タイトル

 さわやかな週末でした。徒歩で15分くらいのところに「多摩川駅」があり、そこの会館で「戦争を語り継ぐ会」があったので、出かけていきました。
 この場所は今は公園になっていますが、私の子どもの頃は「多摩川園」という遊園地がありました。周囲をこんもり木々に囲まれた小さな遊園地で、真ん中に猿山があり、数個の乗りものがありました。

 地形をいかして山から滑り降りてくる斜面がありました。そこでは、藁の敷物を5円で借りて滑るのです。家から向かうと、遊園地の山の上側に着きます。そこで、入園料を払わず潜り込み、敷物も借りずにその斜面を滑り降り、猿を見ていたものです。
 すんなりと潜り込めるような木の柵、お金を払っていない子も見逃すようなおおらかなおとなたちだったような気がします。
 そんな遊園地でも、入り口の両側には参道のように店が並んでいました。めったに買うことはありませんでしたけれど、人形焼きやおせんべいやさんがありました。いまでも数軒は残っているようです。
 そうそう、田園都市線の二子玉川にも「二子玉川園」という遊園地がありました。

 そこは、多摩川園よりははるかに立派でジェットコースターがありました。

 お金がかかる乗りものが多いので、おとなに連れて行ってもらわなければなりません。

 そこに行くときには、ワクワクしたものです。
 今だったら、ディズニーランドに行くような気分でしょうか?
 いえいえ、何か違う。

 かつての遊園地は子どものためのものだったので、そんなに大がかりではなかった気がします。
 特に多摩川園なんてプレーパークに毛が生えたような程度かな。
 今や、おとなも子どももいっしょに「たのしかった!」といえる遊園地が増えました。いい時代なのかもしれません。
 でも、もしかしたら、おとなの文化に子どもがつき合ってくれているのかもしれません。子どもを巻き込んでいるのかもしれません。
 子どもの遊びのようで、子どもの素朴さがない。おおらかなおとなのまなざしというより、お金がないとなんにも始まらない遊び場。
 でも、この日の公園は賑わっていました。親子でキャッチボールやサッカーを楽しんでいる人々がいっぱいいました。網のフェンスの中でね。ボールが外に出ていかないために周囲はフェンスで囲まれていました。
 実はこの公園、以前はラケットクラブという高級テニスクラブがあったのです。なぜか、数年で姿をかえ、公園になりました。めでたし、めでたし。
 家族が休日を楽しんでいるいい時代です。

 

 肝心の「・・語り継ぐ会」は年配ばかり。私が若いくらいですからね。

 それでも、会場は満員でした。
 講師は東大新聞研究所元所長の桂敬一さん。ジャーナリストだった方です。
 印象に残った言葉、桂さんが小学生、戦争が始まったときの印象を「戦争は静かに始まった」とおっしゃいました。

 駄菓子屋で甘いものがなくなった。でも、それに慣れていく。

 やがて、家族での外食がなくなった。

 子どもにとっては、そんな静かな変化が始まりだったとのこと。
 そして、強烈な一言「今は戦後なのか、戦前なのか」
 平和を実感しているからこその、年配の方々の切実な集まりなのでしょう。
 中途半端な私の肩を叩かれた思いで帰路につきました。(5月24日 記)

 

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