タイトル

 

 三月に入ってから、ちょっとイベントが続きました。
 そのひとつは、大学生が劇を演じに来てくれました。

 劇を同じ床面でみることなど、めったにありません。いえ、劇そのものをめったに見たことがない子どもたちです。「ピーターパン」でした。
 お話にも演じる学生さんにも即、反応して声をかけてしまいます。

 子どもが声をかけると、学生さんはそれを流さず、アドリブで変えていきます

 もう、申し訳ないほどやりにくかっただろうと思いました。

 が、終了後、反応が面白かったと喜んでくれて、胸をなで下ろしました。

 

 4、5歳児で市内緑区の動物園「ズーラシア」にも行きました。
 驚いたことに、猿の前で猿に声をかけます「ウオッ、ウオッ、ウオッ」と猿語です。

 ロバの前ではロバ語。さらに四つ足になって歩き始めました。
 お弁当を食べる広場では、猿になった子どもたちが木に登り、木の実を採ります(木が折れないか食べても大丈夫な実なのかは、チェックしました)。
 りんごの木の子どもは比較的自由にあそびますが、動物園でこんなことになったのは初めてです。
 かつて、見ている動物になろうとおとなが誘導してやったことはありましたが、子どもたちの自発的なこの様子には「あっぱれ! これこそ動物園」と、かけ声をかけたいくらいでした。
 それにしても、近頃の5歳児は花が開きすぎて、テンションが高く、動きも声も大きくてうるさいです。

 

 りんごの木では21日に、卒業式をします。残すは今週一週間だけとなりました。

 身体も感じる心も考える力も、ちゃんと6歳になっている、小学校に入る準備はできているなと感じるこの頃です。
 でも、子どもたちに学校に行くのにドキドキ(不安や心配)とワクワク(楽しみ)とあるよね。どのくらいの気持ちかとたずねると、100%楽しみと答えた子は三分の一程度でした。気持ち半々が三分の一、その他は微妙な感じ。全部が心配と答えた子も何人かいました。
 心配の原因は「はじめてのことだから」と答えます。ちゃんとわかっているのです。だれかにどうにかしてもらえないことであると。
 同じ質問を親にしてみました。(りんごの親ではないのですが)。上の子がすでに小学校に行っている親は、あまり心配はしていないようですが、第一子の方は、やはり心配だといいます。
「何が心配ですか?」と聞くと「座っていられるのか」「字が読めないけれど」「遅刻するんじゃないか」「困っても先生にいえないんじゃないか」と、いたって具体的です。
 子どもは先が見えないから不安、親は先が見えるから不安と、ずいぶん質が違います。
 親の不安は、具体的であるがうえに、口うるさく言いがちです。
「そんなに支度が遅いと、遅刻になっちゃうよ」
「少しは字を練習しておこうね」
「落ち着きがないと、学校で勉強できないわよ」
 漠然とした不安に、具体的な親の不安が言葉で浴びせられたら、たまったものではありません。

 親が子どものためにと注意することは、もしかしたら自分の不安を口にしているのではありませんか?親の言う通りにしたら、準備万端すべて安心になって入学できる、なんてことにはならないでしょう。子どもは自分の不安を自分でもっているのです。親も「なんとかなるさ」と自分で抱えて下さい。

 3歳で入園などの場合は、行ったことがない場所を想定はできません。
「四月になったら」という時間の概念もまだ未熟です。小さければ小さいほど間近でいいのです。 3歳だったら、せいぜい2週間くらい前でいいかもと思います。怖いところより、楽しみなところに行く方がいいに決まっています。

「先生が○○ちゃんきてねって、待っているよ」と言って下さるとありがたいです。

 待っていてくれる人がいるなんて、行きたくなるでしょう?

 三学期は充実期で、子どもの関係も保育者も別れがたくなるときにやってくる卒業式や進級によるクラス替え。大きくなるって、この繰り返しですよね。
 いい季節でもあるけれど、寂しい季節でもあります。

 一歩前へ進む子どもたちにエールを送って見守りましょう。(3月15日 記)

 

 

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