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柴田愛子 ill 高島尚子
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10月のことです。りんごの木から遊歩道をかなり歩いて行くと、森のようになったところがあります。そこには栗がなっているというので、11人の子どもと二人の保育者がいつもの草履を靴に履き替えて「いってきまーす!」と、元気に出かけていきました。 ところが、だいぶたった頃、「わたるとゆながいますか?」と、携帯電話がかかりました。11人のメンバーを知らない私は「ここにいるわよ」と、のんきに答えました。やがて、連中が帰ってきたかと思ったら、保育者の前にわたるくんとゆなちゃんが座らされて、怒られているじゃありませんか。あら、かってに帰って来ちゃったんだわと思いながら、口を挟まずちらちら見ていました。長いです。よほど心配したんでしょう、保育者の顔は怒りながら泣いています。
一段落して、子どもたちと円陣をつくって集まったときに「さっきは、どうして、怒っていたの?」と、保育者に聞きました。
栗を取りにいったとき、わたるとゆながいなくなった。小さな川があるので、川に沿ってずんずん行ってしまったのだろうか、迷子になっているんじゃないか、悪い人に連れて行かれちゃったんじゃないか、どんどん心配になって「わたるー!」「ゆなー!」って、叫びながら探した。どこにもいないので、りんごの木に電話したら、戻っていたことがわかってホッとして帰ってきた。二人の顔をみて「あー、よかった!」と思ったけど、次にはどんどん怒る気持ちが湧いてきて「どうして、かってに帰るの! だめでしょう! すごく心配したんだよ!」って、すごく怒った。こんなふうに、いきさつを話してくれました。
「ゆな、おこられて、ないた?」と、子どもがたずねます。
「うん」
「私だって泣いた」と、保育者も言いました。
「ゆなは、子どもだけで帰ったら、怒られるかもしれないって思った?」と、私が聞きますと、コックリうなずきました。
「そうか。怒られるかもしれないけど、二人で帰れるか、やってみたくなっちゃったんだね。ぼうけんだね」
二人は年長児です。あそんでいるうちに、ただ、勝手に帰っちゃったわけではないんです。やってみたくなったのです。自分たちで挑戦したくなったのです。
こんな事はときどき起こります。以前にもリュックと水筒をさげて二人の子どもが、車で来ている距離を歩いて帰ってしまったことがありました。こちらの心配をよそに、子どもは鼻高々に輝いていました。
「ぼくすごいでしょう!」「こんなことできちゃった!」「わたし、おおきくなった!」と思うことをやったのに、おとなにすごく怒られることになったことある? と聞きました。何人かの子が、「ある」と答えました。
二人を怒った保育者も、小学生のとき、子どもだけで出かけての迷子になり、夜になってしまって、すごく怖かった。そして、お母さんにすごく怒られて、中に入れてもらえなかった経験を話しました。
こんな話題は、みんな真剣で、盛り上がります。
昼食の後、ゆなちゃんとあいちゃんがあそんでいたときに、こんな会話があったそうです。
あいちゃん「ねえ、ゆな、ぼうけんたのしかった?」
なんと、ゆなは「うん」と答えました。
「あいちゃんも、ぼうけんにいってみたいなーって、おもったんだ。でも、おこられるのはちょっと・・・・」と、ちらっと保育者の顔を見たそうです。
子どもの気持ちはわかるけど、物騒な世の中だから・・・・。だから、なおのこと、おとなの言うことを聞き、勝手なことをしない子どもにしたくなりますよね。でも、この保育者がこんなふうに言いました。
「もし、私の気持ちだけを子どもに伝えていたら、ゆなはおとなのいうことを聞かない悪い子と、子どもたちにもうつったかもしれない。あいこさんが両方の気持ちを取り上げたことで、あいちゃんが『たのしかった? わたしもしたい』と、ゆなちゃんの気持ち、子ども側の気持ちを否定しないことになったのではないか」と。
難しい状況です。何もなかったからよかったものの・・と、いうことかもしれませんが、子どもたちの気持ちに蓋をすることだけは避けたいと思います。
子どもたちの冒険心、自分に対する挑戦を、どんなかたちで保障してあげたらいいのでしょう、悩んでしまいます。
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