柴田愛子  ill 高島尚子

 2005年、あけまして、おめでとうございます。今年もよろしく。

 元旦、早々に甥の家族がいちばん乗りでやってきました。
「子どもが6時半に起きてしまい、もう、うるさくてしょうがないから来ちゃった」と、恐縮そうに顔をのぞかせました。
 幼稚園の年少組のたくちゃんは4歳。弟は2歳になったばかり。1学期はしょぼくれて幼稚園に行っていたのに、今や口だけが一人前で、偉そうに「おれ!(ぼくの意)」を連発。
「たくちゃんは、名前がおれにかわったの?」と聞くと「そう」
 りんごの木の子どもたちも、口をとんがらせて「おれ」を連発しています。強くて一人前になった感じがするのでしょうか。

 さて、今日は年の初めですから、子ども=お年玉と発想するのがおとなです。
 次々現れるおとなは、ふたりに「お年玉袋」を用意してきています。何しろ、今、兄弟姉妹の縁者に子どもはこの二人だけですから、『かわいくて何かしたい』という気持ちがこういう形になるのです。でも、お金のことがいちばんわかっていないのが、この二人です。
 私もあげたくなっちゃいました。もらったお年玉袋に、玉(硬貨)を入れようと思いました。紙のお金より、玉のお金がたくさんの方がうれしいに決まっています。
「たくちゃん、お金10もあげようか」と言うと、
「うん!」と目が輝きます。
 100円玉を10個いれた袋を渡しました。
 畳の上にチャラチャラと出すと、
「これ、10円?」
「え? 10円がよかった?」
「うん」
 それはラッキー、あわてて10円に替えようとしたら、残念ながら7個しかありませんでした。
 そこで、10円7個と100円と50円と1円を取り混ぜて、これまたもらいものの花柄の財布に入れてあげました。もう、大喜びです。
「きんかなの、きんかなの」と、チャラチャラ音をさせながら、片時も手放さず持ち歩いています。ときどきだして並べてあそびます。
「たくちゃん、ねんちゅうさんになったら、ひとりでおかいものにいくんだぁ」と、張り切っていました。
 3歳児はこんなもんですよね。

 2歳のごうくんも同じように、いちおうお年玉をもらいます。
 2歳とはいえ、おにいちゃんがもらうのは見ていますし、同じようにしてほしがりますからね。
 あげると「ありがと」と、腰をかがめて言います。その仕草のかわいいこと! これを見たさにあげるようなものです。
 袋はそのまま、ママの懐へしまわれていきます。
 そうそう、もらう仕草が大事なんです。
 当人は、お兄ちゃんと同じように袋をもらうことが大事なんです。
 その中身は気にしていません。中身は親が使っていいと、私は思いますね!

 りんごの木でも、年始めの保育のとき、お年玉の話題は出ることもありますが・・・
 3歳児は「いっぱいもらったよ」(金額ではなく、数です)
 4歳児も「おとしだまはね、ママがあずかってるの」が大半。
 6歳にもなると「おもちゃかった」「ママがちょきんするって」。
 お金で物が買えることは知っていても、硬貨や紙幣の金額的価値がわかっているとはいえないでしょう。お金ってむずかしいですから。
 ところで、なぜ、お正月にお年玉か知っていますか?
 近くの神社の社報に載っていました。ちょっと、つまみぐい的に紹介しますね。詳しく知りたい人はちゃんと調べてくださいね。
 そもそも正月とは、年の初めに歳神様を迎え家族そろって祝う神祭りだそうです。この、神様にお備えするのが丸い鏡餅。それぞれ家で作る小さな丸餅を「年玉」といい、餅のお下がりを子どもたちに与える風習が事の起こり。歳神様の代理である一族の長老や両親などからお年玉をいただき、神様の霊力にふれて、つつがなく新年を迎えるということだそうです。
 お年玉が金銭になったのは近年ということです。まあ、子どもたちの健やかな育ちを願う、おとなたちのひとつの表現方法ということでしょうか。

「私もお年玉がほしいな」とたくちゃんに言いましたら「おみせいって、かってくれば」ですって!


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