タイトル

 大イベント『こどもみらいフェスティバル2015』が終わりました。

 実行委員会を立ち上げて、何か月も前から準備をし、何から何まで、地元の子育て中の親たちや子ども関係の人々で主催した、二週にわたる大イベント。
 実行委員会の方々や協力的に動いてきたみなさん、当日のボランティア、もう、とてつもない大きなことだったと思います。

 実行委員長と妻の力によること大だったとも思います。

 みなさん今頃心地よい充実感と疲労感に浸っているのではないでしょうか。


 私はなんにもしてきませんでした。担当は最終日の都筑公会堂での講演です。
 ところが、なんと風邪を引いてしまいました。
 フェス初日の13日土曜日、大勢の人々が来ていました。
 懐かしい人々と会ったり、スタッフとして働いている親たちを目にしたり、子どもたちが遊んでいる姿をみていたら、次に私の番がやってくることが重くなってしまったのです。そこへ風邪菌に入り込まれたのでしょう。
 公会堂は収容人数が多いけれど、人数が集まるのだろうかという心配。

 いままで、りんごの木が企画したセミナーなどで自分の講演は入れていないのはこういうこともあります。案外、小心者なのです。集まらなかったらどうしようと情けない気持ちになるのです。

 集まらないときにスタッフが必死に勧誘しなければならない状況になることにも申し分けなくなってしまうのです。
 外部の依頼されての講演は、人数が少なくても気にならないのです。主催者の気持ちがわかるからでしょうか。

 火曜日、横浜市旭区の私立幼稚園の保護者の方々にお話してきました。
 そのあとから体調が悪くなりました。水曜日はりんごの木に行ったのですが、帰宅するとぐったりでした。
 土曜日の話の内容を考えなければというのもプレッシャーです。何しろ知っている人が多いことや、この地域の方々が大半だろうと思うと、あれやこれやと悩みながら寝ているせいか安眠できない。起きてはメモをするの繰り返し。体調はいっこうによくならず、とうとう木曜日、金曜日とりんごの木を休むことになってしまった。

 声が出なかったら、行けなかったらと、内容どころではなくなってきました。そうなると、不思議と寝られるようになりました。
 とにかく穴を開けないこと、いままでみなさんが用意してくださったことを無にしないことだけが一番になりました。

 こんなことを書きたいと思ったのは、病気って大事なことかもしれないと思ったのです。

 意志とは無関係に受け入れなければならない身体の変化。そのおかげで思考が変わって、返って気持ちが楽になったりするのがわかったからです。(病状などにもより軽率に言ってはいけないかもしれませんが)
 当日は七割方だいじょうぶ状態でした。
 会場につくと、講演前に「身体を整えましょうか?」とりんごの木のお母さんが楽屋で身体を触ってほぐしてくれました。
 美容院に行きそびれている髪や顔色が悪い頬に紅をと、プロのお母さんが手を添えてくれました。ほんとにありがたく、うれしいことです。
 講演会には、初めて私の講演を聴きに来て下さった方がたくさんいました。
 りんごの木を始める前に、ここ港北ニュータウンで自主保育をしていたときの子どもとお母さんが懐かしい写真と保育の連絡帳を持って来てくれました。なんと三十数年前になります。お子さんを抱いて参加してくださったのです。
 りんごの木の初期の卒業生である中川ひろたかの娘や息子も来ていました。

 いまやスタッフになっている子もいます。

 卒業生のお母さんも本売り、託児と大活躍です。
 肝心の講演は、咳き込みながらなんとか2時間。内容は反省しきりですが、「まぁ、来れたんだからいいとするか」てな感じ。
 たくさんのみなさんに大事にされて、私があることを心から感謝しました。
 人が人と繋がって、本来の子どもやおとなが輝ける社会、そんな小さな網をみんなが紡いでくれているようにも感じました。(6月21日 記)

 

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