タイトル

式 今年で25回目の卒業式を21日に終えました。
 何年やっても、緊張します。

 前日、一人ひとりを思い浮かべていました。
 それぞれが個性を持っていること、世界でたったひとりの子どもであることを実感しました。

 そして、一人ひとりに「だいじょうぶ」と確認していました。

 当日は、ちょっとおめかしをした子ども、普段着の子ども、サッカーのユニホームの子どもと、それぞれでした。
 修了証書を渡して、その子の歌をプレゼントするだけの式です。事前練習は一回もしません。

 それでも名前を呼ばれると前に出てきて、ひとりで段上(といっても日常の跳び箱の上ですが)に立ち、ちゃんと証書を受け取ります。

 以前、保育園でお茶のお手前をいただいたときに、ちゃんとした子どもたちの様子をつれづれで書きましたけれど、あのとき以来、すでに子どもはちゃんと建前を使い分けられることに安心もしていました。この日も立派でした。
 うっかり親たちのほうに目を向けると、泣いている方もいらして、私も誘われてしまいそうになり子どもしか見ないようにしました。
 式は二時間ほど、そのあとはおやつをいただき、子どもたちは通常のようにあそびます。親たちは茶話会でおしゃべり。
 4年前の震災直後のときは、全員がそろうこともできず、靴を手元に置いて手短にすませたことを思い出します。平穏であることに感謝です。
 小学校、「ぜんぜんだいじょうぶ」と言っていた子どもが、前日布団のなかで泣いたこと、りんごの木の陰で泣いていたことなどをお母さんから聞きました。
 新しい世界に出て行くのは、今までの日々の別れと巣立ちの寂しさでしょう。
 毎年、私も「このときがなければいいのに」とさえ思います。けれど、新学期を迎え、新しい子どもたちとの出会いをすると、またまた、むくむくと力が湧いてきます。子どもたちもきっとそうでしょう。
 小学校を卒業した子どもが挨拶に来てくれました。「小学校は、まあ、まあだったな」とのこと、小学校を卒業し、中学校にはまだ入っていないから、いまは自由だと言っていました。春休みは、そんな大切なときなのですね。
 義務教育とは、おとなが子どもの育ちを保障するために教育をする義務があるということです。でも、なんだか子どもが(背負っている)義務をひとつずつ終えていくような気になるこの頃です。変ですよね。
 個性を持った子どもたちが、一人ひとりその子らしい育ちをしていけるように願って見守り応援していきたいと思います。と同時に、健全なおとなでありたいと思います。(3月22日 記)

 

 

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