先日、5年生になった卒業生のお母さんたちとおしゃべりしました。 子どもの気持ちや発言を大事にして、子どもの発想からイベントを企画したりという先生もいれば、きちんと整列させて規律を重んじる先生もいる。 さらに驚いたことには、その全くといっていいほど違う教室が隣り合わせだということなのです 話を聞けば聞くほど、学校による違いどころか、先生による違いが大きいのが公立小学校に実情のようです。 言い換えると、公立と言えどもやはり人がする教育、教師の資質、人格、価値観がもろにクラスづくりに反映しているということですよね。 親たちが口にする先生の「あたり」「普通」「はずれ」が、こんなにもハッキリあることにあきれて、何ともいえない思いです。 親の価値観もそれだけ千差万別ということでしょう。 ならば、学校を選べるように先生を選べるようになるといいのかもしれません。 ところが、ここまでは親の気持ち。肝心の子どもにとってはどうなのでしょう? あたったのか、はずれたのかは子どもが楽しく行けるかどうかということに直結しているのでしょうか? もちろん、それも一面かもしれませんが、本当の意味で子どもにとってどうだったのかは、時間がたたないとわからないことかもしれません。 ともかく、基本は子どもをひとりの人として尊重し、教育している自覚を持っているかどうかということでしょう。
もうひとつ先週うれしい報道がありました。 ミスユニバースの日本代表にアメリカ人と日本人のハーフの黒人がなったことです。 もともとミスユニバースには全く感心がありません。でもハーフがなったという今までになかったことに興味を持ちました。 彼女は中高とかなり辛い思いをしてきたようです。そして、アメリカに渡り自分のありのままを受け入れられた。 あえて日本でミスユニバースに応募したというようなことをテレビで聞きました。 「ハーフである自分が、日本代表になってもいいのか戸惑いもあります」とコメントしています。 いままで単一民族でなりたっている気になっていた日本も、実はいろんな国の人がいて、ハーフも多くなりました。 「みんなの学校」のように「みんなの国」、どの人にとっても居場所のある国に、小さな一歩ではありますが、踏み出したような気がしたのです。(4月26日 記)
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