またまた日々あたふたと、あちらこちらを駆け回り、しゃべり続けていました。

 やっと、涼しくなってきましたね。しかし、自然災害を受けた地域の方々は、いっこうに戻らない気の遠くなるような日々をお過ごしでしょう。ほんとにお疲れさまでしょう、お見舞いを申し上げるだけしかできなくてすみません。

 

 最近、心にひっかかったことを書かせてもらいます。
 少し前になりますが、9月3日毎日新聞の夕刊に小児科医で慶應大教授の高橋孝雄さんという方の記事がありました。「情報過多の時代 親が子どものできることは」というタイトルでした。
 子どもの神経機能が専門の医師です。4歳で父を亡くし、貧乏な母子家庭で育ったそうです。
「客観的に見て、どう考えても、何一つ楽しいことはなかったけれど、なぜか僕と弟はそれなりに幸せだったんですよね」

 語るべく思い出も日常もないけれど、十分楽しかったと書かれてあります。
 記事の最後の方にこんなふうにおっしゃっています。
 子育てのキーワードは〈自己肯定感〉。今のままの自分でいい、生まれてきてよかったと感じる力だ----。

「生まれながらに自己肯定感が低い子はいません。子どもが不幸を実感する世の中になっているとしたら、親が実感している不幸が、子どもの心に反映されているのだと思います」
「本来、人間は赤ちゃんや子どもを見たり、接したりしたら『ああ、かわいいな』と感じるものです。存在そのものに価値がある。だから、うまれてきてくれたわが子の底力を信じ、成長していくのを楽しみに見守るだけでいい。親だけではなく、社会全体にもそれが求められているのです」と結んでいます。
 新聞のど真ん中には大きな字で「ありのままを見守って」と書かれています。
 さーて、自己肯定感という言葉を多くの人が知っていて、かなり意識しながら子育てをなさっているように思います。
 生まれながらに自分であることを認識はしていないけれど、絶対的な存在観をもって赤ちゃんは存在していると思います。だって、そうでしょう? まったく、周囲に気遣うこともなく、不快ならば泣き、要求があれば泣き、夜中だって何のその。自分ありき! と、ありのまま存在しています。
 ところが、どうも、少し大きくなってくると「ありのまま」が難しくなってしまうのです。
 あるところでこんな質問がありました。
「3歳の子が私の前ではいい子なんです。私が不快なことやいやがることはしません。でも、夫にはパンチしたり蹴ったり、乱暴なんです。子どもたちとあそぶときも、それほどいい子ではありません。私にだけ気遣って、私にだけ、ありのままの姿を見せていないのではないのでしょうか?」ということでした。
 いやいや、ありのままというのは、それ全部がその子ということなんです。
 つまり、このお子さんはお母さんが大好きで、お母さんの笑顔が見たくて、お母さんを悲しませたくなくて、日々ラブコールを送っているのです。あなたが好きですって!」
 特に好きな人には、自分をよく見せたい、だって嫌われたくないですからね。これは人誰も同じ。さらに幼い子にとって母親は命綱です。へその緒でつながっていたし、おっぱいからご飯もらっていたし、だいじなだいじな命の素なんです。ですから、無理しているわけではなく、特別扱いになっちゃうのです。
 ところがそれを続けるには開放・発散を引き受けてくれる人が必要です。ありがたいことにそれをパパが引き受けてくれている。ほどほどに体当たりができる間柄。パパや子どもには普通のまんま、ママにはちょっと特別な気持ち。ありがたいじゃないですか?
 ところが、どういうわけか、発散して暴れているほうがその子の本もので、その姿こそがありのままなのだと思ってしまうようです。
 私に無理をしている、私に気遣いしている、私にはありのままを見せないと---。
 全部ひっくるめてありのままなのです。どっちかがほんものではなく、どっちもその子なんです。

 このお子さんとは裏腹のお子さんもいるでしょう。ママ、ママとしつこくベタベタ張り付いてくる。わざと怒られることをする。これもその子なりの特別扱いの表現です。ちょっと煩わしいでしょうけれど、そういう子なんです。
 園でいい子、家でははちゃめちゃ。園ではちゃめちゃ、家ではいい子。学校では几帳面、家ではゴミだらけ。一見正反対と思える姿があるでしょう。でも、だからこそバランスがとれているのです。おとなにも言えるのではないですか? この人には丁寧に話すけど、あの人にはどうも言葉が乱暴になってしまう。どっちもあなたでしょう?
 私なんて小学校では黙ってじっと座っているだけの子でした。家では「口から生まれた」と言われるほど自己主張の強い子でした。両方があるから無理なく生きられるのだと思います。
 自己肯定感があるかないかは、さておいて、わが子はいったいどういう子なのか、興味を持ってちょっと客観的に眺めてみませんか?
 もうひとつよくある質問は「自分は自己肯定感が低い、その親が肯定感の高い子を育てられるか」という質問です。

 できると思いますよ。自分が情けなかったら、子どもがすてきに見えるでしょう? もしかしたら、低いからこそ、高い子を育てることができるかもしれません。
 あまり頭で考え込まずに、心地よく暮らすのがいいですよね。
 子どもだって、ありのままのあなたを引き受けてくれているかもしれませんよ! (9月17日 記)


 

タイトル

 

 

 

●今年度バックナンバーはここをクリックしてください。