タイトル

 雪がちらつくほどの寒さかと思えば、昼間は暖房がいらないほどの暖かさ、ちまたにはインフルエンザがはやりと、体調を崩しやすいときです。

 私は風邪の症状はないのに、咳が出ています。

 講演中に咳き込みませんようにと願いながら17、18日は広島で講演でした。
 よんでいただいた東広島の「麦わらぼうし」の周辺の畑には、5センチほどの紫色の小さな草…? 初めて見る草です。

 お聞きしたら、菜の花の芽だそうです。

 これからすくすくと伸びて緑色の菜の花の茎になり、4月には一面菜の花が咲くそうです。

 23、24日は、福岡県春日市と築上郡築上町に伺いました。

 北九州空港から小倉に向かうバスの車窓からは、空が大きく広がり、山と川が見え、九州らしい日差しで、なんともホッとする光景でした。

 自然と人間のバランスは大事だなぁと思いながら深呼吸しました。仕事をかねてあちらこちらにうかがえてありがたいです。


 さて、今週いちばん驚いた言葉がありました。
 あるお母さんの、

「将来、子どもの心が折れないようにどうしたらいいのか、いろいろ勉強して子育てしている」

 という発言でした。
「心が折れる」という言葉にショックを受けたのです。
 私にとって心はいちばん大事にしたいこと、それが折れる?

 折れるは木の枝がポキッと折れて、修復不能になるイメージでした。
「どういう状態を心が折れるというのですか?」と聞きましたら、

「不登校になったり、鬱になったりすることです」という返事でした。
 不登校や鬱は、心が折れてしまわないように自己防衛するために起こっていること、と私は思うので、その使い方にはうなずけませんでした。
 そこで、違う場所で違う人たちに「心が折れる」とはどういうことか、聞いてみました。すると、「あら、その言い方は最近みんなよくするのよ」というじゃありませんか。

「気持ちがへこむ」とか「落ち込む」「くじける」という表現だというのです。
 そこで、インターネットで調べてみたら、出てくる出てくる。
「心が折れそうになった」

 2009年、イチロー選手が試合敗戦後に発したそうである。スポーツ選手が多用したことから頻繁に広がったと書かれてありました。

 さらに、他のを読み進めてみると、もともとは心が折れるというのは「気持ちを相手に向ける」という意味だったと書かれているのが出てきました。
 言葉って不思議ですね。生きものというか、流れものというか。使い始めた人にとっては、そのときぴったりする表現だったのでしょうけれど、そこからいつの間にか使い方が変化していく。


 かつて、私が二十代だったときに、おじいさんの話を聞いて「ほんとー!」と言ったら怒られました。「本当とは何事か、うそではない!」と。
「あのね、ほんとかうそかで使ったのではなく、ほんとー! は、今や感嘆詞なのよ」と説明したのですが、納得はしませんでした。

 考えて見たら、かつては耳慣れない言葉が今や当たり前になっているのがたくさんあります。

 言葉のアクセントも、驚くほど変わってきました。
 さあ、私どうしようかな。「心が折れる」って言葉に目くじらをたてるほどではなさそうな。

 でも、私も使っていくことになるのかしら? (1月26日 記)

 

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