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柴田愛子 ill Takasima.N
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新学期、順調にスタートと同時に泣く子は少しおさまって「今年は、泣く子が少なかったわね」と思っていたのは、甘かった。今頃、泣く子が続出。
泣いているりょうちゃんを、お母さんは切なそうに抱いてやって来ました。
りょうちゃんは私を見たとたん、バイバイと手を振ります。
家にいるときから「りんごのきに、いかない」と泣くので「バイバイだけ、しにいこう」と言って連れてきたそうです。それで、私にバイバイ。
「あーそうなの、今日はりんごの木はお休みなのね。わかったわ。でも、せっかく来たし、お母さんとちょっとお休みしていけば」と促し、庭に入ってもらいました。お母さんも時間あるというので、「じゃあ、しばらく座って、他の子でも眺めて過ごしてください」と、言いました。
ところが部屋の入り口で、担任のまゆみさんに会いました。まゆみさんが「りょうちゃん、おはよう!」と声をかけ、お母さんに抱かれているりょうちゃんに、手を差し出しました。
私が「今日はお母さんといっしょらしいわよ」と言っている目の前で、なんと、りょうちゃんはまゆみさんの腕の中に身を乗せていきました。
「えー! なんだ、いやじゃないの?」
びっくりしてしまいました。だって、泣きながらすっかり身をゆだねていくのですから。
「じゃあ、お母さん、帰りましょう」と促すと、まゆみさんに抱かれているりょうちゃんは「ワー」と泣きました。が、お母さんが見えなくなるかならないうちにパタッと泣きやみました。
直後、用事があってりんごの木を出ると、お母さんが忍者のように壁に張りついていました。お母さんはまだ心配顔で、立ち去りかねていたようです。
こんなふうに話しました。
「確かにお母さんと離れるのは、勇気のいることで心細いのでしょう。でも、りんごの木も案外よいところだと、気持ちが向いているのも事実。お母さんのいないときは、まゆみさんがいると思っている。でも、家とりんごの木の間には越えなければいけない一線があるのね。ハードルという感じかな。りょうちゃんは、泣きながら、イヤだといいながら、その一線を越えているんですね。その一線は、細い方が越えやすいでしょ? ところが、お母さんが見え隠れすると、りんごの木に気持ちが向かいきれないの。そうなると、りんごの木にいながらお母さんのことを思い切れず、家にいればお母さんがいなくなるかと心配になりと、どんどん一線は太くなって越えにくくなるの。家ではたくさん愛してあげて、そして、りんごの木にはポン背中を押して出してちょうだいね。お母さんも気持ちをスパッときりかえて!」と、背中を叩きました。
毎年、こんなふうに、子どもと別れられないお母さんはいるものです。
もう、かれこれ20年前にもなるでしょうか、お母さんばかりでなく、おばあちゃんまでいっしょに、塀の隙間からのぞいていた人がいました。
「先生にいけないって言われたって、置いてさっさと帰れない!」と涙ぐんでいました。今は当時のことが笑い話になっています。子どももちゃんと社会人です。そう考えると、初めて子どもを手放す母親の気持ちは新鮮で温かい。あまり無理をすることではないのかもしれませんね。りょうちゃんのお母さん、見つからないように塀の隙間からのぞいてね!(4月26日記)
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