大きくはなれないんですから。

 というわけで、またまた、おかあさんや保育者の方々に、栄養ドリンク剤がわりに読んでいただけたらと思い、二冊目を出すことにしました……
 ところで、この本に掲載予定だった原稿で総ページ数の関係で載せられなかったものを、ここでみなさんに読んでいただこうと思います。

 こどもの感性、信じてみない?

 こどもが洗面所からちっとも帰ってこない。
「いつまでも、なにやってんのー」
 雨上がりの水たまり、ぴちゃぴちゃとはねをあげて駆けぬける。
「やめてよー」
 ふすまのすみの紙のはがれかかったところを、はがそうとしている。
「どうして、そういうことするの」
 こどもたちは、おとなはしないあそびをあちらこちらで見つけちゃうんですよね。それを目にしたとき、「なにやってんの!」「どうして、そういうことするの!」「あそぶものじゃないでしょ!」「まったくー」「いつも、そうなんだから」「なんど、いったらわかるの」
 もっとひどいのになると、「そんな、わるい子はすてちゃいます」とか「そんな子はいりません」なんていうのも聞きますよね。

 言ってるおかあさんの顔はすさまじいです。言われているこどもの顔も、なんとも、お気の毒です。
 でも、おかあさんに見つかる前までの顔はどうでしょう。それは、キラキラ輝いていました。「いいことみつけたでしょう」という顔です。いたずらを見つからなくてワクワクしているというのではなく、もっとストレートにおもしろくて、楽しくてキラキラしているのです。この世にこれ以上のあそびはないというほど、没頭しているときもありますよね。
 そういえば、雨上がりの翌朝の庭は、泥でチョコレート状態です。そんな日、こどもたちは黙々としゃがんで地面をなでます。気持ちのよいチョコレートを発見しつづけます。チョコレートがカレーライスになり、ままごとになる子もいるし、チョコレートがセメントになって塀になすりつける仕事にはいる子もいます。ひたすら、地面を掘り起こし、つるつるとざらざら、ぼこぼこの違いを楽しんでいる子もいるのよ。

 こうしたことに夢中になって、楽しんであそんでいるこどもの顔に気づいて、
「あら、おもしろそうね」
「いいこと、見つけたじゃない」
「楽しそうだこと」
「なんか、すごいこと始めたねぇ」
 こんなせりふをおかあさんが言っているのを聞くことは、めったにないんですよね。
 こどもの感動していることに、すごく否定的なことばを浴びせてしまっていることが多いんじゃないかしら。

 いやな言葉をあびせられても、どうしてこどもは、また、やるんでしょう。
 大好きなおかあさんにしかられても、どうしてやるんでしょう。
「おもしろいから」「たのしいから」だから、やめられないんでしょうね。
 この『おもしろいこと・たのしいこと』は、こどもにとって、心身の発達上必要なことという内容を含んでいる場合もあるし、精神衛生上必要というときもあるでしょうね。いずれにしても、背景があることだと思うんです。
 私たち、こどもたちのようにキラキラと目を輝かせて夢中になれることがあるかしら。あんなにケラケラ楽しげに笑うことができるかしら。

 そうそう、いつか電車で前にすわった高校生の女の子。制服を着ているんだけど、傘だけがものすごいドハデなの。この子の学校は校則が厳しいんだろうな。傘だけがこの子が自分を主張できるところなのかもしれない。もし制服がない学校だったら、この子の傘はもっと地味なものだったかもしれない。バランスとって息をしているような気がしました。
 髪を染めたり、ピアスしたり、化粧したり、いろんなかっこうしている若者がいるけど、そして私の好みじゃないかっこうもいっぱいあるけど、「すごくて笑っちゃう!」「考えたねぇー」「わたしには、わかんないけど、あなたは好きなのね」こんなふうに思いたいの。
 こどもを肯定的にながめるということは、幼児に限ったことじゃないと思うの。おとなって、いつも否定的にながめてるよね。自分と違うものに、自分と同じになるまで、言いつづけてるよね。
 こども時代の自分を思い出してみて。親にさんざん言われながら、やめられなかったでしょ? そのときはそれが最高と思っていたでしょ。それが必要だったでしょ? 通りすぎれなかったでしょ?

 今、こどもが必要としている、こどもの感性を信じてみませんか。

 私たちとの価値観はちがっても、今こどもが必要としているなら、認めるまでいかなくても、せめて肯定的というか、好意的にながめてほしいと思うんです。
 これって、甘すぎる? 
 こどもは否定的に、口やかましくするくらいでちょうどいい?
 わかってあげない、わからないというのが親?
 だから、こどもは親から自立していくの?
 私もわかりません。ただ私は、気持ちよく大きくなっていってほしい。せめて、家族は、どんな状態のこどもも受け止めていてほしいと思うんです。

 あるとき「生き生きしたこどもにするには」という、講演タイトルを頂戴しました。
 少人数だったので、会話をしながら進めました。
「おかあさん、あなたはどんなとき生き生きしてますか?」
「こどもを寝かせて、ビールを飲んでいるとき」
「こどもを寝かせて、好きな洋裁をしているとき」
「こどもを寝かせて、本を読んでいるとき」
 こどもを寝かせて…が、多いこと!
 ひとりだけ、こどもとあそんでいるとき…と、遠慮がちに答えた方がいました。

 そうです。生き生きしているときは、自分の好きなことを、だれにも邪魔されないで楽しめるときなんです。
 こども側からだったら「おかあさんがいなくて…」というセリフになるかもしれませんが、自分の好きなことをやれる保障をされていることなんじゃないでしょうか。
 お互いがお互いの存在を気にしながらも、自分の生き生きする部分を持っていく。そして、その生き生き部分がなんかの足しになっていると信じていきませんか?

(イラスト/高島尚子)

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