暑い日が続きますね。
 暑くてだるくて、蚊はいるし、「もう、いや!」と思いながらりんごの木に向かうと、なんと子どもが走っています。

「かけっこしてるの?」と聞くと、

「ちがう、はしると、かぜがきて、すずしいよ」ですって。

 おおさまゲームという鬼ごっこの複雑なのも流行っています。

「はいれば!」と言われても、

「いや。暑いから」と返すと、

「はしれば、かぜがくるのに」

 子どもってたいしたものです。
 さらに、穴からでてきたセミのサナギを見つけた子がいます。木のどこからかセミの声も聞こえてきました。

 ダンゴムシをペットボトルいっぱいにためて「おなかに、たまごをかかえてる」と言い、ザリガニを、これまた佃煮にできるほどにとってきます。
 暑くなればビニールプールに入り、出てきて風にあたるとさっぱり涼しげです。

 いつの時代も、子どもは子どもですね。環境がどうのこうの施設がどうのこうのなんて、全く文句も言わず、自分の世界をつくっていきます。
 そんな子どもたちなのですが、「熱中症」と言うことが頭にインプットされているようです。

「みずをのまなきゃ、ねっちゅうしょうになってしぬ」と気にします。

 りんごの木は、大きい子たちは各自水筒を持ってきています。遊んでいるときは忘れていますが、一段落して集まるときになると、そのことを思い出すようで、椅子の下に置いている子もいます。
 子どもたちに話すときは、視覚的なものがあったほうが伝わりやすいと、日頃感じています。

 言葉だけではなく、イラストや記号、折り紙、人形でもいいのです。積み木を使って気持ちを表したりもします。見えるものを使いながら話すと、漠然と流れていかないで、思考が始まります。
 ところが、熱中症の話をしているときに、ちょっと気になりました。テレビなどの映像を通すと同じように、インプットされやすいのではないかということです。それがいい場合もあるでしょうが、事故や事件に関しては、恐怖心を伴ってインプットされてしまう。子どもたちは自分が喉が渇いたからというより、熱中症で死にたくないから水を飲む。必要以上に気にかけているように私には思えました。本来子どもの本能は私たちより敏感ですから、喉が渇いた、お腹が空いたなどと身体の要求はあるはずです。(そうそう、かつて発汗機能が弱い子がずーっとプールに入っていました。自ら体温を下げていたのです。)そんな子どもの機能は、もはや信じてはいけない時代なのでしょうか? 
 保育者が「熱中症になると、こういう顔になる」と絵を描きました。普通の顔も描きました。

「いま、熱中症の顔の人はいないね。大丈夫」って、伝えました。

 

 話はとーんと変わります。
 6月23.24日は奈良にうかがいました。30日は名古屋にうかがいました。
 最近、旅をしていると(講演旅行ですが)外人が多い! 奈良のホテルなんて、どこの国に来たかと思うほど。京都の駅構内のそばやさんに入りましたら、日本語が少ない。アジア系、ヨーロッパ系、様々なようです。
 他民族が入り込んできたことが、日本文化をブレンドするような気がします。
 いろんな国の文化があればあるほど、人の許容範囲も広がると思うのです。
 かつて二十代半ばに初めての外国、ブラジルに行きました。いろんな人種が混ざっていて、エレベーターの乗っても黒、黄色、白、大きいの小さいの、鼻が高いの低いのとみんな違いました。そのとき、私は自分の身体のこと、着ている洋服のこと、なにも気になりませんでした。日本人であることも。おおらかな自由を感じました。かなり前のことですから今はどうかわかりませんが、いずれにしても、いろいろ混ざることが、ねばならないという既成概念を緩めるし、個性も強く出せるし、新しい文化も登場する、お互いが人であることで尊重しあえるような気がします。いままでのいいところを残し、どうでもいいことを削るには、なかなかいい時代を迎えているかもと思った次第です。
 では、みなさま、暑さにめげず風を感じて走りましょう! 
 今度の土曜・日曜は広島です! 中川ひろたか、ケロポンズ、汐見稔幸、大豆生田啓友、木村泰子の皆さん、気心の知れた方々とご一緒で楽しみです。(7月1日 記)


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