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柴田愛子 ill 高島尚子
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りんごの木は、ちょっと離れた場所に空き地を借りています。
周りは畑に囲まれていて、懐かしいような景色です。
富士山まで見えるんですよ!
横浜の港北ニュータウンのちょっと外側とでもいいましょうか、たった15分はずれるだけで、まるで都会と田舎という違う風景になります。気持ちのよいところです。
子どもたちはこの場所を『はたけ』とよんでいて、一週間に1、2日を過ごします。小学生のクラブ『あそび島』も、毎週ここを基地にしてあそんでいます。だいたい600坪くらいらしいです。大きな桑の木や杏(あんず)があり、杏の木の上には昨年、小学生がツリーハウスを造りました。
畑もあります。秋にはサツマイモがとれました。今はイチゴが植わっています。
6坪くらいの二階家もあります。これは、前に借りていたまつのおっちゃん(今はりんごの木の人)と中学生が造ったちゃんとした家です。その横にはトイレがあり、みんなの排泄物をためて肥料にしています。
年末から新年にかけては、誰もいませんでした。いよいよ三学期が始まるからと、保育者が準備に行きました。まもなく「大変! 畑が荒らされている。めちゃめちゃ」という電話が入り、とんでいきました。
ツリーハウスの錠がこじ開けられて、中に入っていた物が木の下の地面に散乱していました。
竹馬があちこちに放り投げられていました。
シャベルやクワが散らかっていました。
トイレの中は土足で入ったらしく、土で汚れ、肥料にするためのおがくずが投げ入れられていました。
最悪は二階家の一階のガラス窓が割れていたこと。近くにクワがあったので、それで割ったようです。ガラスはあちらこちらに散乱していました。
火を使った形跡はありません。イチゴの畑は荒らされていません。ガラスを割ったけれど、家の中には入っていません。発電機の小屋の扉は開けたけれどいじってはいません。シンナーなどであそんだ形跡もありません。
私の想像では、小学生高学年から中学1年くらいまでの子どものいたずらだと思います。あそびたくて入ってきたわけではありません。思い浮かんだのは『八つ当たり』『憂さを晴らした』ということでした。今ふうに言うと「ストレスを発散した」とでもいうのでしょうか。
ここは道路に面していないので見えにくくもあり、周囲の畑に人がいなければ、思う存分やれるところでもあります。
たぶん、子どもたちは、木の上のハウスに錠を壊して入り、中の物をばらまき、体を使って思いっきり憂さを吐き出したのでしょう。寒くなってきて家に入ろうとしたら、ここにも錠が。こっちはちょっとやそっとでは開かなかったから、クワを振り上げて窓を割った・・けど、ガラスは散乱して入れる状態ではなかったし、ちょっと怖くもなって、退散した。これが、私の推理です。
「昔はどうやって憂さを晴らしたのかしら」と、保育者の一人に聞かれました。
たぶん、缶けりや泥けい、陣取り、遠足付き縄跳び、石蹴り・・そんな、地域の子たちが群れて体を使って夢中にあそぶと、あそんだ後はスッキリしていたような気がします。
学校では自分を発揮できない、あそぶにも塾やお稽古であいてる子がいない、外であそぼうという子もいない、家によぶのは親の顔色を見なければならない。そんな子が、二人か三人でここに入り込んだのではないかしら。
『ここで、思いっきりあそんでもいいから、もとにもどしておきましょう。いいたいことがあったら、きいてあげるよ』と、張り紙をしたい気持ちでした。
腹は立ちませんでした。
これからも繰り返されるのだろうか。
こういう子どもの状況は、大人のまいた種なんだから、子どもが憂さを晴らすことを我慢すべきなのか。柵を作って自分の場所を守るべきなのか。とっつかまえて「このやり方は、ちがう」と教えるべきなのか、重い気持ちになっています。
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