柴田愛子 ill Takasima.N   

 私より年上の年配のおばさんたちが首をかしげます。
「今のお母さんは楽よねー。家事も便利になったし、紙おむつだってあるし・・・私たちの時代とは比べものにならない。だのにどうして、こんなに子育て支援が叫ばれるのかしら」

「今のお母さんは、しつけができていない」
「今のお母さんは、自分の遊びを優先する」
「自分の子をかわいく思えない人がいるなんて・・・」
「どうして、虐待なんてするのかしら、まったく今の親は・・」
と言う、おじさん、おばさんもいます。

 今の子育てまっただ中の人は、子育てが大変と言います。そして、年寄りたちのこんな言葉や視線が痛いと言います。

 確かに家事は楽になっている。確かに離乳食まで缶詰がでている。確かに紙おむつも安くなってきた。
 確かに「子育て相談」も、求めれば乗ってもらえる機関がある。
 確かに教習所もスキー場も託児施設がある。
 確かに、昔とは全然違う。で、も、大変。

 昔と比べて大変の訳はいくつもあると思います。そのうちのひとつ、母子の付き合い方に触れてみます。
 私が二十代のとき、友人の結婚式にピアノを頼まれました。式の最後にご両親に花束贈呈があり、そのときに弾く曲がありました。

『母さんの歌』 窪田 聡 作詩・作曲
  かあさんが夜なべをして 手袋あんでくれた
  木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせっとあんだだよ 
  ふるさとの便りはとどく いろりのにおいがした 

 この歌知っています? 知りませんよね。歌詞を読んでください。
 この歌がじーんと涙を誘いました。
 そう、私が子ども時代はね、お母さんが編み物をよくしていました。洋服も夜なべをして作っていました。売っていなかったし、高かったしね。
 洗濯は、洗濯板をタライにかけてゴシゴシ・・やがて、洗濯機ができましたが二層式で、絞り器はローラーを回して、煎餅状の衣類が出てきたものです。
 ご飯の支度も、ガスは一台くらいだから、七輪や火鉢を使っていました。お風呂も薪と石炭でした。
 だから、母は忙しくて、子どもを片手間に見ていた! もしくは、子どもなんか見ている暇はなかった! どんなに愛していても、一緒にあそんだりぼんやりしてはいられなかった。
 おかげで子どもは、自由だった。
 そして、子どもがおとなを眺めていました。お母さんが自分のために働いている姿が、子ども側から見ていられた。
 子育ての家事労働は大変だったかもしれないけれど、子どもとの付き合い方に頭は悩ませている暇など、なかったと思います。
 今は、すっかり逆、と言ってもいいのではないでしょうか?

 家事に手がかからなくなったからといって、楽にはなっていない。子どもに手がかかる。
 子どもと物理的に一緒のことが多く、昔のように余分なスペースがない住まい方は、イヤでも子どもが視野に入る。
 子どもをひとり外にあそびに行かせるのは物騒。
 幼稚園に入っても、友だちと約束してくれば、送り迎え。スイミングやピアノのお稽古ごとをすれば、その送り迎えと練習の付き合い、ものによっては親もかり出される。
 家事は合理的になったけれど、子どもと向き合う時間が長い。そして、親が子どもを見ることが多く、子どもは親からいつも見られている。親も不自由、子も不自由って気がしません?

 昔と今の子育て状況は異質なのです。
 きっと、太古の時代から人間は「今の若い者は・・・・」と言い続けてきたんじゃないでしょうか。
 ちなみに団塊の世代、昭和23年生まれの私の場合は、ベビーブームでした。中学生の頃からでしょうか『現代っ子』と呼ばれました。何でも自分勝手に割りきるというようなことだったと思います。人間て、いつも自分が基準で物事を測るのでしょう。そして、年上の人が言っていることが正しそうな気がしている。

 まあ、ですから、ご意見として聞く耳を持ってもいいですが、それで苦しくなることはないでしょうと思います。
 それはそれとして、やっぱり子育てが苦しいのは、親も子もよくありません。その辺を、昔の人を見習いましょう。
 つまり、片手間に子どもを見るということです。向かい合う時間を短くするということです。
 家事に振り回されたように、何かに振り回されるようにしましょうということです。
 好きなことでも、仕事でも、料理でも・・・「今は、手が離せないの!」と言っていいのです。
 子どもは子どもで、自分の時間や空間を、親は親で自分の時間と空間を、大事にしたらいいと思います。
 ご飯と気持ちよく寝れる床は忘れないでね!


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