タイトル

 4、5歳児の担任たちと打ち合わせしていたときのことです。
 ひとりの保育者が「ピアノって、乗っちゃダメなの?」と聞きました。
 なんでも、先日、ある子がピアノに乗ったら「いけないんだよ」と他の子どもたちが言っていた。それを聞いて「乗っちゃいけないって、決まってるのかしら?」と思ったそうです。
 ひとりが「だって、危ないんじゃない?」と言いました。
「あれはしっかりしているし、ちゃんと移動しないように置かれているから、危なくはないと思う」と彼女。
「だって、高価なものだし」とか、「楽器は生きている感じがするから、大事にしないのはいやかな」とか。「でも、保育室の中のピアノは消耗品かも」「足で弾いている人を見たことがある」「障碍の人が足や腕で叩くのはあり?」
と様々な意見が出て、いつものように結論は出さずに終わりました。それぞれが自分の気持ちに向き合い、自分としての結論を出せばいいと思っています。

 でも、この話をしたときに「子どもたちは、どうなのかしら? 子どもたちもミーティングで話してみようよ」と提案しました。
 そして、子どもたちにも聞いてみました。
「のっちゃダメ」という子が多かったのには、ちょっとびっくりしました。理由を聞くと、
「がっきだから、だいじにしないと」
「せがたかいから、のれない」
「たかいんだから(高価ということ)そんなことしちゃだめ」
「おかあさんにおこられる」
「ピアノは、てでひくもんでしょ!」
などと、乗るなんてこと思ってもみませんという子どもになっていました。すでに4歳はそんな年齢なのでしょうか。
「おおきいピアノは(グランドピアノ)はのっちゃいけないけど、こういうのは(アップライト)いい」という子や、
「のりたくなっちゃうんだよね」という少数派もいます。
 これを言い出した保育者はピアノが好きです。上手です。彼女は大好きだから壊したり、傷つけたりするのはいやだけれど、仲よくするのはどんなかたちでもいいというようなことを言ったと思います。障碍のある人が自分の表現としてピアノを叩いていたり、乗っかっていたりするのを体験したことがあるようです。
 そして、「ピアノという楽器の中で、いちばん大事にしなければいけないところはね」と言って、鍵盤の上の板を外しました。弦と白いフェルト状のハンマーが現れました。鍵盤を押すとハンマーが弦を叩き、音が出るという仕組みに、子どもたちの目は釘付け。
「だから、これを傷つけたり、叩いたりしてはいけない。そこで、このじょうぶな箱で囲んである」と説明しました。
 ひとりの子が言いました「のってみたい!」と。すると、みんなも実はやってみたかったという顔になりました。
 一列に並んで、ふたりずつピアノの上に座ります。つま先で鍵盤を叩いたり、「ねこふんじゃった」を足で弾こうとしている子もいます。
 結局、全員がやってみました。
 やってみたうえで聞きました。
「ピアノに乗る?」
 最初と同じように「でも、やっぱりのらない」が、大半でした。ピアノに乗って他の子に怒られた、この話の発端になった子さえ、「のらない」と言いました。
「ピアノは乗らない!」このひとことでもよさそうなものなのに、なんでこんなこと聞いてみたのかしら? と自分に問うてみました。
「ピアノに乗ってはいけない」という決まりにすると、乗った子どもに対して「いーけないんだ、いけないんだ!」と非難する子どもたちが見えます。
 そうではなくて、実は足で弾く人もいる、乗ってみたくもなるという許容範囲が広い方が、ずっと発想は豊になるだろうし、そこで自分にも向き合える気がするのです。
 でも、どうなのかしら、子どもは混乱するかしらと、自問自答しながらのミーティングでもありました。(12月13日 記)

 

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