柴田愛子  ill 高島尚子

 12月24日はクリスマス・イブ。
 といっても、教会に行くわけでもなく、ケーキを食べるわけでもなく、サンタがくるわけでもなく、日常と何ら変わらずです。
 ふと、子どもの頃を思い出しました。

 母がクリスチャンということもあって、クリスマス・イブは夕方から教会に行きました。小中学生の教会学校でのクリスマス会は、劇があったり、幻灯があったり、クリスマスの歌もたくさん歌いました。
 夜になると、教会の玄関のクリスマス・ツリーの電気がきれいに点滅していました。家の形をしたきれいな紙の箱にお菓子がつまったものをおみやげにもらって、迎えに来た母と帰りました。
 家に帰ると、両親が用意してくれたプレゼントをもらいました。実用的な下敷きや筆箱、ジャンバーや靴下といったものばかりでしたが・・・。
 少し大きくなると、家族のみんながそれぞれにプレゼントを用意して、交換したりしました。これまた、手袋や鉛筆などでした。いちばんよく覚えているのは、姉から赤い表紙の鍵付きの日記帳をもらったこと、すごくうれしかったです。

 家の行事が一年にいくつかありました。夏には、田舎のない家だったので、たった2泊くらいの家族旅行。毎月のようにある誰かしらの誕生会(5人兄弟だったので、両親合わせると7回ありました)。ミュージカルを見に行ったときもありました。そして、クリスマス、お正月。
 そのときは何にも感じなかった家族の行事や何気ない日常が、いま、幸せなときだったと思い出されます。
 子どもが小さく、親の保護を必要としている時代。

 あなたは、どんな子ども時代を思い出されますか?
 今の幼児や小学生は、将来どんなことを思い出すのでしょう。
 いっしょにテレビを見たこと? 
 ガンダムごっこをやったこと? 
 サンタクロースを見破ったときのこと? 
 カルタ取りをしたこと? 
 遊園地に行ったときのこと?
 それとも英会話教室やスイミングに通ったことでしょうか。 

 大きくなってからは友だちとの行動がメインになり、さらに勉強、仕事と、家族が輪になる時間は少なくなります。そう、小学生くらいまでが、いちばん家族の結びつきが強いのかもしれません。そして、その思い出は、いくつになっても暖かい火に手をかざしているような気持ちにさせてくれます。
 人にとっての「ふるさと」とは、過ごした場所ではなく、子ども時代の数々の思い出なのではないでしょうか。思い出したくなるような、ホッとするふるさとになって欲しいと願っています。それは、生きようとする力になると思うからです。
 年末、交通機関があんなに混雑しても帰省するのは、そんな心のふるさとを求めてではないでしょうか?
 子どもを必死に育てている時代は、親としても、きっと「幸せなとき」になるのだろうと思います。

 もう、クリスマスに教会には行けなくなった母に、何年ぶりかでピアノを開け、老眼鏡をかけて楽譜を追いかけながら、クリスマスの歌をプレゼントしました。静かなクリスマス・イブでした。


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