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 昨日3月10日に京都にうかがいました。3年前にテレビで私を見て横浜まで講演会にいらしてくださった方が、今回下京区の子育て支援ステーション事業の催しにおよび下さいました。
 新幹線は富士山の見える進行方向、右の窓際を取りました。が、あいにく曇り空で見えませんでした、隣の席にはマスクをして耳にイヤホーンをつけ、ビールを手にした若者(たぶん二十代前半)が座りました。その人はなぜか二台のスマホをテーブルに出しました。京都に着くまで、いっときも手放すことなく、ゲームとかではなく、メールか何かを打っていました。
 私は携帯を忘れていきました、初めはやはり多少不安でした。何かあったときの連絡方法がないという不安。しかし、考えてみれば携帯時代になってからのほうが短い。それまでどうしていたかといえば、何かあったとしても、連絡が取れない場合はいずれわかるのです。何かあったとき?そう、あってしまった後なんですから、だいたいのことは緊急ではないともいえます。

 携帯にもらっている安心感って、なんなのかなと振り返るにはいい時間でした。
 車窓からは、遠くに雪をかぶった山々、手元の畑には緑の草がちゃんと春を告げていました。隣の男性の視力は、きっとどんどん落ちているに違いない。
 京都に着いたら修学旅行生が溢れていました。私も中学校の修学旅行は京都でした。つまり京都に修学旅行というのは50年以上も続けられているということだと思うとびっくりです。戦後間もないベビーブームの子と言われた私たち世代を、年上の方々は「現代っ子」と呼びました。「深く考えずに、なんでも割り切って」というマイナスな評価です。しかし、考えて見れば、その現代っ子がいまや70歳になっているということ。私たちはかつて評価されていたときよりまともな大人になったのだろうか? それとも「現代ジージとバーバ」と言われるような特殊な年寄りになっているのだろうか? 

 結局、変化に弱い人間が自分と一線をつけるために、新しい時代の新しい人間を見下す、というのが人の常なのかもしれないと思い至りました。


 会場になっているところは公園や水族館、庭園などがある敷地の中にある館でした。ところが、遊具のある公園にさしかかったとき2歳くらいの男の子が「おかぁーさーん」と大きな声を出して歩いています。初めはお母さんを追っているのかと思ったら、どうも迷子のようです。
「おかぁーさーん」「おかぁーさーん」と歩き回ります。そのうち「おかぁさーん! どこににげっちゃったの?」に変わりました。ギョッとして「おかあさんいなくなっちゃったの? おばちゃんとさがそうか」と声をかけましたが、その子は泣いていないけど、頭が真っ白なんでしょう。聞こえないみたいに反応しませんでした。結局、係の方に託しました。
 ほんとに逃げちゃった? いえいえ、きっとお母さんと会えたでしょうと、結果がわからないだけに、なんとなくひっかかってしまいました。
 肝心の講演会は親子一緒の和室! 賑やかでしたけど、外の庭園が見える気持ちよい部屋でした。子どもの声がだんだん大きくなり、聞いて下さる方がじりじりと寄ってきてくれるのはうれしかったです。主催者の三年間の熱い思いが伝わってきました。
 帰りの新幹線は、同年配の女性が隣でした。お互いに眠りにつきましたのでお話しはしませんでした。
 ここまで、ほんとにつれづれと書いてしまいました。
 
 話を変えて、最近ショックを感じたことを・・・・。
 新聞の投稿です。タイトルは「子育て後進国」と書かれています。
 内容は妻が保育士、その保育園は結婚の時期、妊娠の順番まで園長に決められていて、先輩を追い抜くことは駄目という暗黙の了解があるそうです。順番を待たずしてできてしまった投稿したこの夫婦は「子どもができてすみません」と園長に頭を下げたというのです。子どもを育てる職業がこんな環境にある国は子育て後進国です。と結んでいます。
 あきれてしまいました。そういえば30年くらい前、幼稚園で担任が妊娠したら、親たちが担任を代えろと騒いだことがあったことを思い出しました。自分の子だけが最高の環境で何事もなく育ってほしいという大変利己主義な人がいかに多く、今でもそのままだということに愕然とします。人間を学ぶには、自分の誕生を知るには、妊婦の先生なんて最高なのに。(毎日新聞2月28日掲載)

 福音館の「母の友」の3月号に「今、保育を考える」という特集がありました。プレイディみかこさんというイギリスに住んでいる方の寄稿がありました。
 イギリスで保育士資格取得コースに通ったときに、政治の勉強がある。保育の仕事は時代背景や社会問題が関係している。国の指示に従っていくだけだと、現在あるものは徐々に劣化し、社会全体が停滞して衰退に向かうと書かれていました。ミクロとマクロの連動性という言葉をつかっています。もっとちゃんと書かれているのにちゃんと伝えられなくてもどかしいです。つまり、請け負わされたことだけをしていたのではどんどん質は落ちてゆく、保育という仕事の現代の意味を把握し、自分としての意識を持って保育していくべきであると、おおざっぱいうと、そんな意味に読めました。私は深く頷けます。使われて働くのではなく、自分で考えて判断し、主体的に仕事をしていくということだと思います。(もどかしい方は本を読んでください)
 新聞の投稿にある保育園はいくつもあるような気がします。一歳児が「並べる」「かたづけられる」と、命令に従う調教をしている園も多くあります。
 子どもを大事にするということは、自分の仕事を見つめるということ。それは、まぎれもなく自分を大事にすることなのだと思います。おとなたちがもっと自分を大事にしないと、子どもの幸せはこない。(3月11日 記)

 

 

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