柴田愛子   

 5歳児のミーティングに参加していました。
 ミーティングとは、子どもたちと保育者で、椅子を円く並べ、話をする時間です。
 内容は「きょう何食べた?」といった簡単なものから、友だち関係でのトラブルなど、多岐に渡ります。みんなでテーマに添って考え、自分の言葉で気持ちや考えを伝えあう時間です。
 5歳ともなると言葉を使って思考します。言葉を使ってコミュニケーションします。思考回路ができるときでもあり、理屈っぽくなります。だからこそ、いっぱい考え、いっぱいしゃべり、共にいるおとなの価値観も伝えたいのです。

 この日、保育者が「いい子って、どんな子?」って聞きました。
「おおきなこえ、ださないこ」
「けんか、しないこ」
「みんなに、やさしいこ」
「いじわる、しないこ」
「おこらないこ」
「かみのけ、ひっぱったりしないこ」
「おしたりしないこ」
「なんでもかしてあげるこ」
「ちいさいこをだいじにするこ」
 次々出てきます。
 おどろいたことに、おとなの言う「いい子」と同じじゃないですか。
 へー、子どももそう思っているんだと一瞬感心してしまったのですが、いえいえ、おとなと同じなのではなく、おとなに言われていることが染みついているのです。19回の「花を採るとかわいそう」「虫を殺すとかわいそう」と同じように、おとなに言われ続けてきている「いい子」であり、子どもたちは言葉では即ハンコを押すように、どんどん出すことがでるのです。

「おべんとう、ぜんぶたべた!」「いい子ね」
「おもちゃ、かたづけた」「いい子だわ」
「おともだちに、おもちゃ、かしてあげた」「えらいね、いい子ね」
「おはようございます!」「ちゃんとごあいさつできて、いい子ね」
・ ・・こんな会話が日々なされているでしょう。
『ほめて子育て』という育児法は正しいような気がします。ほめることで子どもに自信がつきますとも言われます。
 でも、なんかちょっと違う気がするんです。
 日常のほめ言葉は、子どもをコントロールするために使われていることが多いのではないでしょうか? 
 お母さんにほめられるのは、子どもにとって無条件にうれしいです。だから、励んでやります。お母さんの言うとおりにやらないときや、できないときはイヤな気持ちにさえなっています。

 ミーティングの時間にもどします。子どもたちに聞きました。
「じゃあ、おこる子は、悪い子?」
「けんかする子は、悪い子?」
「何でも貸してあげない子は、悪い子?」
「小さい子を大事にしないと、悪い子?」
 一人一人に問いかけると、子どもたちは困ってしまいました。
「おこったっていいよ。りゆうがあるんだから」
「けんかになっちゃうよ」
「だいじだったら、かしてあげなくていいよ」
「ちいさくてじゃまで、あそべないときだってある」
 おとなから言われている『いい子』という言葉から、少し内面に向けられました。

「あなたはいい子? わるい子?」の質問に「ふつう」と返事をした子がいました。
「そうだね、優しくするときもあるけど、意地悪な気持ちもある。ひとりの人の中がいい人ばっかりの人も、悪い人ばっかりの人もいないと思う。いい子も悪い子も、自分の中にあっていい。良くても悪くても自分が大事ってこと」と伝えました。

 話の途中、だれにもやさしくしてあげられるいい子は○、ひとをぶつ子は×と表現した子がいます。クイズのように結果だけで○×を人につけるようには育って欲しくないです。
 コントロールしにくくなるかもしれませんが、行動の現象だけで、いい子悪い子という言葉かけは避けたいとつくづく思ったミーティングでした。(5月22日記)

 写真=りんごの木の庭にて(3歳児クラス。本文とは関係ありません)。
 3月、4月と咲ききそったパンジーもそろそろおしまい。今年もままごとに、色水にといっぱい積みました。


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