タイトル

 木曜日、丹波に向かいました。新大阪から福知山線に乗ると、車窓がどんどん緑が濃くなっていきます。山が深くなり、川が流れ、やがて田は黄金色。稲の穂が稲刈りを待っているようにたれています。
 本を読んでいたのですが、もったいなくてやめました。景色に見とれてしまいます。

 緑濃い山々の谷をどんどん入っていきます。昔の人はこんな奥に、よくも住み着いたものだと思いながら……。胸が徐々に開かれていくような、ホッと感があります。


 丹波の訪問は今回で三回目です。
 昨年は豪雨の被害で、復興作業のときにおたずねしました。
 この電車の終点には城崎温泉があるようで、いつか訪ねてみたいと思いながら柏原駅で下車です。
 迎えに来て下さった方々のお顔が、昨年より元気そうでうれしかったです。
 今回は丹波市教育委員会子育て支援課によんでいただきました。
 対象は0、1、2、3歳児の親ですが、160人もお集まりいただきました。
 驚いたのは託児です。それだけの人数の親なのですから、170人近い子どもがいたようです。寝ているだけの赤ちゃんから、走り回る3歳まで。高校生から年配の方まで託児係も総動員だったようです。よくぞ、やろうと思ってくれたと感心してしまいます。
 スタッフの方々には、前日の夜にお話することになりました。スタッフの情熱もなかなかでした。
 当日は子どものことを考えて、講演は一時間半に納めるべくがんばりました。この自然のなかで、肩の力抜いて、地域で子育てできたら、なんの心配もないって気がしますけれど、どこでも親の悩みはつきないようです。


 講演の合間にはFMラジオのインタビューがありました。なんと、質問が30も用意されていて、マイクのまえだけでは足らず、送迎の車の中でも。ほんとにしゃべり続けた二日間でした。声ってすごいです、湧き出てくるのですから。
 いただいた質問のなかに面白いのがありました。ちょっとご披露してしまいます。
「おとなになってからのけんかは、子どものときのような爽快感がない。あとで仲直りしたようでも、お互いに傷ついて疲れただけのような気がする。おとなと子どものけんかの違いは?」(文面は私が簡略化しています)
 こんなこと考えたことがなかったので面食らってしまいました。でも、面白いのでちょっと考えてみましょう。
 子どものけんかは考えるより前に、気持ちにストレート。手がで、足がで、取っ組み合ってとシンプルにぶつかり合います。
 おとなは日頃我慢していることがつもりに積もり、何かが引き金になってけんかが起こることも多いのではないでしょうか? それに、自分は寛容でいい人でありたいと思ったり、相手の気持ちを受け止めてもあげたいなどとも思う。いつも頭がついてまわるのです。だから、けんかに対して後ろめたさや自己嫌悪などが生まれてしまう。
 仲直りの仕方だってむずかしいですよね。子どもたちのように「あそぼうか」で修復しにくいです。かといって「ごめんなさい」もむずかしい。
 子どものけんかは後に引きません。前よりもっと関係は深くなっています。そうなると、おとなでもスッキリしたけんかをするためには、ため込まず、反省せず、気持ちにストレートな小噴火を繰り返すことかもしれません。あとがめんどくさいと思わないことも大事。そんなご夫婦もおられるかしら?
 そういえば、子どもの頃は兄とたくさんけんかしましたけれど、最近は誰ともけんかをしていません。年齢と共に穏やかになっているのかもしれません。それとも、けんかをするエネルギーがなくなってきたのかしら? 
 子どもって健康ですね。はやくおとなになる必要はありませんよね。(9月6日 記)
 

 

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