タイトル

 いよいよ新学期を迎えます。新しいことには緊張と期待と不安も混ざり、背筋を伸ばして一歩踏み出します。

 りんごの木は10日が初日です。入園式はありません。初日から遊んで、お弁当を食べてという日常のスタートです。
 先日、近くの保育園をお訪ねしましたら、そこも入園式はやらないそうです。昨日、うかがった東広島の「麦わらぼうしこどもえん」は親と子ども、いえ、兄弟姉妹もいっしょに「にゅうえん遠足」でした。
 桜と菜の花が咲いたのどかな里山を、みんなで歩きます。池で立ち止まり、神社でお弁当。親ものんびりした、のどかないい遠足でした。こんな自然環境に恵まれていることがつくづくうらやましかったです。

 入園初日の迎え方が多様化してきたことはうれしいことです。それぞれがこだわって考えているということですからね。
 そういえば、それ以上に保育は多様化してきています。それぞれの特徴が魅力的に掲げられています。英語、体育、パソコン、フラッシュカード、漢字や俳句、鼓笛隊、お勉強、裸に裸足、あそび、自然あそび……。
 名称は「保育園」「幼稚園」「こども園」と言っても、内容はさまざまです。

 多様化すると、ひとつに決めなければならない親は混乱し、大変かもしれません。近くにひとつしかなかったら迷いもしないのに、誰かが判断してくれたら楽なのに、と思いますよね。
 でも、案外いいことかもしれません。あまり意識していなかった自分の価値観が見えてくるからです。大切なわが子にどう育ってほしいと願うのかを、問いかけられる機会になるでしょう。そして、覚悟を決めて入園となったわけです。
 でもでも、迷いがなくなるのは、そう簡単ではありません。
 早期教育の弊害なども耳に入ります。

 身体を鍛えるのはいいけれど、小学校で運動不足にならないか。自由で遊ぶのはいいけれど、小学校で苦労するのではないかと、次の心配が始まるようです。
 親のよかれと思ったことが子どもにとってもよいかどうかは、今すぐに答えはなかなかでません。しかし、親の意向や心配はさておき、毎日通うのは子どもです。子どもの表情を観察して下さい。

 親と離れるときに泣くか泣かないかではなく、日々生気をなくしていくとか、笑顔が消えてきたとか、食べたものをもどすなどの身体的な変化がでてきたら、しばらく慎重に様子をチェックしてみましょう。毎日、苦しんでまで行く場所ではないのですから。


「母の友」(福音館書店)の4月号に「園のいちにち」という特集がありました。保育園、幼稚園での子どもの過ごし方の例が、タイムスケジュールで書かれています。

「遊んでばかりでいいの? はい!」という汐見稔幸さんの記事も掲載されています。

 気になる方はご参考にどうぞ。


 もうひとつ気になる記事がありました。

 4月1日の毎日新聞‘新一年生「自分を守る」対策’というのがありました。

 主に防犯対策に関しての記事です。
 登下校の通学路をチェック、子どもが駆け込めるところへの挨拶、知らない人とのすれ違い方、抱きつかれたときの逃げ方が図解されていました。

 あやしい場所の四つの特徴、あやしい人の五つの特徴がひらがなで書かれていました。

 登下校の際は「寄り道をしない」「必ず決めた道を通る」と約束するというのです。
 まさに、子どもの好きなこと、子どものやりそうなことはダメなのです。子どもの探求心、冒険心なんて保障できない時代になったことをつきつけられた気がしました。

 完全なとはいいませんけれど、ほぼ健全な大人社会がないかぎり、子どもが安心して子ども時代をすごすことなんてできないのです。

 どこから、どう手をつけたらいいのでしょう。途方に暮れてしまいました。(4月5日 記)

 

 

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