タイトル

 30歳を迎える卒業生のともちゃんが、お母さんとりんごの木を訪ねてくれました。
 ともちゃんとは小学生依頼です。でも面影はバッチリ、洗練された美しい女性になっていました。

 もうすぐ結婚をするので、式に参列してほしいということでした。
 私が最後に会ったのはバレエの発表会でした。妹さんと一緒に、踊っていました。すっと伸びた姿が今も目に浮かびます。
 その後、中高ではダンス、大学では念願の演劇部だったそうです。
 この育った経緯をみると、活発な子どもを想像するでしょう?
 それがりんごの木にいた幼児の頃は、静かな、夢見る少女でした。
 お弁当を広げても、なかなか食べません。だって、お弁当の蓋を開けると、お話の世界が広がってしまうのです。
 お箸が立ち上がり、枝豆は起き上がって、同じテーブルのなっちゃんとお話の世界が広がって、ごっこあそびになってしまうのです。
 楽しそうな様子は止められませんでした。そして、いよいよ他の子がお弁当を食べ終わってしまう頃、あわてて食べ始めます。
 自分の世界を膨らませることが好きな彼女は、決しておしゃべりではありませんでした。目立つことは好みませんでした。大声を出したり、人と争うこともなく、自己主張が強いわけではなかったのです。
 でも、自分の世界は持っていた。
 演劇で舞台に立つことが好きだったというのもうなずけます。やがて、大学で同僚の彼と出会って今に至ったようです。
 つくづく、人が自分らしさを主張する方法は多様であることを思います。
 言葉はコミュニケーションの道具としては有効です。でも自己表現は言葉ばかりではありません。歌、詩、文章、絵、芝居、ダンス、体操、料理……あらゆる表現方法があります。だから、文化が豊かになるのですよね。

  言葉しか持たない私は、他の豊かな表現ができる方がうらやましくも思います。

 

 りんごの木では、卒業する一人ひとりに歌のプレゼントをしています。
 今年も保育者が詞と曲を作っています。
 その子らしさをみんなで検討して詞を作ります。数年の保育の総まとめとも言えます。
 ともちゃんが帰って早々に、彼女の年代の子どもの歌のCDを聞きました。
 結婚した子、子どもが生まれた子、みんな大きくなっていますけれど、つい昨日のように思い出されます。歌を聴きながら、その子らしさが蘇ります。まさにバアバのように目を細めて、昔の姿を浮かべます。
 
 そして、日曜日。私が初めて勤めた幼稚園の園長先生がお亡くなりになり、お焼香にうかがいました。凛とした先生らしい先生でした。97歳、まさに天命を全うした穏やかな笑顔でした。
 お通夜の席、懐かしい同僚と再会です。なんといっても四十年も前のことです。皆さん、お孫さんをお持ちの立派なおばさんたちになっていました。
 始めはどなたかわからないほどでしたけれど、話しているうちに面影がみえ、時の流れは短くなっていきました。

 

 私、17日でなんと、67歳を迎えます。いつの間にやら信じられない歳になりました。いろいろと振り返り、懐かしむ日々が続きました。
 でもでも、まだまだ幼児保育のおもしろさからは足を洗えません!(2月16日 記)

 

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