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 昨日(13日)は、母の日でした。
 母が逝ってから13年もたってしまいましたので、先週、お墓にカーネーションを供えてきました。姿は見えねどですが、私自身の「考える軸」をつくってくれたと思います。もちろん、私は私を生きてきましたけれど、影響力絶大な人だったということです。気配を感じたりすることもあります。
 そういえば、四月の新学期の初日のことでした。
 2歳のつばきくんは、親は送ってきて帰ってしまいましたけれど、泣いてはいませんでした。そして、私に手を繋いできました。

 つばきくんが「おかあさん おかあさん」とつぶやきました。

 私のことをお母さんと間違っているとは思えなかったのですが、私の手の温もりがお母さんみたいな気がしたのかしら? くらいで、真意はつかめませんでした。
 お迎えの時に、このことをお母さんに話しました。帰ってからお母さんは「どうして、愛子さんと手を繋いで、お母さんって言ったの?」と聞いたそうです。すると「おとうさんもおかあさんもいなくてさみしかったから、おかあさんっていったの」と返ってきたそうです。

 この話を聞いて、ほんとに驚きました。お母さんに会いたいとか、帰りたいとかではなく、不安や寂しさを感じたとき「おかあさん」とつぶやくことで、温かい気持ちが流れるということではないでしょうか。

 つばきくんが言葉にしてくれたことで、納得できることが次々思い浮かびました。
 保育園、幼稚園でも始めの頃、先生を「おかあさん」と呼ぶ子がいます。ほとんどは先生といういい方を知らないのだと思い「お母さんじゃなくて、先生よ」と返している気がします。もちろんそういうときもあるでしょうが、そんなことじゃない子どもの気持ちがあったのです。
 昔から大好きな童謡があります。「お母さん」作詞・西条八十 作曲・中山晋平です。こんな詩です。


 お母さん お母さん お母さんてば お母さん
 なんにもご用はないけれど なんだか 呼びたいお母さん


 この歌の三番には
 「なんべん呼んでも 嬉しいな お返事なくても 嬉しいな」とあります。
 こういうことなんですよね。長いことうたってきましたが、今回のつばきくんのおかげでストンと納得! でした。
 よく戦場や特攻隊の人が最後に残す言葉は、圧倒的に「お母さん」が多いと言われています。ほんとに母って偉大ですよね。変ですけど、どんな母でも、子どもは母を越えられないとも思います。子どもにとっては、それこそかけがえのない命の素なのです。
 童謡の中にもお母さんをうたったものがたくさんあります。
 そういえば「童謡」という言葉が生まれてから100年なんですって。
 昨日「山野さと子童謡コンサート」に行ってきました。

 もう懐かしい歌が次々と流れ、一気に子ども時代に包まれました。

 私の子ども時代は、子どもが多かったこともあり、世間がみんな童謡をうたっていました。

 わが家でも童謡が溢れていました。兄や姉が学校から仕入れてきたり、当時テレビはなくラジオでは「うたのおばさん」という番組があり、安西愛子、松田としさんという方が童謡をうたっていたと思います。今でいう「みんなのうた」みないなものだったのでしょう。
 2時間のコンサートでうたわれた歌は、全部知っていました。もっともっとリクエストしたい歌もいっぱいありましたから、ものすごい数の童謡を知っていることになります。そのほとんどが思い出されるのですから、すごいです。
 子どもの心の的を得てつくられている歌が多かったような気もします。(子どもの自身は、そんなことに気づいてはいませんけれど)
 そういえば、りんごの木ってほとんど歌をうたっていません。ずっと以前音楽が好きな方から「どうしてですか?」と聞かれたとき「だって、あそびが忙しくてうたっている間がないのです」なんて言い訳しました。仰々しく教えるのはちょっといやだけど、口ずさむくらいはしたいかな? と思ったりして・・。
 心穏やかな母の日をいただきました。(5月14日 記)


 

 

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