タイトル

 この土日は山口県山陽小野田市の保育士会にうかがいました。
 会場は、それはのどかな風景に囲まれた公民館でした。

 小川が流れ、山々の木々は紅葉が終わった晩秋風景、葉が落ちた柿の木には、実がたくさんついていて、青空にはえていました。
 日曜日の午前中の研修会なのに、休日返上で集まって下さって、うれしいやら申し分けないやらでした。
 その帰り、山口宇部空港を三時半くらいの飛行機に乗りました。

 満員で、横も後ろも大柄な男の方々。窓側でよかったとほっとしながら外を眺めていました。
 すると、夕焼けで雲が赤くなってきました。
 飛行機はピンクに染まった雲に突入、その雲に包まれて飛行していきます。
 なんとも感動的な風景でした。
 隣に気さくな方が座っていたら「見て!見て!」と言いたいところでしたが、生憎のおじさん。黙って眺めていました。空を飛んでいる実感が湧いてきます。
 やっぱり、私は大きな自然に感動することが多い気がします。
 
 三十代の頃は日本の山を登りに行っていました。
 四十代後半、秋の終わりに、ひとり八方尾根を唐松岳に向かって登っていたときに、「帰ってきた」という感覚に襲われました。なぜかとっても安心したのを覚えています。
 雪に覆われた冬山は、それはそれは美しかったです。命をかけてしまう気になります。

 もっとも、荷は重く、体力を使い、8回くらいしか行けませんでした。
 この頃は、楽をしていかにいい景色を見るかに徹しています。体力気力とも萎えていますからね。
 数年前に行ったネパールで、初めてヒマラヤ山脈を見たときに「神々しい」という言葉が降ってきました。
 
 いったいいつ頃から自然を求めていたのだろうと振り返っていくと、子どもの頃はあまり興味がなかったようです。
 毎夏、家族旅行で二、三泊の、海や山の保養所に行ったことはありましたが、その程度です。

 親戚も少なかったので行くところもなく、たぶん遊んでいた範囲は狭いものだったと思います。

 友だちの家と自分の家と庭程度、父親と20分くらい歩いて多摩川の河原、15分歩いて小学校、25分くらい歩いて中学校くらいです。
 今のみなさんは家族旅行が充実していますが、当時の子どもはかなり貧しいものでした。

 ただ、近所には子どもの群れがあり、日常の遊び自体はもっともっと豊だったような気がします。缶蹴りや石蹴りなど、異年齢で日々盛り上がっていました。自然体験より遊び体験という時代だったと思います。
 でも、不思議なことに、ちょっとイヤなことがあったり悲しいことがあったりして、一人になりたいときは、多摩川の河原でぼんやりしたことを思い出します。
 そのときの多摩川は、洗剤の泡で雪景色のように白くなっていました。空はスモックだったのでしょう、灰色でした。決して美しい自然ではなかったのに、落ち着いたものです。
 考えてみると、おとなになってからのほうが自然を求め、感じるようになってきたような・・。

 子ども時代って、環境を自分で選んでいるわけでもなく、もっといい環境を求める気持ちがあるわけではなく、すべてをそのまま受け入れているのですよね。意識的に自然を楽しむということではなく、どこでもあそぶ、どこでも自分の場所をみつけているのではないでしょうか?
 だから、どうでもいいということではありません。よりいい環境で豊かに育ってほしいと思います。それが、おとなの勤めだとも思います。ただ、どんなところでも子どもは生きていくたくましさは持っていると信じてもいます。
 なんだか、とりとめのないおしゃべりになってしまいました。何が言いたかったのやら……失礼!

(11月16日 記)

 

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